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2019.11.05
菅野 真一郎
8.親会社に全面依存、中国に全面依存は危険
(1)勧誘を受けた親会社の中国プロジェクトに全面的に依存するのは要注意です。
例えば自動車部品プロジェクトでは、親しいメイン取引先や親会社から「中国に出るよ」とか「中国の第2工場を〇〇市に作るよ」と言われます。これは「中国に出てこないか、〇〇市の近くに工場を作らないか」というサインです。しかし決して「出てきてくれ、第2工場を作ってくれ」とは言われません。それは親会社といえども中国では自分のことで手いっぱいで、子会社や部品メーカーのことまで面倒見切れないからです。昔日本の自動車メーカーがアメリカに進出する時に「面倒見るから出てきてくれ」と言っていたのとはとは大違いです。
たとえ大手自動車メーカーでも1990年代初頭進出した当初の生産規模は極めて小規模で採算はとても厳しいのが実態でした。ですから部品メーカーも相応の赤字を覚悟せざるを得ません。しかしもしサインを無視して出ていかなければライバルメーカーが出ていく可能性があり、親会社への部品納入シェアを侵食され、築き上げてきたこれまでの営業基盤の弱体化につながりかねません。
対策としては、入念な事前調査、マーケット調査でしっかり収支見通しを立て、確信をもって進出する覚悟が必要です。親会社以外の日系、中国系、欧米系、韓国系、アジア系のユーザーはどのくらい存在するか、それらとの取引見通し(要求される品質レベル、数量見通し、販売単価など)はどうか、黒字化には何年を要するか、それを支える本社の体力への影響はどうかなどの見通しを立てる必要があります。昔、中小企業金融公庫(今の日本政策投資銀行)が毎年取引先に中国事業のアンケートをとっていましたが、中国進出取引先の70%から「中国進出によって、日本では取引のない日系、中国系、欧米系、韓国系企業との取引が出来た」との回答が得られていました。
また中国での生産が軌道に乗り品質も安定した場合、日本本社からの欧米、アジアへの輸出の肩代わりができるか、肩代わりが可能の場合に日本の生産体制をどのように転換(あるいは多角化)できるかなどを検討する必要があります。
昨今の米中貿易摩擦問題は短期間では決着がつかないというのが大方の見方ですから、今後中国からアメリカへの輸出については楽観できません。また中国の国内需要についても米中貿易摩擦の影響による経済成長減速がすでに顕現化していて楽観はできません。自動車産業については、中国は国の政策として急速にEV化が進む方向にあり、進出製品分野についても慎重な見極めが必要な時代になろうとしています。すでに中国進出している自動車部品メーカーにとっても中国での今後の営業戦略について早急な見直しを迫られているのは、新聞報道でもご承知の通りです。
以上の事柄を十分検討したうえで、想定されるあらゆる困難を乗り越える覚悟をもって中国進出を決断されることだと思います。
以前にも述べましたが、1990年代初頭自動車、家電などの大手メーカーの中国進出が本格化し始めようとした時期、その大手メーカーも中国の政治体制や将来性について確信が持てなかったときも、最後は鄧小平がけん引する経済改革・対外開放政策の継続性と12億人の中国市場の大きな可能性に期待して進出を決断し、これまで20~30年間、当初は数々の困難に遭遇しながら諦めずに工夫を凝らし、大きな成功を収めてきた事例は沢山あります。それらの大手メーカーへの部品の現地生産・供給を担い、やはり成功を収めた部品メーカーも数多くあります。中には中国工場を拠点に、成長した中国人スタッフを動員してベトナムなどへのグローバル展開を実現し、いまでは米中貿易摩擦回避に活路を見いだしている電子コネクターの中堅メーカーの事例もあります。
それらの経営者の方々は、「90年代のあの時、思い切って中国進出を決断したことが、今のグローバル展開の基礎になっている」「あの時中国進出していなければ、今のわが社は無い」などと述懐しておられます。
決して“清水の舞台から飛び降りる”という決断ではなく、当時考えられるいろいろな問題を綿密に検討し、何度も訪中して現地視察も行い、最後は確信を持って決断し、したがってスタートしてみて想像通りあるいはそれ以上のいろいろな困難に遭遇しても、“決してあきらめず乗り越えてきた”のが共通した姿でもあります。
更なる共通点の一つは人材育成と登用、現地化の推進です。優秀なナショナルスタッフを育て上げ、現地法人の役員はもちろん、本社役員に抜擢している事例も複数あります。
経営者の信念・覚悟、本社の支援体制、派遣人材の使命感・志・ヤル気・創意工夫、それに現地ナショナルスタッフの育成→登用が大事なポイントと思います。
余談ですが、某大手繊維・化学メーカーは数々の苦労を乗り越えて中国事業で毎年安定的に100億円以上の利益を計上するようになりましたが、海外事業部長は「わが社は成功事例ではありません、成功とは完成形ですが、いつまた躓くか、中国事業は決して安心できません、市場環境の変化、有力なライバル(大半は精巧な物まね)の出現で、何度苦境に陥ったことか」と中国事業の難しさを語っておられます。
(この項つづく)
菅野 真一郎
Shinichiro Kanno
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。