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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2018.01.15

「悠久の国インドへの挑戦」54 インド基礎知識そのXI:私の出会ったインドの人達(3)

藤崎 照夫

ビクトリア記念碑(コルカタ (旧カルカッタ))

<合弁会社のパートナー>


1)二輪車のパートナー:Mr.Brijimohan Lall Munjal


・パートナー選定までの経緯

 以前にも書きましたがインドは二度に亘る自由化を実施しています。最初の自由化は1980年代の初めに実行されました。インドは第二次大戦後ロシア経済を手本として政権が運営されて来ましたが、1980年に入るころには経済が疲弊してそれまで閉鎖していた外資への門戸を開かざるを得なくなりました。インド政府がこの自由化政策を発表した後ホンダもインド市場への参入の意思表示を行いました。

 私自身はこの時はインドの担当ではありませんでしたが、当時の担当者に話を聞いたところ300件近い手紙がホンダの本社に届いたとのことです。その方達に書面で現在行っているビジネスの内容、売上金額、資本金などを問い合わせを行いその回答を基に書類審査を行い先ず第一次選考を実施しました。その次のステップとしてチームメンバーが訪印して候補者の本社や生産現場を訪問し絞り込みを行い最終選考になったそうです。

 ホンダは世界での市場開拓の際は基本的には1ケ国1パートナーという戦略でしたが、インドは全くの未開市場でかつ地理的にも大市場であったので2つのパートナーを選定することにしました。その一つがインドで既に世界最大の自転車製造メーカーであったHero Groupでした。そのグループの会長が冒頭に名前を挙げた人物ですが関係者がこの方を皆さん“Lallさん”とお呼びしていたので私を含めてこの呼び方をさせてもらっていました。

 Lallさんは戦後自転車部品の行商からスタートしましたがホンダの創業者の本田宗一郎に私淑していたそうで“もの作り”を理解し現場を大事にした方でした。先ほどホンダは2輪車として2つのパートナー選定をしたと書きましたがHeroグループは小型のオートバイタイプの2輪車でもう一つのパートナーが小型のスクーターを製造販売するということでスタートしましたが、80年代初頭のころは2輪市場全体を100とするとスクータータイプが70%、オートバイタイプが30%ぐらいの市場構成だったので立ち上がり時期はHeroグループの方が苦労するだろうというのが関係者の間では語られていたそうです。

 
・Lallさんとのお付き合い

 Lallさんとは私が本社の課長時代、合弁駐在時代そして定年後と続き20年以上のお付き合いでした。ファミリー全体、販売店、メーカーなどの周りの人たちに気配りし皆から尊敬を集める人物でした。ホンダとの合弁は約30年で解消しましたが合弁会社のHero Hondaを世界一の2輪製造販売会社に育て上げたのはこの方の力に負うところ大であることは彼を知る全ての人の認めるところです。

 彼との思い出は数えきれないほどありますがその中でも特に印象に残っている一つが私が定年を直前に控えインドを訪問した時のことです。彼とは本社の事務所でお会いすることになっていましたが、私が新工場に到着すると彼は既に待っていてゴルフ場で使用するカートのような乗り物で自ら運転して工場の隅から隅まで案内してくれました。

 その途中で“この塗装設備はどこの国から輸入したもので能力はこれだけだ”とか組み立てラインでは“ラインスピードはホンダの中でも一番早く何秒に一台生産している“とか本当に現場のことを全て理解していることでした。その時には既に70代の半ばを過ぎていたと思いますが昔と変わらない情熱と知識に驚きました。

 彼は優秀経営者として数々の表彰を受け勲章も貰いましたが4年前に91歳で他界されました。彼のお別れの会には何と2万人を超える人たちが参列したそうです。このような素晴らしい方とお付き合いで来たことを今でも幸せに感じています。来月はもう一つの2輪車のパートナーについて触れてみたいと思います。
   
 

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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