文字サイズ
2018.04.23
菅野 真一郎
6.中国経済の概況と中国経済発展の要因(3)
(3)人材強国戦略
中国経済発展の第3の要因は「人材強国戦略」で、これが中国経済のみならず中国国家発展の一番の要因だと思います。
前々回、前回で述べた11期3中全会での改革・解放政策を主導した鄧小平氏はどういうポジションにいたか。1977年、73歳で3度目の復活を果たし、翌78年3月に教育と科学技術担当の第1副総理すなわち日本でいうと文部科学大臣に就任しました。彼は1978年3月、「全国科学会議」を主宰し、「1978年から85年に至る全国科学技術発展計画概要」を制定し、「科学技術は第一の生産力」というスローガンを掲げ、人材教育と科学技術振興に邁進しました。
私が以前勤務していた銀行の部店長会議で武大偉駐日中国大使が講演した時に紹介された、当時の鄧小平氏の言葉があります。「今でも中国は世界一がある。アメリカが逆立ちしても勝てない――それは10億の人口。一人一人が力をつければやがて中国は世界一の強国になれる筈だ」と言ったという。世界最大の人口を発展の武器と捉えたその着眼点に敬服します。
以来中国は、人材による富国戦略、科学技術による祖国振興戦略を掲げ、これを「人材強国戦略」と銘打って、毎次の5ヵ年計画、西部大開発計画、東北旧工業基地発展戦略等の国家政策には必ず一項目を設け、政策内容と財政的裏付けを謳っています。
11次5か年計画(2006~2010年)では「科学技術による国家振興戦略と人材強国戦略を徹底させる」、12次5か年計画(2011~2015年)では「革新で駆動して、科学技術・教育による国家振興戦略と人材強国戦略を実施する」「…2012年の教育費財政支出の国内総生産(GDP)に占める比率を4%にする」、13次5か年計画(2016~2020年)の18期5中全会コミュニケでも「人材強国の建設を加速し、人材優先の発展戦略を深く実施し、人材発展の体制改革と政策刷新を推進し、国際競争力のある人材制度の優位性を形成する」と謳っています。
今年2018年3月の全人代に於いても、国家発展・改革委員会の「2018年国民経済・社会発展計画案についての報告」の中で、「小康社会の全面的完成の決戦に勝利することに目を向けて、各方面の資源を統一的に用いて三大堅塁攻略戦を断固戦い抜く。主要な社会矛盾の変化をしっかりと踏まえ、科学・教育による国家振興戦略、人材による国力増強戦略、革新駆動型発展戦略、・・・・を大いに推進・実施する」と提起しています。
日本の明治維新の先達も、教育と人材育成に注力し、貴重な外貨の給料と立派な住居を準備して、海外から技術者を招聘し、造船や鉄鋼、紡績等の技術導入と技術者養成に力を入れたことが、島国で資源に乏しい日本を、100年後世界第2位のGDP大国に押し上げた真の要因であったと私は考えています(注1)。鄧小平氏は正に中国において同様の政策を実践し、外資を利用してわずか30年あまりで世界第2位のGDP大国をつくりあげる基礎を築いたということができると思います(注2)。鄧小平氏の真骨頂は「スピード」と「実践・実行(決してあきらめない)」です。
私は詳しく研究したことはありませんが、ドイツのマイスター制度は同様にドイツの技術立国の基礎になっていると考えています。しかも戦後ドイツ復興を担ったアドナウワー首相は、教育体制に介入しようとするアメリカからの干渉を断固排除して、このマイスター制度を守り抜いたといわれています。このことが今日のドイツの技術力を支えている大きな要因ではないかと考えています(ドイツ旅行をした時、バスガイドの説明でこの話を聞き、おおいに興味を覚えたものです)。とすれば現在の日本の閉塞感を打ち破り、飛躍する方策は、やはり優秀な人材を育て、技術を磨きあげる道にこそあるのではないかと考えています。
われわれは、日本の先達の苦労と創意工夫に思いを致し、現在の中国やドイツに素直に学び、人材育成と技術の集積に再びチャレンジすべきではないでしょうか。ポイントは「スピード」と「実践・実行」です。
(注)
1.日本の明治維新の先達も、国力発展の諸政策において、「教育と人材育成、科学技術の習得・向上」に注力しました。例えば国費による海外留学派遣、海外から造船・鉄鋼(横須賀製鉄所)、紡績(富岡製糸工場)などの技術指導者を招聘し、日本中から集めた若い技術者の教育・訓練に力を入れました。
医学では北里柴三郎が1987年にドイツに留学、コッホに師事して破傷風の予防と治療法を研究、後に慶応大学医学部の創設や北里大学・病院の設立に尽力しました。
富岡製糸工場(1872年開業)にはフランス人技術者ブリューナが招聘され(1871~1876年、5年間)、年俸9,000円相当の外貨が支払われました。当時の日本人の平均的年俸は74円で、外国人技術者の年俸はその122倍に相当します。
2.孫文は1911年辛亥革命を指導して、297年続いた清王朝を倒したことから、中国革命の父、国父と尊敬され、後の中華人民共和国指導者にも大きな影響を与えていると言われています。その孫文は日本の明治維新を中国再興のモデルと考えたところから、鄧小平の人材強国戦略、科学技術重視政策も日本の明治維新が間接的に影響を与えているとも言われています。
(つづく)
菅野 真一郎
Shinichiro Kanno
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。