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2017.06.19
定森 幸生
前回に続いて、経営管理ツールとしての「コンピテンシー」の役割の限界と運用上の注意点を検証する際の視点を採り上げます。今回は(3)「ステレオタイプの回避」を考えてみます。
(3)高業績者の行動特性に対するステレオタイプの回避
人事制度にコンピテンシー・モデルを導入する主な理由は、高業績を挙げた社員の行動特性を、他の社員が「お手本」として同様の行動を起こすことによって、その社員にも高業績を挙げさせることを経営側が期待するからです。「お手本」に示された行動特性が具体的であればあるほど、普通の人にとって模倣(emulate)しやすい内容であればあるほど、管理職にとっても一般社員にとっても一定の説得力があります。また、高業績を挙げようという社員自身の動機を高める効果があります。
ただ、注意しなければならないのは、高業績が常にその行動特性と100%リンクしている訳でもなく、期待される行動を模倣した社員が常に高業績を挙げ続けることができる訳でもないということです。コンピテンシー・モデルは、観察対象となった職務・職責に関して高業績を挙げた現職社員(incumbent)に対するインタビューやアンケート調査などを通じて、高業績の実現に寄与したのと思われる目に見える職務上の行動特性を抽出し類型化したものです。その意味においては、過去と直近の成功体験に基づいた帰納的推論(inductive reasoning)によって導き出された結論に過ぎません。したがって、過去の成功体験だけに基づいたコンピテンシー・モデルが、将来の成功要因と短絡的というステレオタイプの認識に陥らないことが大切です。
ビジネス活動の成功・不成功は、現職社員(incumbent)個人に帰属した業務行動の特性だけでなく、その社員の取引相手との様々な関係性(プロとしての専門性や業界における認知度・影響力と共に、ひとりの人間としての器の大きさ、高潔さ、謙虚さ、対手の立場を尊重したempathyに基づく相互の敬意・信頼感などの有無)によっても、また刻々変化する市場動向や経営環境全般によっても大きな影響を受けるものです。
したがって、現実の市場経済のもとで、コンピテンシー・モデルが業績達成の成功確率を高めるためのツールとして有効に機能するためには、個別具体的な職務に限定された過去と直近の与件に基づく帰納的な視点だけでは十分ではありません。過去の実績や経験則はもちろん正当に評価すべきですが、それに止まらず、経営環境の変化に機敏に対応する企業の経営戦略の変化を踏まえた、将来志向の高業績達成の必要十分条件を検証し、“定数”としての経験則(=必要条件)と“変数”としての理論的な帰結として想定される将来の与件(=十分条件)に基づく演繹的なモデル設計がどうしても必要です。
コンピテンシー・モデルは、元来、事業戦略の変化による個別具体的な職務の改廃や業界規範の動向などによって、モデルの“賞味期限”は比較的短い(short-lived)という宿命があります。高業績達成の蓋然性の高い行動特性を、帰納的推論(inductive reasoning)と演繹的推論(deductive reasoning)の両方の側面から検証し、毎年の業績管理制度や業績評価制度の運用プロセスでその実効性を見極めることによって、コンピテンシー・モデルが企業の人事管理戦略のなかでの存在価値を高め、持続的な適用範囲を拡大することが可能になります。
その結果、部分的、表面的な行動特性を重視するステレオタイプを回避すると同時に、偶々高業績を挙げた社員の限られた行動特性を必要以上に高く評価し、その行動特性を模倣する社員を他の業績評価基準(performance appraisal criteria)に基づいて評価する場合に陥りやすいハロー効果(halo effect)を排除することにも役立ちます。
定森 幸生
Yukio Sadamori
1973年、慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産株式会社に入社。1977年、カナダのMcGill 大学院でMBA取得後、通算約11年間の米国・カナダ滞在を含め約35年間一貫して三井物産のグローバル人材の採用、人材開発、組織・業績管理業務全般を統括する傍ら、日本および北米の政府機関・有力大学・人事労務実務家団体・弁護士協会などの招聘による講演、ワークショップ、諮問委員会などで活躍。『労政時報』はじめ人事労務管理専門誌への寄稿・連載も多数。2012年に三井物産株式会社を退職後、グローバル・プラットフォーム設立。企業や大学の要請で、グローバル人材育成関連のセミナーやコンサルテーションを実施する一方、慶應ビジネススクール、早稲田ビジネススクールで、英語によるグローバル・ビジネスコミュニケーション講座を担当、実務家対象の社会人教育でも活躍中。