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2020.08.11
菅野 真一郎
これまで毎月1回、81回にわたり中国進出にあたっての留意点、中国事業運営上の留意点などを中心に持論を述べてまいりました。今回諸般の事情から最終回ということになりましたので、私が1984年4月、初めて上海駐在して以来今日まで35年間、中国や中国ビジネスに関わってきた経験をもとに、中国や中国人とどう向き合えばよいかの持論を述べてみたいと思います。
私は1966年(昭和41年)日本興業銀行に入行し、国内営業経験を経て、上海駐在員事務所首席駐在員(1984~1987年)を務め、興銀中国委員会副委員長、日中投資促進機構事務局次長、興銀上海支店初代支店長(1991~1994年)、興銀取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長などを経験し、3行統合後のみずほ銀行顧問(2002~2012年)を経て、2012年4月から今日まで東京国際大学で中国ビジネス事情などを学生に教えております。銀行時代は取引先日本企業の中国進出のサポート、進出後のトラブル処理に携わってきましたので、本ブログもその経験に基づく日本企業への警鐘が中心テーマになった次第です。
1.中国人との付き合い方
中国人と付き合う時はやはり中国人の特性を知ることが大事です。
基本は万国共通、「誠心誠意」「気配り、気働き」が通じる人たちです。中国も中国人も長い歴史や付き合いの中で「井戸を掘った人」の恩や苦労を決して忘れないとも言えます。1972年に日中国交回復を実現した田中角栄首相とその子孫に対する配慮(来日した中国要人は長きにわたり目白の田中邸を訪問している)、中国革命の父と敬われている孫文を経済的に支援した梅屋庄吉とその子孫に対する敬愛(孫文の生誕記念の国家行事には庄吉のひ孫を招待するなど)は、その典型です。
2004年10月の中越地震、2011年3月11日の東日本大震災での中国からの数々の物心両面の迅速で手厚い心温まる支援についても、本ブログ第78回「雪中送炭」で「中国人の陰徳」としてご紹介した通りです。
中国人の特性の一つは、ものの考え方が現実的、実利的あるいは経済合理性があり柔軟性があることです。「実亊求是」は中国の歴史書「漢書」にある言葉で、党大会や全人代の政治報告でもよく引用されます。事実に基づき真理を極める、実践を重視し「まずやってみる」(「間違っていたら修正すればよい」)、したがって中国の法律は「試行規定」「暫定規定」が多いことです。1978年12月の中国共産党11期3中全会での「経済改革・対外開放政策」採択も、先ず踏み出す発想があったと思います。習近平国家主席も2017年1月のダボス会議開幕式の基調講演で、「かつて中国は経済グローバル化に疑念を持ち、WTO加盟にも不安があった。しかし世界経済への融合は歴史の大方向であり、中国経済が発展するには、勇気をもって世界市場の大海を泳がなければならない。永遠に敢えて大海に行かず、風雨を経験せず、世間を見なければ、いつの日か大海でおぼれ死ぬことになるだろう。従って中国は勇気をもって世界市場に乗り出した。この過程で水を飲んでむせ、渦に巻き込まれ、荒波に遭ったが、泳ぐ中で泳ぎを覚えた。これは正しい選択である」と述べています。中国が新型コロナ対策にいち早く成功していることについて、国際世論は中国共産党一党独裁体制の強権政治のなせるわざと言っていますが、私はそれよりも「実事求是」に裏打ちされた中国指導部の迅速な決断と実行力が成功要因ではないかと考えています。
中国人の特性の最たるものは「面子」です。経済合理性に富んでいる人達なのに感情的な「面子」にすごく拘るので、理解されにくい面があります。具体的事例は省きますが、神経は繊細、言葉にとても敏感な方が多いと思います。しかもその面子は自分や一族の面子(多くは経済的利益)最優先で、相手の面子は二の次ですから、中国人との交流経験が少ない日本人は一編に中国人が嫌いになりがちです。私も中国や中国人に関わっていて何回も煮え湯を飲まされていますが、動じないように心がけています。
