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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2018.09.25

「悠久の国インドへの挑戦」63 インド基礎知識そのXX:インドの財閥について(4)

藤崎 照夫

ジャイプル(デリーの南西約260kmに位置する都市)

 先月号でインド最大の財閥であるタタ財閥の概要について書きましたが彼等のルーツと歴史について調べたところその全容を語るとしたら数十ページ分になることが分かりましたので、創業者と最近の総帥にかかわることに絞って触れていくこととしたいと思いますのでその点ご寛容お願い致します。

 タタ財閥の創業者はジェムセトジー・ナッセルワンジー・タタ(1839~1904)以下JNタタと略称―であります。タタ家は、インド西部スーラトに近いナブサリの町で代々続くパルシー(拝火教)の僧侶でした。JNタタの曽祖父はバローダ藩王国で副知事の職にも就いておりある程度の名家だったと言えます。JNタタの父が商業を興しており実質的にはこの父親がタタ財閥の初代と言えると思います。

 JNタタの父親ナッセルワンジ―・タタ(1822~86)は少年時代にナブサリの金融業者の下で商売を勉強した後、代々の稼業である僧侶資格も取得しましたが、父とボンベイに出てヒンドウー商人から商売を学びました。息子のJNタタは1839年ナブサリの町で生まれましたが父はこの時まだ17才であり年齢の近い親子でした。JNタタは1852年にボンベイ知事エルフィンストンがインド人の高等教育を目的として設立したエルフィンストン・カレッジに入学しました。

 JNタタは1856年エルフィンストン・カレッジを卒業して17歳で法律事務所に就職しました。父のナッセルワンジ―はこの頃三角貿易による阿片輸出を行っていましたが、この時に先月号でご紹介したセポイの乱(1857~59)が起き、中国ではアロー戦争(第二次阿片戦争1856~60)が勃発し広州は戦場となっていました。インドでセポイの乱が鎮圧され英国直接統治が始まると同時に広州で戦況が落ち着いた1859年父はJNタタに稼業を手伝わせるために事業に参画させることにしました。

 JNタタは有力なパルシー商人がしてきたように、父親が蓄積してきた稼ぎを「事業」に振り向けるようになります。1869年にボンベイ郊外の古い搾油工場を買収して綿紡績工場に改造し、英皇太子妃に因んで「アレクサンドラ・ミルズ」と名付けます。短期間で利益を出すことに成功しますが二年後には売却しています。「工場経営の練習」だったようです。これで自信を深めたJNタタは1873年に「インド中央紡績紡織」を設立し本格的に綿工業への進出を開始します。

 彼はわざわざ内陸部のナグプールを新工場建設地として選びました。3年がかりで大規模工場は完成し、1877年1月1日にナグプール工場の操業を開始したJNタタは、同日にデリーで戴冠式が行われたエリザベス女王のインド女帝即位に敬意を表して、同工場を「エンプレス(女帝)ミルズ」と名付けました。そして英国人技師を登用するなどして技術的課題を克服し事業を軌道に乗せていきます。これがJNタタの商人から起業家への転換と言えます。

 1885年、後に独立運動として発展していく「インド国民会議派」の第一回大会にJNタタは出席し資金提供を行います。この頃からタタも英国企業との距離感が出てきています。例えば翌1886年に経営難に陥っていた「ダラムシ・ミルズ」を買収しますがこれを「スワデシ(国産品愛用)ミルズ」と改名しています。後にこれは「スワデシ運動」として独立運動の大きなキーワードとなっていきます。

 1884年に長男ドーラブ・タタと従弟であるRDタタが経営に参加し、1887年には次男ラタン・タタが加わり、4名の取締役で現在の持ち株会社の前身である「タタ・サンズ商会(1907年にタタ・サンズ&カンパニー商会へ改組)」を設立しこれ以降タタ財閥の中枢として機能していくことになります。今月はJNタタを中心として述べてきましたが、まだ話半ばの感がありますので来月も続編を書きたいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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