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COLUMN コラム

ベトナムビジネスで見た景色

2017.08.21

【ベトナムビジネスで見た景色(32)】ビジネス感覚としての「日本人のアジア観」

小川 達大

 気付けば「これからはアジアの時代だ!」と、よく言われるようになりました。多くの場合は、アジア各国の経済的な成長の勢いに乗ろう、という文脈です。一方で、最近のニュースを騒がせているのも、「アジア」であります。これは、どちらかと言えば、物騒だなぁ…というような文脈。「アジア」に期待を膨らませていながら、同時に「アジア」に怯える。少し不思議なような気もします。話題の当人である「アジアさん」が、こちらを振り向いて、「ところで、『アジア』っていうのは、何のことを言っているんだい?」と尋ねてきたら、何と答えましょうか。

 様々な主張があるテーマですし、どの土俵(政治、経済、歴史…)に立つかによっても、語り方は異なるものでしょう。正直なところ、私のような素人が、手を出すのは「危ない」テーマです。しかし、東南アジアを中心に活動しているビジネスパーソンとしては、自分なりの答えがどうであれ、その問いを頭の中に置いておく、というのは必要だと、この点に関しては間違いがないように思いますので、筆を進める次第です。


 国家という枠組み自体が想像上のものであるように、地域という概念も想像上のものでしょうし、想像であるからには、想像する主体というものがあることになりましょう。ですから、日本人にとっての「アジア」と、中国人にとっての「アジア」と、タイ人にとっての「アジア」が違っていても不思議ではありません。試しにアジア各国で出会った人に「アジアというのは、どこからどこまでの地域を指すか」と聞いてみると、ほとんどの人が東の端は日本と答えるのですが、西の端はミャンマーであったり、インドであったり、トルコであったりと様々なのが面白いところです。あるいは、各国の人々の自意識や自我の中で、「アジア人である」ということがどれほどの割合を占めているかと想像してみると、おそらく、それほど大きくはないはずです。少し話題はズレますが、日本人がASEANと一塊で捉えることが多い一方で、東南アジア諸国の方々は余りASEANを意識していないように思います。そういう状況の中で日本人ビジネスパーソンがアジア各国に出向いて行って「同じアジア人として…」とアピールをしたり、協力を仰いだりしているわけです。これって、なんだか不思議ですし、危なっかしいことのようにも思います(自戒も含めて)。

 様々な立場の主張があるテーマなので確定的なことは言えないというのは前述のとおりですし、読者の皆様が活動の中心とする国や地域によっても実感していることは違うでしょうが、ここでは、「日本人のアジア認識」(並木頼寿(2008)山川出版社)という本に拠って、「日本人のアジア観」の変遷を追ってみようと思います。私が正しく理解をできているか、という不安もありますが、大筋を記載してみます。詳細は、書籍を手に取ってみてください。世界史リブレットというシリーズで、80ページくらいです。

 16世紀から17世紀にイエズス会の宣教師がキリスト教の東アジア布教を試みた際、宣教師らを通じて世界地理に関するヨーロッパ人の知識が中国(明・清)や日本に入ってきたそうです。中国(明・清)や日本でも、五大陸の1つとして「アジア(亜細亜)」という言葉が使用されるようになります。それまで日本人にとっての「世界」は、中国・インド・日本という三国が全てであったそうですが、その認識の枠組みが、ヨーロッパからの知識の流入によって変化していったということです。

 幕末期に清がイギリスとの間に起こしたアヘン戦争は、日本人の「中華」の世界観に大きな揺さぶりをかけることになります。日本人の中には「アヘン戦争を引き合いに出して、聖人の国(=中国(筆者注))がなぜ夷狄(=イギリス(筆者注))の後塵を拝するのかと問い詰める者」(並木(2008))もいたそうで、中国に対する感情が、単なる尊敬や畏敬のような単純なものではなく、複雑になっていく様子があったそうです。

 明治初期には、一部の知識人の間で、欧米諸国の圧力に対抗する「非ヨーロッパ」を示すものとして「アジア」という地域概念が意識されるようになります。しかし、彼らの考えに関して、「現実に存在するアジアの伝統やアジア社会の現状は、それこそまさに克服すべき対象であった」(並木(2008))と指摘されています。

 明治維新以降、日本は文明開化を成し遂げた国としての自尊心を高めていきます。その自覚を踏まえて、私たち日本を他のアジア諸国からは差別化しようという傾向が強まっていくことになります。なお、その傾向の底流には「『開化』達成への自負のみならず、巨大な大陸、ことに隣国中国にたいする一種の恐れの念があった」(並木(2008))という指摘は興味深く思われます。無視できない大国中国という存在が隣にあり、一方で自分たちの文明開化が進んでいくという中で形作られた感情や認識は、ポジティブ/ネガティブと単純に評価できるようなものではないでしょう。そして、日露戦争。日本の勝利は、日本を他のアジア諸国と区別し、自分たちが列強の一角を占めることになったという点を強調する意識を大いに高めることになります。

 その後の戦争に進んでいくなかで、日本は「欧米の植民地主義と共産主義を東アジアから駆逐して日本を中心に新たな地域秩序の形成」(並木(2008))をするという概念を「採用」するようになります。更に戦術上の要請から東南アジアへと戦線が拡大する中で、その地域の対象を、東南アジア全体へも広げていくことになります。

 以上、駆け足でしたが、「日本人のアジア認識」の(私が理解した)内容に拠ると、日本近代の怒涛の歴史の中で形成された日本人のアジア観は、「いったん自分たちを『アジア』から引き離して自尊した上で、その日本が率いる対象として『アジア』を捉える」、というものであったと、理解しました。

 いまの多くの日本人のアジア観も、この時に形成されたものの影響を少なからずに受けているように感じます。(世代による違いも大きいようにも思いますが…)「自分たちは、アジアだけどアジアではない」というようなところが見え隠れする、という言いますか…自分の胸に手を当ててみると、ドキリとするようなところはないでしょうか。例えば、ベトナムの従業員やビジネスパーソンと話すとき、自分の心の中にある「アジア観」は、どういうものでしょうか。

 冒頭にも申し上げたとおり、確定的な自分の考えを提示しようという趣旨ではありませんが、この問題の複雑さや繊細さに一緒に意識を向けることができればと思っています。読者の皆様のアジア各国事務所で働いている従業員や、これから協業しようと交渉しているビジネスパートナーも、彼らの過去や未来を踏まえた、同じように(それ以上に?)複雑で繊細な「アジア観」を持っているはずです。大きな世の中の流れとしては様々な議論が進んだり進まなかったりしていくわけでしょうが、今まさにアジアで活動しているビジネスパーソンとしては、そういう事柄への自覚と敬意が、まずは必要に違いありません。

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それでは、ヘンガップライ!

小川 達大

Tatsuhiro Ogawa

PROFILE

経営戦略コンサルティング会社Corporate Directions, Inc. (CDI) Asia Business Unit Director。同ベトナム法人General Director、同シンガポール法人Vice Presidentを兼任。 日本国内での日本企業に対する経営コンサルタント経験を経て、東南アジアへ活動の拠点を移す。以降、消費財メーカー、産業材メーカー、サービス事業など様々な業種の東南アジア展開の支援を手掛けている。ASEAN域内戦略立案・実行支援、現地企業とのパートナリング(M&A、JVづくり、PMI等)支援、グローバルマネジメント構築支援など。日本企業のアジア展開支援だけでなく、アジア企業の発展支援にも取り組んでおり、アジアビジネス圏発展への貢献に尽力している。
CDI Asia Business Unit

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