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2020.06.08
長井 一俊
北欧には梅雨が無く、6月は一年中で最も快適な季節である。私には少し肌寒く感じるが、若者達の多くは早、半袖で街を闊歩する。
そんなある日、半年ぶりにボビンが隣家に住む女学生のキーラを連れて来店した。ボビンは4年ほど前に日本に行き、銭湯で肩のタトゥーを咎められた30前半のOLである。ボビンは私の前で、ピンクのTシャツの袖をまくり右肩を私に見せながら『タトゥーは消えたでしょ』と言った。
訳を聞いてみると、『昨秋、長年付き合ったボーイフレンドと別れました。今、私は別の男性とお付き合いを始めたところです。過去を引きずりたくないので、タトゥーを消しました』と答えてくれた。親からもらった身体に、刺青を入れるのは、「馬鹿げた行為だ」と思う私は、彼女に『タトゥーを入れたのはミステークでしたね』と嫌味を言うと、彼女は恥ずかしそうに、首を縦に振った。
しかし、隣に座っていたキーラが『タトゥーもピアスも恥じる事はないわ。私を見てよ』と言って、七分袖のシャツをまくり、口を半開きにして、舌を出した。腕には、SUOMI(フィンランドの自称国名)と国旗の刺青、舌には小さく丸い銀色のピアスが輝いていた。
戦後間もなくして、日本の女性も耳に穴を開けて、ピアスのイヤリングをし始めた。それを見た私は、子供心に「痛そう!牛みたいだ!」と感じたのを覚えている。今では耳のピアスを見ても、何も感じなくなったが、舌のピアスを見ると、黴菌が入って病気になるのではないか?と大いに違和感を持つ。
北欧人、特にフィンランド人は律義で潔癖である。しかも教育や医療に対する見識が高い。タトゥーは針を刺し、ピアスは穴を開ける医療行為のはずだ。しかし現実には、まるでお茶を楽しむような“パーラー”とか“ショップ”と呼ばれる場所で気軽に行われているのは理解しがたい。
キーラは私に『私は今大学で、世界文化史を専攻しています。釈迦牟尼は長い福耳の下部に、大きなピアスのイヤリングをしています。クレオパトラの眉もヘナと言われるタトゥーの一種で描かれています。ピアスもタトゥーも長い歴史があるんです』と私に挑むように言った。
ボビンは『日本に行き、タトゥーは罪人に彫られていた事を知りました。しかし、それには人道的理由があって、江戸は火事が多く、入牢者の焼死を防ぐために一時的に牢屋から解き放した。刺青を入れておけば、戻って来ざるを得ないと考えた。その結果、かなりの確立で罪人が牢に戻って来たと聞きました。
ファッションでも、身体に傷をつけて、私のように後で後悔するのは、愚かだと思いました』と日本人の私を立ててくれた。
私は『ファッションは企業が新商品を売らんが為の、策謀ですよ。人間、特に若者はあきっぽくて、普遍の美意識を持つ事が出来ない。その習性を利用して企業は次から次へとファッションを生み出すのです』と言う持論を展開した。
すると、キーラは『ファッションは時々の、若者の好みを象徴していて、身体は自己主張する為のキャンバスなんです。他人に迷惑を掛けているわけではありません』と反論した。
私は学生に負ける訳にはいかない。『この店にやってくる多くの医者が、沢山の若者が刺青を消しに来る。女性は、新しいボーイフレンドが出来た時か、母親になった時だ。男性は、会社や軍隊で昇進したい時だ』と私は痛いところをついた。
タトゥーの消し方には、皮膚をはがす方法。皮膚を移植する方、皮膚を少しづつ削る方。レザー光線により色素を分解する方等がある。ボビンの場合は大腿の裏の皮膚を移植したという。
タトゥーやピアスよりも気になるのは、マリファナである。既に欧米では多くの国や州で、合法化されている。私はアムステルダムを旅行した時に知り合った地方議員にその訳を聞いてみた事がある。答えは「マリファナの吸飲者を牢に入れたら、重罪犯を入れる所が無くなってしまう。それに、政治家や役人が犯罪者の親になってしまうのは、まずいでしょう。だから若者のファッションの一つとして、グレーゾーンに入れて、大目に見ているのです」と言うものだった。そう言えば、日本にもヤクザとか風俗と呼ばれるグレーゾーンで生き延びている人々もいる。
日本が大金を投じて東京にオリンピックを誘致する目的は、日本がその後に観光立国として、税収を上げる事に他ならない。その為には、グレーゾーンにあるファッションを甘受せねばならない。日本の売りである温泉に、「タトゥーをしている人は入れない」では、観光立国にはなれないであろう。
日本には古くから、大相撲を始めとする種々の番付表がある。その中の一つに「嘘八百番付」というのがある。その上位にランクされている嘘に「貴男の稼ぎは気にしないと言う嫁。貴女の過去は気にしないと言う婿」が上位にランクされている。さて、貴方の婚約者や再婚者が『私は身体にタトゥーもピアスもあります。時々マリファナも楽しみました』と告白されたら、貴方はどう対処しますか?
長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。