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2018.01.09
齋藤 志緒理
前号では、タイ国のムスリムの居住状況や、公教育で宗教がどのように扱われてきたかを解説しました。今号では、タイ深南部のムスリムに向けたイスラム教育がどのように推移してきたかを、見てみましょう。
●マレー系ムスリムへの公教育の普及
タイ国では1949年に「イスラム中央委員会―各県イスラム委員会―各モスク委員会」が組織され、ムスリムとイスラム社会をタイ政府の下に管理統制していく体制が整いました。しかし、宗教教育に関しては、1970年代後半に入るまで、ムスリム集住地域である南部タイの国公立小学校・中学校の教育内容に、イスラム教への配慮は見られませんでした。
義務教育の実施以降、全国の児童は民族的な区別なく、初等教育を受けるようになりましたが、南部タイでは、(仏教の影響が強く、タイ語を教育言語とする)国公立小学校への就学率は低迷しました。1960年の段階で、(当時4年生までだった)義務教育を修了する児童が全国平均では約40%であったのに対し、南部国境4県では14%程度にすぎませんでした。
サリット政権は1961~1966年の第1次国家経済開発計画で、南部タイを開発重点区域に指定し、本格的な学校教育の普及を図りました。
これにより、南部タイでは小学校に通うムスリム児童が増加しましたが、多くの児童が、放課後や休校日に「ターディカ」と呼ばれるモスク内学校に通い、イスラム教の学習を補いました。また、一部の過激派は、公教育の普及を「イスラム教の宗教教育への介入」と見なし、1970年代には小学校教員の誘拐事件や校舎への放火事件などが頻発して、社会問題となりました。
●南部の公立小中学校でのイスラム教育
教育省は1975年に省令を告示し、1976年度より、第2教育区(南部国境4県「サトゥーン、パッタニー、ヤラー、ナラティワート」を所轄する教育行政機関)内の小学校において、初めてイスラム教育が、週5時間以内の課外教科として開講されました。開講の条件は児童の過半数がムスリムであることでした。(当初、科目によりマレー語、タイ語が使い分けられた時期もありましたが)「タイ語によるイスラム教育」という方針が打ち出され、教育用語や教科書にはタイ語が採用されました。イスラム教育導入の背景には「イスラム教の学習機会を設けることで、児童の小学校への就学を促し、タイ語やタイ文化の学習機会を提供する」というねらいがあったのです。
1990年代、南部タイでは、学校教育の普及やタイの経済発展に伴い、「分離独立運動の鎮静化」「タイ語の普及」「ムスリムのタイ社会への進出」など様々な社会的・政治的変化が現れました。こうした中で、1997年には伝統的教育機関「ターディカ」が初めて制度的に認められ、教育省宗教局の監督・助成が開始されました。
同じく1997年には、幼児教育段階から高等教育機関まで、全ての国公立学校において、イスラム服の着用が認められるようになりました。特に女子の場合、それまでの規制のため、中等教育段階で、私立イスラム学校(次項で解説します)を選択するケースが多かったのが、国公立学校へ進学する者が出てきました。また、同年、制度上は、南部タイ以外のどこの地域でも、実施体制が整えばイスラム教育が開講できることになりました。
1997年の時点で、南部国境4県の小学校総数の9割で、イスラム教育科目が開講されており、ムスリム児童のほとんどが公教育の中で、限られた授業時間ながらも、イスラム教育を受けられるようになりました。
(ここまでの参考文献:鈴木康郎「南部タイの国公立小学校・中等学校におけるイスラム教育の試み」『比較教育学研究第25号』,1999年.)
