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2017.07.10
長井 一俊
北欧では夏至祭をヨハネ祭と呼び、「愛の日」とされている。市民は皆、森か湖畔にある別荘で過ごし、若者は恋人同士で野外キャンプを楽しむ。私は毎年夏至が近づくと、青春真只中のウエイトレス達に「いつから野外キャンプに行き始めたの?」と聞く。(アメリカならプライバシーの侵害で訴えられかねない) 娘達はその質問を待っていたかのように、口を揃えて「母から“14歳になるまで、ボーイフレンドを持ってはいけません”と言われました」と答える。チョット早過ぎるのではないか!と文化の差を再認識する。
夏至の休暇中、街から人影が消える。それを知らなかった開業一年目は、開店休業の憂き目に遭った。そこで翌年からは私も3日間の夏至休暇をとることにしている。今夏は亡霊の出ると噂される館に、私を誘ってくれた老婦人ドリスとその夫エルモの3人で1泊の旅をする事になった。
ポリから北北東に2時間程ドライブした後、右折して細い私道に入った。悪路を10分程走ると、湖畔に建つ白い大きな館に到着した。隣家からは8キロ以上離れているという。よって電気は自家発電、ガスはプロパン、水は湖からポンプで吸い上げ、浄化して使っている。建てられてから300年、確かに亡霊が出そうな館である。オーナーは何度も替わったという。
キリスト教の国々では、日常は世俗的であるが、教会では何かにつけ『神と子と精霊の御名のもとに』と言い、結婚式では、『神に誓いますか?』『はい、誓います』と約束を交す。国の宰相の演説も『神のご加護を!』で終わる。神や精霊は確かな居場所を与えられているのだ。
かつては日本でも「イタコ(盲目の巫女)」と呼ばれる、社会から認められた霊媒師が存在していた。しかし、現在の日本では、地方での神事も観光客を呼び込むための、エンタメ化されたお祭りになっている。葬式でさえ、縮小化や簡略化が進んでいる。神仏も霊も立つ瀬がない。
夕食に出た子鹿の肉料理は美味しく、赤ワインも上物であった。デザートのベリーケーキを食べながら、ドリスは私に『心霊現象で代表的なものは、家具や家屋が突然揺れ始める「ポルターガイスト」です。1977年にイギリスで起きた「エンフィールド事件」は、映像や録音テープが証拠として現存し、信憑性の高い心霊現象とされています。 Conjyurin(呪い)の名で映画化されているので、貴方も一度見て下さい。(日本では「死霊の館」のタイトルで上映された)
次に、ドッペルゲンガー (Doppel Ganger) でしょう。私が学び始めた頃は“地球の裏側に自分とそっくりな人が住んでいて、なにかの拍子でその人と遭ってしまったら、どちらかに死が訪れる”と言うものでした。ところが最近では、精神科や心療内科の医者たちが“複数の人格を持った障害者に起きる脳内現象”と、つまらない事を言う様になってしまいました』と話してくれた。
オーナー・シェフは夕食の片付けを終えると、20キロほど離れた自宅に戻って行った。帰りがけに彼は、『発電機は夜の12時から朝の6時迄、停止する様にセットされています。なるべく早めに就寝して下さい。朝食は7時からです』と言った。
この館を正面から見ると、2階建ての1軒家の様に見えたが、ダイニングのある正面の館と裏側にあるホテルの館はアーチ型の短い廊下で繋がっていた。その廊下の天井には枯れてしまった蔦が幾重にもこびりついていた。そこを通過する頃から私は、現実から亡霊の世界に足を踏み込んでしまったようだ。ご夫妻は1階に、私は2階の部屋に泊まる事になった。身分の高い人が宿泊したのであろうか、部屋は非常に広く、天井も高かった。テーブルや椅子は猫脚で、他の全ての調度品もロココ調で統一されていた。
透明のステンドグラスの窓を開けてみると、眼下に小川が流れ、すぐ傍の湖に流れ込んでいた。傾斜は急で、ひきずりこまれそうな感じがする。300年の長い間には、遊んでいる子供が、湖に流されてしまってもおかしくはない。流されてしまうと、流圧で湖の沖合まで運ばれてしまう。それが故か、「夜中になると湖の方から子供たちの泣き声や、助けようとして自分も溺れてしまった女性たちの悲鳴が聞こえてくる」という噂が付きまとっているのだ。
オーナー・シェフが言ったように、12時丁度に発電機の音が止み、同時に電灯が消えた。明るいと眠れない私は11時頃から、窓の内側に取り付けられていた木製の扉を閉めていたので、部屋は真っ暗になった。
早く寝ようとしたが眠れない。しばらくすると、魂が凍るような、低く長い“ヴオー ヴオー”と言う音が聞こえてきた。子供の頃、宵っ張りだった私に祖父から『昔から、“鵺(ヌエ)が鳴く夜は、人が死ぬ”、っていう恐ろしい話があるんだ。だから、その前に早く寝ちまいな』とよく聞かされた事を想い出してしまった。これが鵺の鳴き声なのか? 私は恐ろしさで、増々眠れなくなった。すると噂通り、遠くから子供の泣き声や、女性の悲鳴が聞こえてきた。
木製の内窓を開ければ明るくなるだろうと思って、ベッドから降りたが、方向感覚が失われていて、進む方向が全く分からない。立って歩くのは危険だ。鏡に頭をぶつけたら大変な事になる。私はヒザを床に付け、頭を低くしてゆっくりと這った。それでも、飾り棚に肩をぶつけ、テーブルの脚に頭を擦った。恐怖で体中の筋肉が段々硬直し、這う事すらできなくなった。金縛りになったのだ。私がキリスト教徒で、十字架の首飾りを持っていたら、それをかざして、悪霊を討ち払う努力をしただろう。
私が出来た事は、法事以外では口にした事の無い「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱えることだけだった。長い長い時間が過ぎると、突然発電機が唸り、電灯が部屋を明るくした。私はベッドから遠い、鏡台の前で体を小さく丸めて震えていた。
朝まで生き長らえた事を仏に感謝しながら、痛む体をゆっくりとほぐしてから、ダイニングに行った。ご夫妻は既に食後のコーヒーを飲んでいた。冴えない私の顔を見て、ドリスが『外が明る過ぎて、眠れなかったでしょう? 夜行性のフクロウは変な声で鳴くし、それに宵っ張りの小鳥達が夜鷹に襲われて大騒ぎでしたからね』と言った。
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」 地球の裏側でも俗界と霊界の関係は、似たり寄ったりだった。
長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。