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2020.01.20
長井 一俊
クリスマスの夜、家族でおごそかに七面鳥を食べる慣習は薄れ、若人はカップルで外食し、大人達は隣人と集う。お蔭で私の店も深夜まで満席が続く。いつもは日本の曲を流すが、この時期ばかりはクリスマスソングに替える。
大晦日が3日後に迫った夕方、開店以来の常連客4人がそろって来店した。彼等は大学院生の頃、トウミネン教授の元で、電子回路を学んだ同級生達である。それぞれにガールフレンドはいるものの、4人が揃う時は女性抜きでやって来る。彼女達には4人の会話が退屈であるからだ。
その内の一人マッティ・ハロネンが『天気予報によれば、当分雪は降らないと言っている。道路に雪は積もっていないので、ヘルシンキに車で行って、大晦日の花火を見に行きません?』と問うてきた。私は例年、ロシアンクラブのメンバーと市庁舎の広場で、コケマキ河に上がる花火を見ながら新年を迎えるが、一度はヘルシンキの南湾で行われる花火大会を見たいと思っていたので、迷うことなく承諾した。
北欧人の殆どはアルコール好きだが、マッティは下戸で、運転はいつも彼の役目と決まっている。大晦日の夕方6時に、大型ワゴン車でヘルシンキに向かって出発した。ポリの町を離れるやいなや、助手席に座っている私の手元に半ダースのビール缶が回って来た。
盆暮れの帰省ラッシュが無い北欧では、大晦日の高速道路の交通量は普段と変わりなく、一度として渋滞に巻き込まれること無く、目的地のヘルシンキ南湾に到着した。車中の4時間、私達は道路上にも路肩にも雪を見ることは全くなかった。当然、私達は地球温暖化について語り合うことになった。
会話は『マスターはいい時代に生まれましたね。結婚しても、私達は子供をつくるべきかどうか考えてしまいますよ』と言う、マッティの愚痴から始まった。呼応するように『ずるいですよ、世界中の中高年の人達は! 地球温暖化を心配していると言いながら、自分達の生きているうちは、顕在化しないだろうと高を括って、経済発展ばかりに重きをおいている。これでは地球温暖化は止まりませんよ』と後部座席から耳の痛い意見が聞こえてきた。
『貧しい国とその民は、“少しでも楽な暮らし”、裕福な国とその民は、“もっと贅沢な暮らし”を望み、地球温暖化対策は二の次です。
その結果、選挙戦では地球温暖化対策を唱える候補者には票は集まらず、経済発展を掲げる候補者の多くが勝者となってしまう』
『政治家は“手遅れ”とは言えないので、“化石燃料から脱却する為の新技術、例えば電気自動車や太陽光発電を促進させれば良い”と言う。しかし、電気自動車を走らせる為には発電所を増やさねばならないし、太陽光発電だって砂嵐や長雨で、機能しなくなる。この程度の代替エネルギーの開発では、山火事を家庭用消火器で消すようなものですよ』と手厳しい。
ビールが進むにつれて、エンジニアらしい意見が噴出する。『このまま温暖化が進みツンドラ(凍土)が溶け出すと、凍土を構成するピート(泥炭)からメタンガスが放出される。メタンガスの温室効果はCO2の25倍以上と言われ、地球温暖化は加速されてしまいます』
『高温により哺乳類のオスの生殖能力は落ち、個体数は著しく減少する。もはや経済発展どころか、人間社会の存続も危ぶまれますよ。それなのに、“凍結していた北極海の氷が緩んで、船舶による貿易が可能になる”と喜んでいる政治家や資本家もいる』
若者達からは楽観的な意見は全く出て来ない。話はさらにエスカレートして『ツンドラ層の下に形成されているメタンハイドレートが溶解すると、地球温暖化は暴走して、全ての生物は死滅しますよ。この全滅により、温暖化は終息しますが、地球の自浄力が復活して、地球上に生命体が戻ってくるのは、500万年先の話です』
若者達の意見を聞いていて、私がポリの町で仕事をはじめた頃の冬の朝はマイナス18度が普通で、寒い朝は内陸で-34度を記録した事を思い出した。今朝の温度はプラスの2度だった。緯度の低い温暖な国々では、この10年間で1~2度上昇したと報道されているが、北欧の気温は、数倍の速さで上昇している。ワイン用の葡萄の北限はドイツであったが、スウェーデンでも生育が確認されている。とんでもないことだ。
車の旅が、半年前の白夜の季節なら、こうも悲観的な会話にはならなかったであろう。11月12月と真っ暗で、雪明りすらないこの年末は、前途洋洋たる若者達の心を絶望の淵に追いやってしまっていた。それでも、ヘルシンキが近付くと、打ち上げ花火が遠くに見え始め、『今日のところは花火を大いに楽しもう』と言って、この年の最後の乾杯をした。
マーケット広場のすぐ前に広がる、エテラ港上空の花火大会は見事だった。花火が美しくあがる気候条件は限られている。豪雨、強風は勿論、無風の時ですら不向きとされている。風が全く吹かないと、花火が煙に包まれてしまうからだ。その点、この夜のヘルシンキは快晴、乾燥、微風と最高の条件が揃っていた。特にフィンランドの一国の地形を描いた花火(写真)には感動させられ、車中での暗い会話を一度に晴らしてくれた。
あまりにも鮮明に描かれた花火の図柄を見て、私は打ち上げ現場を訪ねて、花火玉と発射筒を見せてもらった。かつて新潟の長岡で見た、花火師によって作られた真円の球と、木製の手筒を私は思い描いていた。しかし、私が目にしたのは小型ロケット砲の様な花火弾と金属の連射台、その周りを忙しく動き回るエンジニアの姿であった。
そして年度が変わろうとする瞬間、この日一番の大輪の花火が上空を覆った。見物客達は、完成と共に隣に立ちつくす異性と思い切りハグを交わし、この瞬間の喜びを分かちあった。この結果、人生を棒に振った人も少なくないと聞く。
長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。