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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン

2017.09.04

【世界最北の日本レストランーフィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(84)】恋人業!?

長井 一俊

採取前のザリガニ

 9月になるとポリの多くの市民は、友人たちを誘ってザリガニ・パーティーを開く。ザリガニは湖周辺の小川で沢山取れる。採取は例年、7月22日から9月末日まで解禁される。条例がよく遵守されているため、個体数は維持されている。日本人が暑さを乗り切るためにウナギを食べるように、北欧では厳しい冬に立ち向かうための栄養食としてザリガニを食べるのだ。伊勢エビや車海エビと比べると、身は少ないが、味は悪くは無い。

 私の子供の頃はザリガニではなくエビガニと呼んでいた。蟹のように大きいハサミを持っているからだ。フィンランド語ではザリガニを“ラプ”(海老)と呼んでいる。ちなみに南の島に沢山いるヤシガニも海老である。

調理後のザリガニ

 9月半ばに招かれたザリガニ・パーティーでは、参加者が持ってきたザリガニの量が多過ぎて、私が持ち帰ることになった。

 私のレストランは朝11時に店が開くが、このところ最初の客はきまって、30歳ほどの女性で、起き立てのスッピンで来店し、カウンターに座り“日替わりランチ”を注文する。シェフのお任せなので、前日の食材の残りを使って、「炊き込みご飯」や「和風チャーハン」に肉か魚のグリルを添えればOKなので、店の利益に貢献する。ランチ客が来る12時迄に、彼女は帰ってしまう。ランチを控えて猫の手も借りたい程の忙しさなので、私には彼女をじっくり観賞する暇などなかった。ただ、暗く寂しそうな横顔だけが印象的だった。

ザリガニ・パーティー

 ザリガニ・パーティーの翌朝、日替わりメニューとしてキノコと帆立の「炊き込みごはん」、ザリガニを二つに割って、味噌汁の具として、大きめな椀に入れて出してみた。口を利いた事の無い彼女が「とても美味しかった」と言ってくれた。シェフは美味しいと言われることほど、嬉しいことはない。急に親近感を憶えて、『お名前は?』と聞いてみると、“アグネス”と答えてくれた。正面から見ると予想以上に端正な顔立ちをしていた。

 翌日からアグネスは薄化粧をしてくる様になり、私は仕込みをスタッフに譲りながら、彼女と話す時間を増やしていった。ある時私は失礼と思いながらも『ご職業は?』と聞いてみると、『恋人業です』と言う返事だった。初めて耳にする職業なので『一体何をするのですか?』と、思わずつっこんだ質問をした。『長話になるので、ここではお話し出来ません』と答えたので、『次の月曜の休店日に、お食事に行きませんか?』とダメもとで誘ってみた。すると意外にも『週末以外ならご一緒できます』とすんなりと答えてくれた。

 約束の時間に、私が指定したスペイン料理店の‘アンダルシア’に来てくれた。食事の後、ワインを飲みながら、彼女は次のように話してくれた。: 私はバルト海を挟む、エストニアで生まれ、7歳になる1987年に父母とフィンランドに移住してまいりました。大工をしていた父の工賃が3倍になったからです。

 私が15歳の時に両親は離婚し、母の元で暮らす様になりました。その母が再婚した時、私は通学していたカレッジのそばのアパートで、一人住まいを始めました。西洋史を専攻しながら、演劇部に所属していましたが、エストニアなまりが治らず、舞台女優になることは諦めざるをえませんでした。
 
 卒業後、OLとして電話局で働きました。単調な仕事に飽き飽きしていたある晩、友人と行ったパブで、かつて憧れていた演劇部の先輩に会いました。彼は『離婚して、今は一人暮らしです』と言ったので、私は彼を自宅のアパートに招待し、夕食とワインを振る舞いました。結局彼は、私の家で一泊しました。
  
 翌朝、彼は帰り際に私に200ユーロくれたのです。200ユーロと言えば私のアパート家賃の半月分にあたります。離婚した父や、再婚した母から援助は受けていましたが、生活は楽ではなかったので、後ろめたさもありましたが、そのお金を受け取ってしまいました。“妻は報酬を一括でもらい、娼婦は分割でもらっているだけの差”という、都合の良い言い訳を想い出したからです。

 彼は月に2度ほど来宅し、その度に200ユーロを置いていってくれました。時々友人と行くパブやクラブで、バツイチの男性から沢山の声が掛りました。その中で、私が気に入った人だけとおつきあいを始めると、結局は4人の恋人が出来て、月に400ユーロずつ合計1600ユーロ貰うことになったのです。全員がバツイチなので、不倫ではないし、妾(めかけ)でもありません。私の作ったカレンダー通りに、月2回ずつ訪ねて来る恋人たちになったのです。

 私は昼に料理学校に通っています。調理課程を終えて、今はバーテンダーの実践授業として、ホテルで働いています。お給料はもらっていませんが、外国人客から少なからぬチップが入ります。恋人たちからの1600ユーロとホテルでもらうチップを足せば、OLの月収と同じ程度になります。私の夢は、いつか貴男の様にお酒が出せるレストランを持つことです。

 この国では皆、マイナンバーを持ち、成人すれば確定申告をせねばなりません。私はホテルでのチップ収入の名目で、OL時代と変わらぬ額の税金を収めています。ですから、老後の年金は人並みにもらえるでしょう。

 会話の途中、店のドアが開く度に彼女の顔に暗い影がさし、顔をそむける仕草を繰り返した。やはり、心のどこかには疾しさが残っているのか、もしくは恋人の誰かに見られてしまう事を恐れていたからかでしょう。

 思うに、日本やアメリカなら、成金男性が彼女を独占してしまうに違いありません。累進率が高く、所得に格差の無い北欧だからこそ、恋人業は成立しているようだ。

 ちなみに、北欧では組織売春やジゴロは犯罪だが、娼婦個人にはお咎めは無い。テレビで堂々とコマーシャルを出しているコールガールもいる。その点、アグネスは公共の場や電話で客引きする事もなく、4人の恋人達に限定して、通常の恋愛関係を皆と維持している。まさに彼女の仕事は恋人業なのだ。アグネスの生き様を不道徳と言えば、それまでだが、立派な納税者であり、人生設計も出来ている。働かず、親に頼るパラサイト男性や「玉の輿にのって、贅沢三昧の生活をしたい」と思っている女性より、よっぽど健全かもしれない。
 
 翌年日本に帰国すると、割賦や維持費を軽減するために、自動車を共同所有する“カー・シェアリング”が普及し始めていた。この言葉を耳にする度に、アグネスの哀愁と幸せが交叉する横顔が想い出された。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE

慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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