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2020.01.27
藤崎 照夫
2013年の11月に自己紹介とこのコラムを担当するに当たっての抱負を書かせて頂いてから丸6年が過ぎ今回で80回を迎えることになりました。最初のコラムで「読者の方にインドを理解して頂く一助となり、ビジネスでインド進出を検討される方への情報の提供を目指したい」と書いていますがその目的に沿った内容であったかどうか自分自身としては内心忸怩たる想いがありますが79回を迎えて一つの区切りかと考えてこれまでのコラムを全て読み返しましたのでそれを整理をしてまとめにしたいと思います。
自分自身としてはコラム開始に際して特に全体的なストーリーは考えていませんでしたが振り返って大別すると5つの分野から構成されていましたので順を追って話を進めたいと思います。
1)最初は会社設立の内容です。
これは自分自身が2度目の駐在時に経験した新会社設立の「ゼロ」からオペレーション開始までをまとめたもので少し長くなりますがその項目を挙げていくと下記のようになります。パートナー選定、土地捜し、工場建設、人事―人の採用、研修、組織作り、評価制度、日本人と現地人の役割、日本的企業文化の浸透、コストダウンと組織運営、経営の透明化、従業員満足度調査、創立記念日、労務問題といった内容で実際に現場で起こった事と経験し悩んだことを含めかなり詳細に亘って記述していて全部で30回ぐらいになりました。
2)次が「忘れ得ぬ出来事」です。
インドでの約10年間の駐在時代には色んなことが起きましたがその中でも特に記憶に残る出来事を纏めました。その内容は最初の駐在時代のパートナーの突然の死去とその時の私自身と会社の混乱と悲しみが記憶に残りました。その他には国税局の突然の査察とそれへの対応、本社、日本大使館、インド政府、弁護士との度重なる打ち合わせそして裁判から勝訴へと長い長い道のりでした。
その他には日本出張時に発生した我が家の火事も忘れえぬ出来事の一つでした。
空港で出迎えてくれた総務担当の駐在員が口ごもりながら「今朝お宅が火事になりました」と言った時の顔を今でも思い出します。
幸いにもインド駐在開始時から続けていた当時で約2千日分の日記が燃えずに残っていてとても嬉しかったことを思い出します。
最後はインドを離れる日の事で締めくくっています。合弁会社のパートナーの心の籠った送別の宴、日本大使の親切な送別会、駐在員、インド人の友人などなどの温かい心を感じる毎日でした。このインド人パートナーとは今も交流が続いており1ケ月ほど前に東京で再会することが出来ました。特に印象に残っているのは工場での本当の最終日の従業員全員参加での送別でした。この時のことは今でも全てのシーンを鮮やかに思い出すことが出来ます。
3)三番目は「インド基礎知識」です。
ここでは以下の内容について触れています。ベジタリアン、カースト制度、インドの宗教、変貌を遂げるインド、教育制度、世界最大の民主主義国家、インドと日本の結びつき、私の出会ったインドの人達といった項目ですが仏教伝来を含めたインドと日本の結びつきを自分自身が改めて勉強する機会でもありました。
4)4番目は「インドの財閥」についてです。
インドは今でも財閥社会です。大小数えきれないほどの財閥が存在しますが、その中でインドを代表する3つの財閥をピックアップして記述を進めました。それは最も旧い歴史を持つタタ財閥、政治とも深く結びついたビルラ財閥そして新興ながらすごい発展を遂げたリライアンス財閥です。これを纏めながら気付いたことはいずれも創業者のすごい意志と行動力そして先見性です。このコラムは想定外に長くなり17回に及びました。
5)5番目が「最終章」です。
ここではインド人との付き合い方について少し触れていますがインド人と言っても本当に色々な人がいます。だから私は「インド人はこうであるなど」とは言えないというのが正直な気持ちです。これでこの最終回も終わりになりますがこのコラムをこれまでお読み頂いた読者の皆様と長期間編集にあたって下さった山田さんに心からの感謝を表し筆を置かせて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。
藤崎 照夫
Teruo Fujisaki
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。