●ムスリム社会のイスラム教育機関
タイ南部のムスリム集住地区には、「ポノ」と呼ばれる伝統的な教育機関がありました。各地から集まってきたムスリムが住み込みでイスラムの教えやイスラム法制度、イスラム史などについて学習する場です。かつてパッタニーは、イスラム教育における東南アジアの中心地で、マレー半島で初めてポノが設立されたのは、アユタヤ時代、このパッタニーにおいてであったと言われています。ポノで学ぶ生徒たちは、衣食住を共にすることで仲間意識を育み、共同体的な絆を結びます。
タイ政府は1961年からポノの登録を促し、その際、タイ語による普通・職業教育の導入や学年制度の導入などを推奨しました。活動内容が優秀な登録済みポノには教育省が支援することとし、ポノの近代教育機関への改編を図りました。1961~1964年には171のポノが登録を行っています。(未登録のポノは非合法化され、1966年にはポノの新規設立禁止が閣議承認されました。)
登録済みのポノは、1965年に「人民イスラム学校」と改称(これにより未登録のポノとの区別が明確化)、1982年にはさらに「私立イスラム学校」と名称変更されました。私立イスラム学校は教育省の管轄下にあり、普通教育の中学校・高校に相当。ジャウィ語(マレー語の方言※注)でイスラム教育を、タイ語で普通・職業教育を実施します。(職業教育は「成人向けインフォーマル教育」の位置付けで、養魚、養鶏、裁縫などが開講されています。)宗教教育を午前中に、普通・職業教育を午後に行っている学校が多く、普通科課程では、公立学校と同様、数学・英語などの一般教科が教えられ、タイ語により、国王崇拝などのタイ的な文化要素が伝達されます。私立イスラム学校の中には、普通・職業教育を行わず、宗教教育のみを行うところもありますが、2006年には、普通・職業教育を行う学校の数が、宗教教育のみの学校数の2倍強となっています。
2001年以降、深南部におけるイスラム分離・独立活動が再活発化すると、タイ政府は、未登録の(非合法化された)ポノを分離・独立主義者の温床と見なすようになりました。政府は2004年、ポノを新たに「ポノ教育機関」として登録するよう呼びかけ、その結果2006年3月までに316のポノが登録を行いました。(この数字は、私立イスラム学校の数を大きく上回っています。)イスラム分離・独立活動との無関係を証明するため、自発的にポノ教育機関へと転換したポノもありました。ポノ教育機関の宗教教育のカリキュラムは、学年制がとられていない点を除くと、私立イスラム学校のそれと類似しています。授業はジャウィ語で行っているところがほとんどで、県(ないしは地域)のインフォーマル教育センターの管轄下、普通教育や職業教育を実施します。
※ジャウィ語=マレー語クランタン方言に近く、表記にはアラビア語を用いる。
●タイ政府の意図とムスリムの思惑
タイ政府は、初等教育の義務教育化(現在は前期中等教育までが義務教育)により、また、公教育の中にイスラム教育を取り入れることで、深南部のムスリム児童・生徒の就学率を上げることには成功しました。しかし、イスラム関連授業時間が少ないことや、教育言語がタイ語であることなど、ムスリム家庭の学習需要を十分に満たすものとはなっていないのが現状です。
義務教育レベルでは、私立学校より費用がかからない国公立の学校に就学し、放課後や休日に「ターディカ」に通ってイスラム教育を補充する児童が依然多いのが実情です。また、小学校卒業後(義務教育が9年に変わった後は、中学3年卒業後)、私立イスラム学校に進学する子どもは過半数を超えています。(小学校卒業後、65%が国公立中学ではなく、私立イスラム学校に進学しているという2001年のデータがあります。)
タイ政府は、教育を手段として国民統合を行うという命題の下、普通公立学校の制度内でイスラム教育を実施し、さらに「ポノ」の登録、私立イスラム学校の認可などによって、ムスリム主体の教育機関にも権限を及ばせ続けてきました。私立イスラム学校のタイ語による教育は、ムスリム生徒へのタイ的価値観の伝達を目指すものであると同時に、タイ語力を身につけることで、地理的・文化的に近いマレーシアでの就労を減少させ、タイ国内(地域社会内)での就労機会増加につなげることを期するものでもあります。
他方、ムスリムの側には、ジャウィ語を話せることが(深南部ムスリムの)一条件であると考え、タイ語を使用することをイスラムに対する罪悪ととらえる心理があります。タイ語による教育を通じてタイ文化を伝達し、ムスリムのタイ社会への同化を図るという政府の方針は、マレー・ムスリム社会に抵抗なく受け入れられているわけではありません。
もっとも、深南部のムスリム全体の価値観が同質的かというと、決してそうではないようです。伝統的なポノで学んだムスリムは、被差別者・被抑圧者としての意識や、タイ政府への反感を抱き、イスラムの教理に対しても厳格な態度を保ちますが、新しい教育制度下で勉強した者は、ムスリムとしてのアイデンティティーを保持しつつも、タイ国民としての自己を受け入れています。
(柴山信二朗「タイ深南部におけるイスラーム教育機関の変遷と社会的役割の多様化」『人間科学研究』第20巻第2号, 2007年.)
伝統的な教育機関が政府による「助成」と「介入」を受けたムスリム社会ですが、政府の教育政策は、職業教育など、実益・生活向上につながる面も併せ持つだけに、ムスリム側の反政府感情が先鋭化することは、考えづらいのではと思います。
(「タイ国の教育事情」に関する連載は今号で終わりとします。)
齋藤 志緒理
Shiori Saito
津田塾大学 学芸学部 国際関係学科卒。公益財団法人 国際文化会館 企画部を経て、1992年5月~1996年8月 タイ国チュラロンコン大学文学部に留学(タイ・スタディーズ専攻修士号取得)。1997年3月~2013年6月、株式会社インテック・ジャパン(2013年4月、株式会社リンクグローバルソリューションに改称)に勤務。在職中は、海外赴任前研修のプログラム・コーディネーター、タイ語講師を務めたほか、同社WEBサイトの連載記事やメールマガジンの執筆・編集に従事。著書に『海外生活の達人たち-世界40か国の人と暮らし』(国書刊行会)、『WIN-WIN交渉術!-ユーモア英会話でピンチをチャンスに』(ガレス・モンティースとの共著:清流出版)がある。