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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン

2019.03.18

【世界最北の日本レストランーフィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(104)】ナンバー7の男

長井 一俊

雪解季節の木漏れ日

 雪解けは、春がそこまでやって来ている事を知らせてくれる。あと一月もすれば、レストランにお客が戻ってくる。しかし、経営者にとって最も苦しい時でもある。マラソンに例えると38キロ地点、登山でいえば8合目辺りだ。ゴールは見えていても体力の限界も迫っている。
 
 ポリの郊外にある、世界最大手のハンバーガー・チェーン店が撤退を表明した事も重なって、レストランの経営者達は一層心細くなっている。個人経営の小規模レストランに融資をする銀行は無い。その結果、多くのレストランは売りに出さざるを得なくなるのだ。
 
コケマキ河支流の雪解け そんなある日の午後、私の店に『今は混んでいますか?』という一本の電話が掛って来た。『一人の客もいませんよ』と答えると、その数分後に中年の男性が来店した。見覚えのある客である。カウンターに座ってメニューを取ろうと伸ばした左手に、金色の腕時計が光った。

 思い出した。数年前の新聞に掲載された長者番付で、この国で7位にランクされた中小企業のオーナーであった。近在からトップ10に入った人はいるが、ホッケーの有名選手とか、森林王と呼ばれる人達に限られていた。

 彼はメニューを見ながら『この店はいいな。客が誰もいないから』と、店主としては最も聞きたくないことを言った。

 この一言で、彼がいかに無神経な男であることが判る。 

北極圏の雪解

 彼は自社が輸入する電子部品の在庫が増え続けている事から、電子業界が不況に陥る事を察知して、取引先の株を空売りして、大儲けした成金である。空売りとは、自分が持っていない株を売り、その株が値下がりした時に買いを入れて、その差額を儲けることだ。「素人は実買で損をし、玄人は空売りで得をする」とも言われている。
 
 彼は、大胆にも取引先の株を大量に売買した一方、禁じられている「インサイダー取引」と、見做されはしまいかと、以来ずっとビクビクしている。

 彼は酔いがまわるにつれて、言わずもがなに『あの記事以後、スーパーに買い物に行くと“N0.7でもこんな処でお買い物をされるのですか?”とか、行きつけだったパブに行くと“うちにはN0.7に出せるようなワインの買い置きはありません”と皮肉られてしまうんだ。よく見にいったライブショーにも行けなくなったし・・・』と愚痴が続いた。
 
 私が『資金繰りを心配している私達から比べると、家でじっとしていても、銀行の利息だけで食べて行ける貴男が羨ましいですよ?』と言うと、彼は『自宅には慈善団体や教会の人達が頻繁に寄付を頼みに来るんだよ。私は居留守を使えばよいが、女房はそうはいかない。気弱な彼女は、酒の勢いを借りて寄付を断るようになり、今ではキッチンドランカーだよ』と首を横に振った。

 私も何人かの成金を知っているが、誰一人として幸福な家庭生活を送っている者はいない。自身が浮気を始め、妻はセレブとの交際を始める。家庭崩壊か仮面夫婦のどちらかに陥ってしまう。かつて人気映画の題名となった「名も無く、貧しく、美しく」と比べると、成金は「名を馳せ、高ぶり、見苦しく」人生を送ってしまうのだ。

 私は彼が息子を連れて店にやって来たことを思い出して、『貴男にはいいご子息もおられるし、万々歳ではありませんか』と言うと、『そうは行きません。フィンランドは相続税が高いので、三代先には身代は残っていないでしょう』と、遠い先のことまで心配しているのだ。帰りがけに彼は『その息子が先週、スポーツ・カーで人をはねてしまった、一体この先どうなってしまうのか・・・』と言いながら、うなだれて店を出て行った。

 彼の話を聞いていて、古典落語『水屋の富』を思い出した。江戸の下町で、水を売りながら貧しく暮らしていた親八が、富クジに当たった。長屋に住んでいる彼は、もらった八百両をどこに隠そうかと迷った。結局は畳の下に隠すことにした。それでも「空き巣にやられはしまいか?泥棒に入られはしまいか?」と日々心配が増すばかりで、毎晩悪夢にうなされた。
 
 隣に住む遊び人が、薄壁を通して毎朝聞こえてくる畳をはがす音に変だと気がついて、親八の留守中に忍び込み、八百両を盗んで行ってしまった。親八が帰宅して全部を盗まれたのを知って、『やっと今晩から安心して寝られる』という落ちで終わる噺である。

 私は会社経営からレストラン経営に仕事を変えた結果、苦労が続いているうえに、収入は激減した。しかしその分、もらった手形が不渡りになりはしないか、今年は社員にボーナスを払えるだろうか、の心配はなくなった。

 私が言うと、いつも大笑いされてしまうのだが、私の理想は、映画「歓びも悲しみも幾年月」の主題歌“♪・・・妻と二人で、沖行く船の、無事を祈って灯をかざす・・・♪”灯台守の一生である。私の人生がそうは行かなかったのは、妻がそうは思っていなかった、からだ。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE

慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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