1931年の満州事変以来1945年の日本の敗戦まで15年間の日中戦争(日本の侵略戦争)は中国国民の心に深い傷跡を残しました。中国や中国人との付き合いで忘れてならないことは中国人の歴史認識に対する配慮です。1990年代中頃、仕事で関係したり飛行機で乗り合わせた当時60歳前後の中国人や在米華僑の方から、日中戦争について①忘れていません②聞かないでください、説明しにくいのです③日本人の方はきっかけを作らないよう注意してください、とほぼ同じ感想を聞かされました。
2014年、北京APECでの2年半ぶりの日中首脳会談の冒頭、習近平国家主席が最初に発した言葉は「歴史問題は中国国民13億人の感情の問題である」(読売新聞)だそうですが、我々中国ビジネスでも常に心して対応すべき言葉だと思います。
2.これからの日中関係に求められること
日中関係を考えるとき、日本は中国と「一衣帯水の隣邦」であり、2000年を超える往来で漢字、仏教、学問、稲作・冶金・製紙技術など各方面の文化の源を中国から伝承してきたこと、いつの時代も民間交流が途絶えることが無かったこと(徳川幕府の鎖国政策でもオランダと中国との交易は認められていた)を心にとめておきたいと思います。 敗戦国日本との国交正常化に際しても、戦時賠償請求権を放棄し、中国在留日本軍200万人全員の日本送還を実施、残留日本人孤児の肉親捜しにも協力したことは日本国民としていつも心に留めておくべきではないでしょうか。
「日本国民は日本軍国主義の犠牲者、戦時賠償請求は日本国民を苦しめることになる」との周恩来総理の言葉は、田中角栄総理の国交正常化交渉のための訪中を決意させたと言われています。
1978年10月、鄧小平氏が日中平和友好条約の批准書交換のため訪日するにあたり、「中国は再び鎖国することはできず、できるだけ早く対外開放して国の経済発展の先進的経験を学ばなければならない」「経験を学ぶ上で最も理想的なのは、同じ東方の文化圏に属し、戦後、経済が非常に早く勃興した日本しかない」「今回の訪日を利用して自分の目で確認してくる」と語り、新日鉄(君津)、日産(座間)、松下電器(門真本社)を見学し、帰国後日本に大型経済視察団を派遣、12月18日からの中国共産党11期3中全会で経済改革・対外開放政策を採択、今日の発展の礎を作りました。1979年12月、大平正芳総理が訪中し、第一次円借款を調印して以後2007年の新規貸し出し終了まで、貸出累計は3.4兆円に達し、当時の中国のインフラ建設に大きな貢献をしており、中国政府は決して忘れてはいません。以来日本は一貫して中国の経済改革・対外開放政策に協力してきていることは説明を要しないと思います。
1989年10月1日の国慶節に招かれた興銀の会長(一行)は夜の9時半から李鵬総理と会見しました。李鵬総理が「日本はアメリカの言う通り動かなくともいいではないか。自分の判断で制裁解除してくれてもいいではないか」と言ったのに対し、会長は「お言葉ですが、日本にとってはアメリカも中国も大事です。中国がアメリカと仲良くしていただければ、我々は安心して中国に協力出来るのです」と答えました。
1979年天安門事件の後の西側諸国の対中経済制裁でも、日本は翌年のアメリカでのG7サミットで「アジアと世界の安定のために中国を国際社会から孤立させてはならない」として真っ先に経済制裁解除をした経緯があります。
昨今中国の台頭による米中の覇権争いが先鋭化する複雑な国際政治環境の中で、2000年に亘る日中関係の歴史を謙虚にひも解き、日中戦争の不幸な歴史を乗り越え日中双方が相互信頼構築に努力してきた経緯を振り返り、米・中どちらかに偏ることなく率直なアドバイスを行うことが、日本の果たす役割ではないかと思う次第です。
今では日本と中国の経済的、政治的力関係は往時と異なり逆転していますが、中国はこれからもますます経済的発展に伴う新たな矛盾や困難に遭遇することは数多くあり―省エネ、環境、高齢化と介護、基礎技術研究、金融市場との対話など―、日本の経験が役立つ分野は多いと思います。逆にIT技術はじめ最先端技術ではむしろ日本が中国に学ぶことが多いのも説明を要しないと思います。何よりも資源が乏しい貿易立国日本は、中国とも長期安定的友好関係を構築・維持・拡大する必要があります。私は中国ビジネスのキーワードは“共存共栄”と考えております。
長年のお付き合い、本当に有難うございました。
(完)
菅野 真一郎
Shinichiro Kanno
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。