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2020.05.12
長井 一俊
フィンランドの本格的な春は5月1日のメーデーで始まる。この国がEUに参加して以来、かつての「労働者の日」のイメージは失せ、“ヴァップ”と呼ばれる春祭りの一日となった。ポリの中央広場は、風船を持った子供達や、白い学生帽を被った若者達で埋め尽くされる。
4月のイースター(復活祭)から、レストランは書き入れ時で、長かった冬の不景気を取り戻すべく、従業員も私も休日を取らずにメーデーの後も働き続けていた。
そんなある日、養子のパナをつれてオウル市に移り住んだサイヤから「5月20日にパナは7才の誕生日を迎えます。バースデー・パーティに参加して頂けませんか?」とのメールが入った。
従業員を休ませてあげようと思っていた私は、3日間の休みを取り、一度は訪ねてみたかった「北欧のシリコンバレー」と言われるオウル市に行くことにした。
オウル市は北緯165度線上にあり、車で2時間も北に走れば、北極圏に入る。現在の人口は20万余であるが、このまま伸び続けると、ロシアのムルマンスクを越して、世界最北の最大都市となる日は遠くない。
多くの地方都市が過疎化する中、オウル市だけは奇跡と言える程の、急速な発展を続けている。国と市が協力しあって、多くの大学とハイテク企業を強力に誘致し、税制面での優遇措置、安価でかつ快適な住宅を用意したのである。目論見は当たり、各地から新興企業や若者達がやって来た。
企業は企業を、若者は若者を呼び、カップルが出来て子供が誕生し、新家庭が続々と生まれた。人口の増加により商業も物流も活発になり、陸路や空路の利便性が増し、上昇へのスパイラルを辿ったのだ。
ポルトガルやスペインでは多くの地方都市が、EU内の年金生活者を勧誘して、過疎化を回避しようとしているが、オウル市のやり方に比べると、あまりいい策では無さそうだ。
オウル市にも心配はある。北極の氷が、暖かなメキシコ湾流を呼び込んでいる為、オウル市は緯度が高い割に、寒さはやわらいでいる。しかし、地球温暖化により北極の氷が解けてしまえば、メキシコ湾流は来なくなり、オウルの町は再び氷河期に見舞われてしまう。それでも、ハイテクを身に着けた若者達は、それをも克服する心の準備をしている。
オウル市での二日目、私はパナの小学校を見に行くことにした。パナはフィンランド語を全く話せないが、臆することなく、よく遊びよく笑う。その上、周囲にいる生徒を集めて踊りを教える。彼女の踊りはバレーでもなければ、かといってジプシー・ダンスでもない。シベリウスのフィンランディアが流れてくれば、曲に合わせた即興の振り付けもする。パナを見ていると、人のDNAは体型や病理だけではなく、明らかに民族の習性も遺伝するとしか思えない。
人間を犬と比較するのは適当ではないが、ブリーダーは大人しい犬どうしを掛けあわせて、より大人しい犬を産ませ、ペットとして飼い易い犬を造っているようだ。即ち、哺乳動物では、性格も親から子に遺伝するのは明らかだ。
サイヤの母国語であるハンガリー語(マジャル語)は、フィンランド語と同様にフィン・ウラル語派に属しているが、会話が出来るほどには似てはいない。パナの母国語であるブルガリア語は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語派であるから、二人は言葉による意志の疎通は無い。しかし、全く不便は感じていないようだ。二人とも表情、手と身体の動きで互いの考えが分かりあえるのだ。時々サイヤがパナに対して口にするのは英語であった。
パナはズボンが嫌いで、裾の広がったスカートをいつも履いている。体の回転にあわせて裾が広がるのを楽しんでいるのだ。サイヤはスカートの裾にフリルをつけてあげようと、ラウマ織のレースを習い始めた。すっかりお母さん業を楽しんでいる。
サイヤがフィンランドに移住してからの、EUでのサイクル・ツアー・ビジネスが、遠隔操縦によりスムーズに行なわれているかどうか、私は大いに興味を持っていた。
ところが彼女は、ツアーに充てていた時間を、ネットによる広報宣伝に向け、ホームページを刷新し、過去の参加者と頻繁にメールを交わし、その結果、新規顧客とリピーターにより、わずか1か月で年間スケジュールは埋まっていた。
サイヤから受け継いだEU内でのツアー・コンダクターは、元々自転車が大好きで、サイヤが作ったマニアルにそって見事に旅程をこなしていた。歩合給が入るので、楽しくて、やりがいのある仕事だった。顧客数の増加に見合う、複数のツアー・ガイドを募集する計画を早くも立てている。きっと瞬く間に応募者が集まるであろう。
ビジネスにおける私のモットーは、「少し価格が高くとも、品質が良ければ、客は必ずついてくる」であった。しかしサイヤは、非常に安い価格で、質の良い商品を作り、新市場を開拓してしまった。こんなニュー・ビジネスが成立したのも、一重にEUというパスポート無しに人と物が往来できる自由圏が出来たからだ。
しかし、このEUにも深刻な亀裂が入りつつあった。一律の貨幣を使用するユーロ圏では、ドイツのような勝ち組と、ギリシャのような負け組が生じた。イギリスはEU政府に縛られるのを嫌い始めた。中東からの避難民の受け入れをめぐって、各国の足並みが揃わない。かつて、ドイツ生まれの経済学者カール・マルクスの理想に沿って建国されたソビエト連邦が、アッと言う間に崩壊してしまった歴史を、私は目の当たりにしていた。
踊っているパナを見ながら『ウイーンかベルリンで、本格的に舞踏を習わせたい』とサイヤは言う。二人とも、魂が赴くままに生きている。私はそんな自由な生き方が出来るEUが、末永く存続する事を願ってやまない。
長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。