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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2017.06.05

「悠久の国インドへの挑戦」46 インド基礎知識そのIII:変貌を遂げるインド(1)

藤崎 照夫

インドの茶畑

 このコラムを開始する時に私とインドとのつながりについては触れましたが、最初にインドを訪問したのが丁度30年前になります。それから9年半に亘る二度の駐在生活そして定年後はコンサルタントとしての仕事関係での訪印と続いている訳ですが、今年の4月に10年ぶりにインドを訪問する家内と一緒に僅か4日間のデリーのみの訪問でしたがその時に改めて感じた変貌するインドの実態を色々な切り口から今回はお届したいと思います。

1)近代化された空港

 今回デリー空港に到着したのは夜の11時頃でしたが飛行機が到着してから出迎えの人に会うまでに要した時間は僅か40分ぐらいでした。過去は例えビジネスクラスで行っても飛行機到着から外に出るまでには最低1時間半、時には2時度間ぐらい掛かっていましたから以前と比べると半分以下にスピ-ドアップされたことになります。

 理由は幾つか挙げられますがその一つは入国審査がすごく早くなった事です。
 以前は数個しかなかったブースが40個くらいに増えていました。また以前は入国審査官がパスポートや他の書類を何度も何度も検査していたのが短時間で終えるようになったことも時間短縮の大きな理由だと思います。また、入国審査を終えて預入荷物を取りに行くと既に荷物はターンテーブルを回っていましたし荷物が取りやすいように係の人がきちんと並べていました。

 デリー空港は最近の専門誌による空港としてのサービス評価でアジアでベスト3に入るまでになったそうです。この一番大きな理由は空港運営を民営化したことだというのが皆さんの意見でした。空港の施設、メンテナンス、サービス等色々な点で評価を受けるそうですが昔と比べると隔世の感がします。

 但し一旦空港の外に出ると出迎えの車が無秩序に次々と割り込みながら入って来てその辺は如何にもインドだなあと思った次第です。なおご参考までに申し添えますとデリー空港は24時間フル操業とのことです。


2)林立する高層ビル

 デリーの中心部から車で約1時間位のところにグルガオンというところがあります。この周辺にはスズキの4輪車工場や、ホンダの二輪車工場等があり現在は沢山の日本人が住んでいる地域ですが20年ほど前は本当に何もないところでした。現在は所謂高層のマンションが林立していて現地のインド人は「インドのマンハッタン」とも呼んでいるそうです。

 私も最近はこのグルガオンにあるホテルに滞在することがしばしばありますがこの高層ビルを見るたびに「インドで頻繁に起きる停電にエレベーターはどう対応するのだろうか?」と余計な心配をしてしまいます。

 このグルガオン地区は居住用の高層マンションだけでなく大きなショッピングモールや数多くのレストランもあり日本、イタリアン、中華、韓国などの料理を楽しむことが出来るようで日本から年に数回食材を運ぶのが
 一仕事だった我々から見るとまるで別世界のようです。但し最近はこのグルガオン地域も地価が大幅に上昇してきて新しく工場を建設したりするのはかなり難しくなってきているようでグルガオンから更に車で2~3時間くらいかかる地域に工場を建設する日系企業が増えており、グルガオンに家族を残して工場の近くに単身で住む人も出てきていると聞かされました。
 そのような話を聞くとデリーの中心部に住んで会社まで車で僅か5分の最初の駐在生活は恵まれていたなあと思った次第です。

 今回インド人の友人に出来たばかりの巨大なショッピング・モールに案内してもらいましたがその中には世界中の有名ブランドの衣料、スポーツ用品、皮革製品などなどの店が軒を並べ日本でも見られないような光景でした。インド人の友人達が我々夫婦を夕食にそのショッピング・モール内のレストランに招待してくれましたがそのレストランはインド料理だけでなく和食もタイ料理も洋食もサーブしてくれるそうでコックが何と80名もいると聞いてびっくりしました。今月は変貌するインドの一面をお届けしましたが来月はこの続編をお届したいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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