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2017.10.02
長井 一俊
10月は北欧でも収穫の秋。手入れを全くしない私の庭の林檎の樹ですら、たわわに実を結ぶ。それを知らない年配の女性客達が次々に、私の店に袋いっぱいにつまった林檎をプレゼントしてくれる。
甘くて大きい林檎を食べ慣れた私達日本人には、とても食べられた代物ではない。彼女達は、口を揃えて「一日一個の林檎で医者要らず」という古い英国の諺を使う。私の健康を心配してくれる親切な人達に、“いりません”とはとても言えない。
居合わせた常連客の内科医が、ご婦人の帰りを待って、『あの諺は私にとっても、実に不都合です。軽度な胃炎を患った患者が、すぐに来院すれば良いものを、“自分は林檎を毎日食べているから医者は要らない”と言って、胃潰瘍になるまで来院しない人が多いのです』とカウンター越しに私に言った。
私はもらった林檎に砂糖とラム酒を加えてジャムをつくり、瓶詰めにしてご近所に配る。ラム酒のお蔭で評判は良く、楽しみにしてくれている人もいる。多くの家庭では自家製のジャムを作り、人からもらった瓶に入れて、友人達に配る。時として私がデパートで買った瓶が戻って来る。そこで私は、古い諺をパクッタ。「瓶は天下の回りもの」
諺は、「世代から世代に言い伝えられる簡潔な言葉」と辞書にある。すぐに忘れさられる流行語は諺ではない。諺はよく格言と比較される。どちらも形式に縛られず、文字数の制限もない。ただ格言の方は内容が教訓的で、金言などと言われるものも多い。一方、諺の意味するところは雑多で、偏見や底意地の悪いもの、単なる愚痴や恨み節も含まれている。古いジョークも諺のうちであろう。私は諺をこと(言)わざ(術)と理解している。語り継がれる理由は、どこかユーモラスで一理あって、周囲の人達に思わず言ってみたくなる。よって時には、差別や格差を助長したり、産業振興に弊害となる例もある。
大都市への人口の集中は、世界の傾向である。地方の自治体はテーマ・パークの建設や、ふるさと納税の振興などにより過疎化を防ぎ、地方財政の回復に努めている。民間レベルでも、地ビールの開発や、グルメ祭り等、飲食による集客が各地で企画されている。しかし日本では今も「名物にうまいもの無し」という諺はしっかりと残っていて、はなはだ不都合だ。
日本農業の最大の悩みは、日本人の「お米離れ」である。戦前の日本人は毎日、一人三合を消費していた。現在の日本人は一合を二日かけて食べるのがやっとだ。そこで、日本米の輸出を官民一体で促進しようとしている。しかしタイミング悪く、アメリカ発の「肥満の原因は、炭水化物の取過ぎ」が世界中に流布され、常識化している。昔はスリムだった日本人が、戦後は肥満化している。原因は明らかに、欧米化による肉食中心の食生活にあって、現実とその説は大きく矛盾している。実に不都合なこの言葉は次世代に言い伝えられて諺になろうとしている。
北欧では累進率の高い税制のため、高額所得者がいない。そこで贅沢なデザイナーブランドの服は買えない。その鬱憤を晴らすかのように、「ブランドはセンスの無い人の逃げ場」、「ブランドは二流品に付けられたスタンプ」、極めつけは「ブランド好きはすぐに離婚する」と言われている。19世紀にイギリスで活躍した作家オスカー・ワイルドの「流行は人を疲れさせる。だからすぐにすたれる」と符号している。しかし、デザイナーにとっては、はなはだ不都合な諺である。そこで、大多数が中産階級である事を活かして、誰でもが買い易いストアーブランドを生み出した。スペインのザラや日本のユニクロを抑えて、スウェーデンのH&Mがアパレル業界で世界一の売り上げを誇っている。
時代錯誤の諺もいまだよく使われる。私が新しい事を企画すると、「やめなさい。“アイスクリームを北極で売るようなものだ”」といさめられる。ところが今や、北極圏にあるレイキャビックやロバニエミ、そしてロシアのムルマンスクの食品スーパーでは、アイスクリームは売れ筋商品になっている。
最近、少子化や核家族化などにより、お墓離れや檀家離れが深刻で、特に地方寺の存続が危ぶまれている。ところがいまだ、「坊主丸儲け」と言われ続けている。しかもここ10年、名曲「千の風になって」で、“お墓の下に私はいません”を意味する歌詞が諺化している。坊主達は「実に不都合だ」と嘆いている。
諺は、言という偏(へん)に彦という旁(つくり)で出来ている。彦は男子を意味する。よって、諺は圧倒的に男性に有利にできている。少子化が進むなか、日本の年金や保健制度を維持するためには、女性の社会進出が不可欠であり、女性の地位向上と、男女の賃金格差の是正が急務である。しかし「浮気は男の甲斐性」「英雄色を好む」「据え膳喰わぬは男の恥」等々、男に都合の良い諺が現代でもまかり通っている。北欧の女性上位社会に飼いならされた私には、次の様な女性に対する諺に、違和感を持つようになった。
「女の浅知恵」「女子と小人は養いがたし」「女三界に家無し」「女房と畳は新しい方が良い」「女三人寄れば姦(かしま)
しい」「行かず後家」・・・。国民歌謡の『舟歌』の中にも「女は無口の方がいい」という明らかに、女性を見下したフレーズがある。最近では「女が男より長生きするのは、財産を独り占めするため」が北欧でもささやかれている。
近年、これに対して女性も反撃する。「児童心理学は有るが男性心理学は無い!なぜなら児童心理学と同じだから」「男は不器用で一度に二つの事が出来ない。うちの主人は歩いているとタバコも吸えない」「世の中で最も醜いものは、女性に対する男性の嫉妬である」・・・。日本でも「亭主元気で留守が良い」等が、諺になろうとしている。
北欧人は、聖書に接するまで、文字を持たなかった。それでも面白い諺がある。狩猟やヴァイキングの時代から言われている「男は出兵し、女は戦利品を待つ」「男は狩りに出て、女は昼寝をむさぼる」。近世では「男は女の最初の恋人になりたがり、女は男の最後の恋人になりたがる」等と厳しい諺も生まれた。
仕事で長期海外出張が多かった若い頃、私が最も心配させられた諺は、十字軍の兵として戦場に行った夫の帰還を、待ちきれなかった御夫人が言った『私の最大の心配は、あの人が生きて戻ってくる事です』
長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。