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2019.10.15
長井 一俊
9月末日の早朝、長距離バスで私達はワーサ市に向かった。バスの中でトミーから、『携帯品のリストを見せて下さい』と問われた。私はリュックの中身が20キロに収まるように、品名の後ろにグラム数まで書き入れたエクセル表を見せた。必需品をピッタリ19キロにおさえ、残りの1キロにプラスチック瓶に詰めかえたウオッカを入れて、備考欄に寝酒と書き入れていた。
ワーサに到着するなり、私はトミーに引きずられるように町の中央で朝7時から開店しているスーパー・ドラッグに連れて行かれた。彼は私に小型のスコップ、ホイッスル(呼笛)それに板チョコを1枚買い与えてくれた。彼にその代金を払おうとしたが受け取ってはもらえず、その代わりにリュックからウオッカを召し上げられてしまった。彼の顔には「お前には十年早い」と書いてあった。
『疲れ切ってしまい、寝酒の必用は無い』とトミーは言いながら、自分のリュックのポケットから「太めの釘一本」「糸鋸の刃一枚」そして小さな「太めの針金一巻」をくれた。
店のコーナにある喫茶室で朝食を摂った後、午前8時丁度に町の東南から森に入った。日本は皺曲(しゅうきょく)と火山噴火によって構成された列島のため、台地の殆どは急勾配で、特に山の南斜面は日当たりが良く、森には雑木や熊笹、そして背丈ほど伸びた雑草が密生している。
森というよりは山林である。それに比べると北欧の森はどこまで行っても森林である。起伏がゆるやかで、歩行は一見楽に見える。氷河が海に退却した時に表土は削り取られ、多くの所で岩肌が露出している。
岩に張り付くように生える苔は滑りやすく、5キロほど歩くとリュックが重く感じられ、10キロ進む頃には息が上がった。頻繁に後ろを振り返り、私の無事を確認してくれていたトミーは、渓流の音が聞こえてきた時に『水辺で昼食にしましょう。釣り具を用意して下さい』と言ってくれた。疲れていたが、私は彼の背中を追うしかなかった。
流水は澄み、トミーは掌にすくって水を飲んだ。私は「お腹を壊さないように」と神に祈りながらトミーの真似をした。トミーが疑似餌のついた釣り糸をビュンビュンと鳴らしながら川面に投げると、すぐにヤマメに似た魚が食いついてきた。私には海釣りの経験はあるが、疑似餌を使っての渓流釣りは初めてだった。何度やっても私の針には、一匹の魚も掛かってはくれなかった。
トミーは周辺で集めた枯枝で焚火をして、魚を細い棒に串刺にして焼いた。香ばしい匂いがしてきた。トミーは歩きながら採取した、イチジクの実と共に美味しそうに昼食をした。約束通り彼は一匹の魚も私に分け与えてはくれなかった。腹ペコの私は、トミーからもらったばかりのチョコレートで飢えを凌ぐしかなかった。早くも私は、「ロングトレイルに負けた」と思い知らされた。
午後からは歩きながらトミーの行動を注意深く観察して、キノコとビワを採取した。まだ明るさの残る午後4時に、小さな湖沼の水辺で夜営する準備にかかった。数メートル間隔で二つのテントを張ってから、湖水での釣りを始めた。私の針にも一匹の虹鱒がかかり、夕食の材料が確保できた。問題は、採取したキノコの料理方法だ。トミーは見つけてきたY字型の2本の小枝を50センチ程の間隔で砂地に深く差し込み、その間を水に浸した太めの枝を渡して、持参した吊るし鍋で火にかざした。キノコ野草スープが調理された。
一方、私が持参した柄の付いた鍋は使いようがなかった。トミーが糸鋸と釘、そして針金をくれたのを思いだして、先ず木製の柄を鍋から切り落とし、次に大きな石で釘の頭を叩き、なんとかアルミ鍋の上部に4つの穴を開け、針金を通して吊るし鍋らしき物に改造した。キノコと銀杏を空炒りする事ができた。
夜になって、リュックの中から固いものを抜き出して枕にしたが、どうにも具合が悪い。寝酒も無いので朝方まで眠れなかった。トミーはどうやって枕を作ったのだろうか? 古くから旅を詠んだ唄に「草枕」と言う言葉がさかんに使われることを思い出した。そういえば、彼は湖沼の淵に生えていた葦をナイフで刈取っていた。束にして枕を作ったに違いなかった。
二日目の朝には、トミーが私に小さなショベルをくれた意味も分かった。一面に落ちていた銀杏の葉も役に立った。サバイバル方法は少しづつ分かってきたが、睡眠不足も影響してか、疲労感は増すばかりだった。
二日目の夜が来た。近くの湖畔で夕方に刈り取った葦を、枕にして寝ようとしたが、バラけてしまって枕にならない。もらった針金は吊るし鍋に使ってしまっていた。そういえば、トミーは大木に巻き付いていた蔦をナイフで切り取っていた。それで葦を束ねた、と察しが付いた。しかし、外はもう真っ暗になっていた。二晩連続の寝不足では、三日目がもたない。考えに考えた末、ほどくのは面倒だが登山靴の紐の利用に思い着いた。
三日目は朝から雨で、トミーが『今日は休日』と言ってくれた。体力的には大いに助かったが、パソコンも携帯も無い小さなテントでの生活は、不快で窮屈そして退屈の極みであった。雨が小降りになった時、数メートル先のトミーのテントを覗いてみると、彼は大学ノートに一心不乱で書き物をしていた。私は遠慮して一旦は戻り、午後になって再訪してみると、彼の姿は無かった。小雨の中、遠出する訳は無いと思い、大き目な彼のテントで帰還を待った。
葦を束ねた枕の横に大学ノートが置かれていた。何もする事がない私は、悪いとは思いながらも彼のノートを開いてみた。小さな文字が数頁を埋めていた。何を書いているのだろうと文頭のタイトルを見ると、「自然環境への日本人の対応能力」と記されていた。そういえば、私の店で彼からもらった名刺の肩書に「生物環境学科・客員教授」と記されているのを思い出した。私は彼の恰好な研究材料になっていたのだ。
(次号に続く)
長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。