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藤崎 照夫
Teruo Fujisaki
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。
2013年の11月に自己紹介とこのコラムを担当するに当たっての抱負を書かせて頂いてから丸6年が過ぎ今回で80回を迎えることになりました。最初のコラムで「読者の方にインドを理解して頂く一助となり、ビジネスでインド進出を検討される方への情報の提供を目指したい」と書いていますがその目的に沿った内...
今回は前にご紹介した故清好延氏の著作からの引用も含めて話を進めて行きたいと思います。インドに来てビジネスで失敗する日本人、企業や逆に成功する日本人、企業を私自身の駐在経験から数多く見てきましたが今日はその話から始めたいと思います。 先ず失敗する日本人ですが、その多くは自分たち日本人は色...
先月に引き続きインド人との付き合い方について話を進めて行きたいと思います。 インドに関する数多くのセミナーや講演会などにこれまで参加して来ましたが、その席でインドのビジネスマンの多くが口にするのが「日本人の意思決定の遅さ」です。 例えばインドへの進出の検討が行われる場合、日本では一...
これまでこのコラムでインドでの会社設立、宗教、カースト、財閥などなど色々な観点からインドについて記述して来ましたが気が付くと既に6年以上が経過していました。 それで自分自身の中でそろそろこのコラムも終章を迎えているなあという気がしています。これから数回にわたり「インド人との付き合い方,...
今月も引き続きリライアンスグループについて話を進めていきたいと思います。 高級衣料品製造で成功したディルバイは1973年、旗艦企業となる「リライアンス・インダストリーズ」を設立しポリエステル紡績に参入します。最新設備を導入し、品質に拘りました。例えばこの翌年にインド全土にある24の繊維...
今月も引き続きリライアンス財閥につぃて記述したいと思います。ボンベイでスタートした「リライアンス・コマーシャル・コーポレーション(以下リライアンス商会)と名付けた同社の創業時の仲間は、社会活動家であり糸取引で成功していたマチュラ・ダス・グプタや姉の子であるラムニクバイ・メスワニなどがいまし...
先月に引き続きリライアンスの創業者と歴史について話を進めていきたいと思います。 英領イエメンのアデンで勤務してまもなく、ディルバイの性格を表すエピソードが残っています。イエメン・リアル銀貨の銀の価値が、外貨で獲得できる価値よりも高いことを知ったディルバイは思わぬ行動に出ます。彼はポンド...
これまで数回にわたりインドの財閥の中でも古い歴史を持つ大手の財閥であるタタ・グループとビルラ・グループについて述べてきましたが、これからこの二つの巨大財閥を凌駕するほどの躍進を遂げている新興財閥のリライアンス財閥について話を進めていきたいと思います。先ず最初はこの財閥の歴史と創業者について...
これまで5回に亘りインド財閥大手で歴史のあるビルラグループについて述べてきましたが今回がビルラ財閥についての最終回となります。四代目会長BK,五代目会長アデテイアに続いて六代目会長としてクマール・マンガラム・ビルラ(以下クマールと略称1967年生まれ)が継承しました。クマールは「曾祖父、祖...
今月も先月に引き続きビルラ財閥の活動について記述していきたいと思います。60年代後半から70年代にかけてインドの社会主義的傾向は拡大していきます。GDビルラは「財閥規制」に舵を切り迷走するインディラ・ガンディー首相に失望していました。さらにビルラが拠点を多く持つ西ベンガル州は共産主義が強か...
今月はデリーにあるビルラ邸で起きたラジブ・ガンディーの暗殺事件から話を始めたいと思います。1948年1月30日午後、ガンディーがヒンドウー教右派の青年であるゴードセーによって銃弾を浴び暗殺されました。ビルラ邸はデリーの官庁街に面しておりその正面から向かって右端にあった離れをガンディーは定宿...
先月はビルラグループがジュート産業への進出を決めたところまで書きましたが、今月はその後のグループの事業展開等について書き進めていきたいと思います。 ジュート産業は、インドを代表する産業であったにも拘わらず1911年の時点では英国資本がシェアー100%を占めていました。その筆頭はモルガン...
