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2018.09.25
定森 幸生
報酬管理制度を設計する際、「社員区分」や「職務内容」や「業績」などに基づいて報酬金額を算定する技術的なメカニズムについて、全社的公平の観点から納得性の高い説明によって制度全体に対する社員の理解や当事者意識(sense of ownership)を得ることが大切です。そのため、役員は別として、基本的に全社員を対象に同一報酬体系(基本給、業績給、能力給などの支給項目)を平等に適用すべきという考えが一般的です。報酬管理は会社の人事制度の根幹にかかわる重要な要素ですから、出来るだけ多くの一般社員の共感を得られる努力は当然のことです。
日本の中堅・大企業の多くでは、長年に亘って新卒一括採用・社内研修や社員の年次・階層を中心とした配置や転勤や登用(昇進)などが人事制度の主体でした。そのため、制度運用に当たっては「平等主義」が是とされ、待遇や処遇面での「格差」の発生を極力回避することに心を砕いてきました。もちろん、そのこと自体には何ら根本的な問題はありません。
しかし、グローバルにビジネスを展開する場合、ホスト国の労働市場の状況や社会通念によっては、報酬管理制度を設計したり再構築する際に「平等主義(egalitarianism)」一辺倒ではなく、「少数(特定)精鋭主義(elitism)」が自社の競争優位性を高めるためにどのように役立つかという視点からの冷静な分析も必要になってきます。ホスト国に進出する日本以外の国からの企業の報酬管理制度の実情も考慮する必要があります。
報酬管理制度において「少数(特定)精鋭主義(elitism)」を端的に反映した代表的な金銭報酬(monetary compensation)には、自社株購入権(stock option)の付与制度や利益分配(profit sharing)の供与制度があります。企業によっては、これらの金銭報酬の特典は、通常、経営幹部や役員、一部の選ばれた社員に限定的に適用されます。それ以外にも、例えば営業職社員を対象に、他の職種の社員は対象にならない各種の奨励給(pay incentives)を適用する例もあります。
さらに、非金銭報酬(nonmonetary compensation)を制度化する企業の中には、社有車や社宅などの供与だけでなく、社員食堂や保養所などの厚生施設の利用についても、一般社員と一部の選ばれた社員との間で利用制限を設ける例もあります。これらの施策は、単に「格差のための格差」が目的ではなく、社内でどのような仕事ぶりや成果が評価され、会社がその実績にどれだけ手厚く報いてくれるのかを社員に実感させる効果に期待していることころがあります。また、社内の評価や認知が高まることで得られる特別なベネフィットの性質や程度を認識させることによって、社員の離職動機も抑制し優秀な社員の定着率(retention rate)を高める効果を期待する場合もあります。
その一方で、企業によっては、自社株購入権(stock option)の付与制度や利益分配(profit sharing)の供与制度を、一般社員にも広く公平に適用するところもあります。会社の業績の伸びは、経営幹部や一部のエリート社員集団の働きだけによってもたらされるものではなく、組織構成員全員の直接間接の貢献があってこそ実現できるという概念に基づく経営方針です。当然、組織収益の分配率も経営トップから一般社員に至るまで公平に適用する場合もあります。
そのような企業の中には、非金銭報酬(nonmonetary compensation)については、役員以外の一般社員の間で適用対象や適用機会に差を設けないところがあります。「平等主義(egalitarianism)」を重視する企業の多くは、業種の性質上、できるだけ多くの社員を頻繁に多業務に異動させて経験の幅を広げる必要性を感じている場合が多くみられます。つまり、第23回で採り上げた職務横断的統合(cross-functional integration)を通じて、社員に自分の仕事を他人の仕事と有機的に結びつける努力をさせることが、社内外での社員の雇用(任用)可能性(employability)を高め、会社の業績拡大にも資するとの経営判断が背景にあります。
上記の報酬管理制度上の「平等主義(egalitarianism)」と「少数(特定)精鋭主義(elitism)」の例は、主に米国企業の業況をベースに説明したものです。読者の中には、雇用差別には敏感な米国で、社内で一部の選ばれた社員を他の多くの社員と報酬面で「異なる扱い」することは、雇用差別に当たるのではないかと疑問に思われる方があるかも知れません。しかし、第32回で説明したとおり、「不当な差別」なのか「公正で合理的な区別」なのかの判断は、その「異なる扱い」の対象社員が属している社員区分(集団)が、それ以外の社員区分(集団)とは異なった待遇を受けるに相応しい合理的な役割や実績を共有しているか否かで決まります。
この判断の過程で大切なことは、特定の社員区分(集団)を構成する社員の職務属性や業務遂行の実態が、その他の社員区分(集団)との比較において、同一性または高い類似性が存在する状態(similarly-situated)であるかどうかを常に確認することです。「外形的な扱いの違い」イコール「本質的な差別」と短絡的に判断することのないようにしなければなりません。むしろ、「同一性または高い類似性が存在する状態(similarly-situated)」を斟酌しない「一見平等な扱い」が「不合理な差別」と解釈されるリスクも十分考えておくべきです。
定森 幸生
Yukio Sadamori
1973年、慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産株式会社に入社。1977年、カナダのMcGill 大学院でMBA取得後、通算約11年間の米国・カナダ滞在を含め約35年間一貫して三井物産のグローバル人材の採用、人材開発、組織・業績管理業務全般を統括する傍ら、日本および北米の政府機関・有力大学・人事労務実務家団体・弁護士協会などの招聘による講演、ワークショップ、諮問委員会などで活躍。『労政時報』はじめ人事労務管理専門誌への寄稿・連載も多数。2012年に三井物産株式会社を退職後、グローバル・プラットフォーム設立。企業や大学の要請で、グローバル人材育成関連のセミナーやコンサルテーションを実施する一方、慶應ビジネススクール、早稲田ビジネススクールで、英語によるグローバル・ビジネスコミュニケーション講座を担当、実務家対象の社会人教育でも活躍中。