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2019.10.28
藤崎 照夫
これまでこのコラムでインドでの会社設立、宗教、カースト、財閥などなど色々な観点からインドについて記述して来ましたが気が付くと既に6年以上が経過していました。
それで自分自身の中でそろそろこのコラムも終章を迎えているなあという気がしています。これから数回にわたり「インド人との付き合い方,ビジネスの仕方」という観点でまとめてみたいと思いますが、この章を書くにあたって一つお断りをしておきたいことがあります。
それはこれから書いていくことは私の経験したことや感じたことを中心に書いていくつもりですが、私の知るインドはほんの僅かです。それで私の尊敬する人物の一人でインドに20年以上の駐在経験を持つ故人S氏の著書からの引用もさせて頂くことです。S氏は大学でヒンディー語を専攻されて卒業後大手商社に入社し最初のカルカッタ駐在を皮切りに20年以上のインド駐在を経験されました。彼の特徴は政府要人から一般庶民まで幅広い交遊関係を持ち我々一般的な日本人駐在員が知らない草の根のインドを知っていることです。それでは本稿を進めたいと思います。
私はこれまでにも書きましたがインドに二度駐在して約10年を過ごしました。その話を知人や友人にすると「よくあんなところに10年も駐在しましたね」とか「それは本当に大変でしたね」という反応が殆どでした。駐在経験者、インドを訪問したことのある人、訪問したことのない人を含めインドに対する反応は好き嫌いがはっきり分かれるのではないかと思います。インドを嫌いな人は「不潔だから、暑そうだから、食べ物がまずいから」などを挙げる人が一般的です。
一方インド好きな人は、「インド文化の奥深さ、多様性」などを挙げる人を多く見かけます。私の知る限りでもインドを何回も訪問し、インドの辛いカレー料理を汗をふきふき食べてインド人と交流をしている人もいます。彼らに「何故インドが好きなのか?」と聞いた時の答えの一つに「インドは他の国よりエキサイティングだから」というのがあり、私は何となくその意味が分かるような気がしました。同じアジアでも先進国のシンガポール、タイ、インドネシアなどのアセアン諸国とはインドは一味も二味も異なっているのではないのでしょうか。
それがインドの好き嫌いが大きく分かれる理由の一つではないかと私自身思っています。確かに上述の国々では日本料理店も沢山あり、カラオケバーもあり、ゴルフ場も沢山あります。私が最初にインドに赴任した1989年にはインドの首都のデリーですら一軒の日本料理屋もなく、勿論カラオケバーもなくショッピングモールもゼロでした。また停電も頻繁にあり夏場は眠れない夜も何度も経験しました。
そんな環境のインドでしたが、それから十数年に亘り、見聞したり、経験したインド人とのビジネスやインド人の考え方について触れたいと思います。国際ビジネスを経験した方なら聞かれたことがあるかと思いますが、国際ビジネスを行うときにタフな相手として「レバ、シリ、インド」という言葉があります。これはレバノン人、シリア人そしてインド人を指している言葉です。これからも分かるようにインド人はタフなビジネスマンとして受け止められています。
読者の中にもインド人とのビジネスの交渉のタフさにご苦労された方もいらっしゃるのではないかと思います。日本人同士の交渉の時は、その時のお互いの置かれた立場を理解し「落としどころ」を探っていくケースが多いと重いと思いますが、インド人の場合には所謂「忖度」や「以心伝心」というのは通用しにくいと考えた方が良いと思います。
インドの憲法は世界で一番長いと言われていますがインド人は契約にはかなり拘りを見せます。
思考方法は「欧米的」で「契約重視」というのは十分理解しておく必要があるかと考えます。一般的に日本人はインド人に対して「支援してあげる」とか「教えてあげる」という感覚の方が多く見受けられますが彼らは例えば技術支援についても「技術支援料を払っているから与える方もそれで利益を得ているので対等な立場である」という考え方です。次回も「インド人との付き合い方」について述べたいと思います。
藤崎 照夫
Teruo Fujisaki
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。