文字サイズ
2019.06.24
菅野 真一郎
6.合弁パートナーの選定(2)
(2)まず今回は、前回の総論(会社の経営理念、経営者の人格、哲学など)の続きですが、会社や経営者が社会貢献活動にどのくらい意を用いているかどうかも、合弁パートナーの的確性を判断する重要な基準になると思います。改革・開放政策の下、経済的利益至上主義に走っていると言われる風潮の中で、中国政府も例えば障害者雇用については、法律で従業員数に応じて一定割合の障害者雇用を、中国企業にも外資企業にも義務付けています。多くの企業は法律に規定されている障害者雇用義務の人数に応じた金銭支払いで雇用を回避しているのが実情のようです。
日系の某機械メーカーの中国本部(北京)では、国の規定に従い数名の障害者を雇用しています。たとえば受付業務(窓口)に配属されている女性(複数)はとても明朗で訪問客に良い印象を与えています。本部や工場で働く中国人職員、従業員も自社の雇用方針に誇りを感じていると、当該中国総代表F氏からお聞きしました。このことは中国の行政当局にも知れ渡り、日本商工倶楽部三資企業部会長を務めるF氏が商務部との面談を申し込むと、少なくとも副部長クラスが必ず応対してくれるということです。中国でも企業の社会貢献活動が企業や経営者の高い評価につながる一つの事例です。
(3) 財務内容精査についてもいくつかのチェックポイントがあります。
財務内容精査は、会社が健康体かどうかのチェックです。借入金について、借入先や借入金額(規模)が適正か調べる必要があります。街金融やそれに類似する非銀行金融機関からの借り入れは要注意です。これらの借り入れは簿外処理されていることが多く、借入金残高に比べて支払利子金額が大きすぎないかなどのチェックが必要です。
ある地方都市(省都)での合弁パートナー候補A,B2社を比較検討しているとき、私の勤める銀行の中国人職員が当該都市に出張した時にいつもチャーターしていた地元タクシーの運転手から、3~4回目で顔なじみになったころ「自分はA社の董事長のお抱え運転手をしていた。とてもケチな人物なので、あなた方と一緒に行ったとき昼食を出されても食べない。A社は街金融から借金しているので気を付けた方がよい」と言われました。おそらくボスの私も一緒だったので教えてくれたものと思いました。B社の社長に聞いてみたところ「同業者のことは言いたくなかったが、気が付かれたから言うが、A社の街金融の話は同業者間では知られた話です」ということでした。A社が規模も大きく、B社は家族経営的だったのですが、誠実な姿勢に惹かれるものがあり、合弁のパートナーとしてはB社を推薦しました。
借入金に限らず、不正常な動きを突き止める方法は数期間時系列的に数字を並べて大きな数字の変化(あるいは不変化)に注目し、その事情をヒヤリングすることです。これは日本の税務調査の手法の一つでもあります。
中国に進出した日本の大手食用油メーカーの事例です。操業開始後数年を経て本社役員が中国工場の2代目総経理に就任し、過去の経営実績を調べていると、ある代理店からの原料(大豆)購入と製品卸販売の数字が、季節による変動が無いことに気が付き調べてみたところ、当該代理店は自社の労働組合(工会)のダミー会社で、仕入れ・販売の往復でコミッションを抜き取っていたことが判明しました。普通食料油の原料仕入れや製品販売は、原料の収穫時期や春節前の販売盛り上がりなどで、季節変動があるのが一般的です。
(4)本業(祖業)以外の多角化のチェックは、会社が筋肉質かどうかのチェックです。よく聞くのは不動産投資や証券投資です。
2000年代初頭リーマンショックの前、中国でも10指に入る中堅自動車メーカーが上位を目指して活発な設備投資や工場展開をしている時、自動車産業がなく誘致に熱心な内陸部の省から、地元の石炭鉱山の採掘権の無償供与を条件に、自動車組み立て工場建設を慫慂され、準備していることが判明しました。
当該自動車メーカーの幹部は、会社の事業発展計画としてむしろ得意げに説明していました。石炭価格の高騰が背景にありましたが、自動車事業と石炭採掘・販売は何の関連性もないわけで、合弁パートナーとしては大いに疑問があるとのレポートを提出しました。その後石炭産業は鉄鋼、セメントと並ぶ過剰設備、過剰生産、過剰在庫の典型業種になり、石炭価格も下落して今日に至っています。
(この項つづく)
菅野 真一郎
Shinichiro Kanno
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。