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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2017.02.13

「悠久の国インドへの挑戦」42 忘れ得ぬ出来事:インドを離れる日III

藤崎 照夫

ガンジス川

インドでの約10年間の駐在生活では約3,000日間の日記を書き、苦しいことも嬉しいこともさまざまな貴重な経験をさせてもらいました。一般的な日本人から見るとインドはまだまだ異文化の国というのが大多数の方の印象ではないでしょうか。昭和天皇のご崩御の際には国を挙げて喪に服した親日の国というのを知っている日本人はかなりのインド通と言えるでしょうね。

前置きが長くなりましたが、次の赴任国である台湾への駐在命令を受けてから約2カ月間は2度の台湾出張、殆ど毎日続いた送別会、そして業務引き継ぎ、来客対応とあっという間に最後の出勤日を迎えることになりました。それは2002年4月6日土曜日でした。インドでは北部は3月初めのホーリーと呼ばれる奇祭が終わると毎日1度ずつ気温が上がって行き、いよいよ初夏の訪れを迎えます。然しながらこの日は朝はまだ少しひやっとするような感じでした。

本社と工場は1つの建物として繋がっていますが、工場で組み立てを終えた車が出荷場に出される前にベテランの検査マンが最終チェックをする検査スペースがありますが、そこに約1,000名の全従業員が勢ぞろいして私の最後の送別セレモニーが開催されました。私と幹部社員数名は仮設の壇上に座り他の人達は床に敷いた敷物の上に座っていました。先ず私の後任となる新社長のY君の挨拶、そして最高のパートナーとしてずっと一緒に仕事をしてくれたインド人副社長の挨拶から式典は始りました。

この後総務、営業、工場等の各部門の代表が英語やヒンディー語で送別の辞を述べてくれましたが、特に印象に残ったのは私がインド正月の前日(日本で言えば仕事納めの日)に本社事務所や工場の各部門を廻り「ハッピー・デワリ」と言って皆と握手をして回ったのがとても印象に残っているとの言葉でした。多分インドの一般の会社ではトップが現場をそうやって挨拶して回るのは殆ど見られない光景だったのでしょう。最後に記念品と花束を受け取った後私は一旦建物の中に入り、ロッカールームで永年着馴れた白いユニホームから私服に着替えました。

それで私は玄関の方に行こうとしたらインド人の総務の人が「一寸待って下さい」というのでそこで暫く雑談をしながら待っていました。OKが出たのでショールームを兼ねた玄関に行くと、日本人を含めた幹部社員が並んで待っていて拍手で迎えてくれました。彼等と握手を交わした後玄関を出て大きな庇の下へ歩いて行くと、女性社員が両脇に並んで花弁を撒くフラワーシャワーで迎えてくれました。その先に続く光景が圧巻でした。

その庇の所から工場の門までは約300~400メートルの距離だったと思いますが、庇から門まで本社と工場の人達が両方に人垣を作ってずっと並んでいるのです。私をロッカールームで待たせたのは皆が移動してその人垣を作る準備のための必要な時間だったのです。その人垣の間を皆から貰った花束を抱えながら一歩一歩門の方へ歩きながら「何と憎らしい演出をしてくれたんだろう!素晴らしいプレゼントを本当にありがとう!」と心の中で何度も呟き、赴任からその瞬間までの色んな想いがこみ上げてきて滂沱の涙が止まりませんでした。

雑木林から切り開いて整地をして工場を建設し従業員を採用し今日まで仕事を出来たことを本当に幸せだったと思いながら懐かしい会社を後にしたところで、インドでのビジネス展開のシリーズの最後の筆を擱きたいと思います。次回以降はインドについての一般的な知識、常識についてのシリーズを書いていきたいと考えていますので引き続きお読み頂ければ幸いです。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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