読者の皆様新年明けましておめでとうございます。これまでも私のコラムをお読み頂きありがとうございます。昨年はインドで最も歴史がありまた最大手の財閥であるタタグループについてかなり詳細に記述しましたが、今年の最初はタタ同様に長い歴史を持つビルラグループについて話を進めて行きたいと考えていますの...
これまで数回にわたりインド最大の財閥であるタタグループについて書いてきましたが、今回は現在のタタグループの総帥であるラタン・タタと彼の業績などをまとめて、タタについての話の最終回にしたいと思います。新経済政策導入の真っただ中の1991年にラタン・タタが5代目会長に就任しました。彼は1937...
これまでもタタ財閥は色々と幅広いビジネスを展開してきたと書いてきましたが、その中でも製鉄業は中心となるものの一つと言えます。今日はその製鉄業への参入の歴史に触れていきたいと思います。1899年、帝国主義者として有名なカーゾンがインド総督に就任するとインド商工業政策を「育成」へ方向転換します...
今月も先月に引き続きタタ財閥について話を進めていきたいと思います。読者の皆様の中にはご存知の方もあるかと思いますが、タタ財閥は日本と古くからのつながりを持っています。今月はそのあたりを詳述したいと考えています。19世紀末になると植民地の「強制的自由貿易」の下でも力をつけつつあったインド綿花...
先月号でインド最大の財閥であるタタ財閥の概要について書きましたが彼等のルーツと歴史について調べたところその全容を語るとしたら数十ページ分になることが分かりましたので、創業者と最近の総帥にかかわることに絞って触れていくこととしたいと思いますのでその点ご寛容お願い致します。 タタ財閥の創業...
1)先月号でインドで大きな力を持っていた東インド会社について述べましたが今日はこの会社の最期について先ず触れてみたいと思います。インドから安い綿製品をイギリスへ輸出する東インド会社は、政治的に力をつけつつあった英国綿製品業界と対立するようになりました。英国綿業界のロビー活動もあり、英本国は東イン...
先月号でインドの財閥の起源をなす「パルシー」と「グジュラティ」について述べましたが、今月は先ず最初に残りの一つの「マルワリ」について話を進めたいと思います。 「マルワリ」はラジャスタン中西部のマルワル地方出身という地縁に基く商人コミュニティです。18世紀になって同地域での商売拡大が見込...
始めに:これまでにインドとのビジネスに携わった経験をお持ちの方なら「タタ財閥」「ビルラ財閥」などの名前を聞かれたことが多いのではないかと思いますがインドでは現在も財閥の持つ影響力は大きくインド経済に占める彼らの力は巨大なものがあります。 これから数回に分けて財閥の起源やその発展の姿など...
<四輪合弁会社の副社長> 今日ご紹介する人物は私の2度目のインド駐在の四輪合弁会社の副社長としてゼロから新会社の立ち上げに携わり爾来6年半私と一緒に仕事をしたMr.N.K.Goila(以下Goilaさんと略称)という人です。彼はこの人物シリーズで前々回ご紹介したMr.A.C.と同じく最高...
<2輪合弁会社の営業部長> 今回ご紹介する人物は私が最初に駐在したHero Hondaという2輪合弁会社の営業部長のMr.Suriという名前の人です。彼は先月ご紹介したMr.A.C.の下で仕事をしていましたがMr.A.C.が工場長へ社内異動したのでその後を継いで営業の責任者になりました。...
2輪合弁会社(Hero Honda)の工場長 Mr.A.C このシリーズでこれまで私が一緒に仕事をしたパートナーをご紹介して来ましたが、私の意図はこれらの色々なインド人について触れることで読者の皆さんにインドやインド人に対する理解を深めて頂きたいと思っていることを今回改めて冒頭に述べさせて...
