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2017.11.27
藤崎 照夫
これまでこのコラムでインドでの2回の駐在、約10年に亘る仕事、生活などについて触れてきましたがその中で大変沢山のインドの人達との出会いがありました。
それを全て語ることはとても出来ませんので特に印象に残る人達について書いてみたいと思います。
その中で政治家やパートナーについては実名で書きますが、その他の人達についてはイニシアルやその時の肩書や役職名にさせて頂きますので、予めご了承頂ければ幸いです。
1.政治家
1).アンドラ・プラデッシュ州(以下AP州と略記)の州首相
このAP州はインドの南東部に位置しており現在はIT都市として大変注目を浴びていますが、私がこの州のナイドゥ首相とお会いしたのは1990年ですから今から27年ほど昔になります。当時私は二輪車の合弁会社のホンダ側の責任者としてデリーに駐在していましたが、ある時日本大使館から連絡があり「大使と日本企業数社の代表者がAP州の視察に出かけるので参加してもらえないだろうか」というお誘いでした。
話を詳しくお聞きするとナイドゥ首相が大使館を訪問され日本大使に「日本からの企業の進出を希望しているがその為に一度是非企業の方達と一緒にAP州を訪問して欲しい」との強い要請があり、それに応える形で大使及び大使館の担当者、大手商社の責任者と私がメンバーとしてAP州を訪問することになりました。当時はインド全体でみても進出日本企業の数は大変少なくAP州に進出している日本企業は皆無に近かったと記憶しています。
AP州に到着すると首相自らのプレゼンテーションが詳細に亘り行われましたが今でも印象に残っているのはその情熱と鋭い眼差しでした。プレゼンテーションの後首相執務室で我々メンバーとの懇談が行われましたがその執務室が大変質素でテーブルの上が綺麗で何も乗っていないのが記憶に残っています。私はナイドゥ首相が熱く語るのを見ながら「まるで明治維新を作った志士のようだ」と思いましたが、この首相は自分にも大変厳しいと同時に部下に対しても仕事の成果をきちんと出すように求めまた汚職を厳しく取り締まっていたそうです。
首相との会談の後大使が「彼があまりに厳しすぎると暗殺される可能性もあるかもしれないな」と言っておられたのが分かるような気がしました。このナイドゥ首相は当時地方政党の党首を務めていましたが将来は中央政府の閣僚になるのではないかと噂されていたそうですが、その後一旦州首相の座は降りられたがまたこのAP州が2014年に二つの州に分割された後新しいAP州の首相として返り咲かれて現在大変精力的にインフラの整備、企業誘致、工業団地の開発などに尽力されていて日本企業も数多く進出しています。この方から学んだことは“政治は人なり”ということでした。
2).ウッタル・プラデーシュ(以下UP州と略記)の州首相
このUP州はインドの首都であるデリーに隣接しており人口大国のインドの中でも一番人口が多く2億人を超えています。日本の倍近い人口を抱えており面積でも五番目の大きな州です。この州はこれといった産業もなく所得レベルはインドの中でもかなり低い州でもあります。私がこの州のマヤワティという女性首相にお会いしたのは四輪車の合弁会社の土地問題で州政府の土地公団からの土地取得がなかなか出来ずにパートナーに同行して首相から関係部署に然るべく指示を出して貰うようにお願いに行った時でした。
この女性首相は最下層のカーストの出身で確か「貧民党」という政党の党首でもありました。選挙の時は女性には民族衣装であるサリーの生地をばらまいたり、また別の時には電気炊飯器をばらまいたりとかなり派手なことをやり、自分自身の巨大銅像を建立したり、汚職で逮捕されたりとかした経歴を持っていましたが低所得層には根強い人気を持ち首相に再選されていました。
面会に一緒に同行したインド人の副社長が大変緊張した面持ちだったので面談の後話を聞いたら「彼女は自分が気に入らない人物は理由をつけて投獄してしまうという噂があるそうです」と言ったのを今でも覚えています。正に上記のAP州の首相とは対極にある人物といえるのではないでしょうか。このUP州のグレイターノイダという工業団地に 工場を建設してから約20年が経過しましたが先日訪問した時に当時は街灯もなくでこぼこだった未舗装の道が6車線の高速道路が通り沿線には高層マンションが立ち並び時の経過をしみじみと感じた次第です。
今回は政治家ということで二人の州首相について触れましたが次は官僚やパートナーについて述べてみたいと思います。
藤崎 照夫
Teruo Fujisaki
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。