<合弁会社のパートナー> 3)四輪会社のパートナー:Mr.Shidarth Shriram 今月はパートナーシリーズの最後として私がインドでの2度目の駐在をした四輪合弁会社のパートナーについてご紹介したいと思います。このShriramさんはホンダが前にご紹介した二つの二輪合弁会社をスタ...
<合弁会社のパートナー> 2)二輪車のパートナー:Firodia Family 先月世界の二輪車王になった“Lallさん”という人物について書きましたが今月はもう一つのスクーターのパートナーとしてのFirodia Familyについて話を進めて行きたいと思います...
<合弁会社のパートナー> 1)二輪車のパートナー:Mr.Brijimohan Lall Munjal ・パートナー選定までの経緯 以前にも書きましたがインドは二度に亘る自由化を実施しています。最初の自由化は1980年代の初めに実行されました。インドは第二次大戦後ロシア経済を手...
先月はこのシリーズの①としてインドの政治家について述べましたが今月はインドの官僚制度と実際に出会った官僚の人たちについて述べたいと思います。インドが大戦後英国からの独立後、国家の統一の為の制度を担ったのが全インド公務職制度(All Indian Services)と言われています。このAl...
これまでこのコラムでインドでの2回の駐在、約10年に亘る仕事、生活などについて触れてきましたがその中で大変沢山のインドの人達との出会いがありました。 それを全て語ることはとても出来ませんので特に印象に残る人達について書いてみたいと思います。 その中で政治家やパートナーについては実名...
先月はインドが如何に親日国であるか又その背景はどのような理由があるのかなど詳細に亘り述べましたが今月はもう少し遡って日印交流の基礎を築いた人達に先ず焦点を当てて話を進めて行きたいと思います。 現在の東京芸術大学の創設者で有名な岡倉天心は1901年(明治34年)から1902年(明治35年...
このコラムも今回で50回という一つの区切りを迎えることになりました。 期間にして4年強ではありますが気がつけば50回を迎えたという感じがしています。私の10年近いインド駐在の経験を基にしたインドでのビジネス展開の実態と留意点を長く執筆し、これからインドへの進出を検討される方の参考になれ...
<何故世界最大の民主主義国家と呼ばれるのか> その理由は有権者が世界最大の人数だからということです。2014年の日本の衆議院に相当する下院総選挙時の有権者数は8億1,400万人でしたインドの総選挙は、18歳以上の男女が持っており国政選挙である下院の総選挙は世界一の規模を持つ投票となります...
このコラムの読者の方々の中には「インド人は子供でも二桁の掛け算が暗算で出来る」とか「最近子供を数学と英語の力をつけるためインド人の子供の通う学校へ入学させる日本人の親御さんがいる」といった話を耳にされた方がいらっしゃるのではないかと思います。今回はそのインドの教育制度や世界的に活躍するイン...
先月のコラムで空港、巨大ショッピングモールなど大きな変化を見せるインドについて触れましたが今月もその続編として幾つかの切り口で皆さんにインドの現状についてご説明したいと思います。 1)加速するモータリゼーション インドの大都市を訪問された方は朝夕の道路の混雑ぶりに驚かれたことと思いま...
このコラムを開始する時に私とインドとのつながりについては触れましたが、最初にインドを訪問したのが丁度30年前になります。それから9年半に亘る二度の駐在生活そして定年後はコンサルタントとしての仕事関係での訪印と続いている訳ですが、今年の4月に10年ぶりにインドを訪問する家内と一緒に僅か4日間...
これまでのコラムの中で何度か「インドは多民族、多言語、多宗教の国」ということには述べてきましたが、今回は宗教について触れてみたいと思います。最近の国政調査によればヒンドゥー教徒が80.5%, イスラム教徒が13.4%, キリスト教徒が2.3%, シーク教徒が1.9%, 仏教徒が0.8%, ...
今月はインドと言えば殆どの方がご存知のカースト制度について話を進めてみたいと思います。私も含めて読者の皆さんがご存知のことは大きく分類すると5つのカーストに分けられるということではないでしょうか。 おさらいの意味でこの5つについて下記しますと。 バラモン :カーストの最上級に位置つけら...