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2018.02.05
齋藤 志緒理
前号まで6回にわたり、タイ国の教育事情を扱いました。今号では、教育の話題に関連し、タイの大学生が卒業後にどのような仕事を志向するかに注目します。
大卒者がどのような職業についているか・・・これまでのところ、専門分野別や卒業大学別の包括的な比較調査は行われていませんが、水上祐二が「タイにおける大学生の職業選択に関する事例研究」(『横浜国際社会科学研究 第10巻第3・4号』2005年12月)で大卒者の就業に関する全体傾向や、理系・文系の別、大学のランクによる3つのグループの比較など、興味深い内容を発表しています。
●卒業選択の全体的な傾向
(1) 公務員の魅力減退
タイ国では、従来、公務員は特別な地位にあり、優秀な人材は公務員試験を受けて、官公庁や公営企業への就職を希望するのが一般的でした。しかし、1980年代後半に官民の給与格差が拡大したことで公務員離れ(または公務員の離職)が進行。1990年時点の技術系大卒者では、官民の初任給額は2倍ほどの格差となっていました。公務員は雇用の保証や社会保険、医療手当など、民間とは異なった特権がありますが、そうした魅力が薄れてきている状況が認められます。
(2) 大学間格差
1970年時点では、国立大学は9校しかありませんでしたが、1970年代以降、国立大学が急増。特に2つの国立公開大学(ラームカムヘン大学、スコータイタマティラート大学)の創設は大学生数の大幅な増加につながりました。また、1980年代以降に進行した「私立大学の総合大学化」も高等教育へのアクセスを拡げました。(2013年の教育省データでは、同年代における大学就学人口の割合は46.5%と、半数近くに至っています。)
新たに格上げされた私立大学や、新設の国立大学、公開大学の卒業生を従来通りの大卒者のように処遇すると、賃金・ポストが枯渇する恐れがあるため、多くの民間企業は有名大学や難易度の高い大学の卒業生を優遇する方針をとります。これにより、大学間の格差が生じることとなりました。
(3) 卒業選択の多様化:自営業の希望者増
1971年の大卒者の職種はホワイトカラー型の合計が78%(専門職・技術者37.2%、管理職40.4%)でしたが、2003年ではホワイトカラー型の合計が60%に減少し、大卒者の職業選択が多様化する様相がみられます。
「多様化」の中で、一つの顕著な流れを挙げるならば「自営業」の希望者が増加したことです。都市インフォーマルセクターといわれる露天商を対象とした2003年のリサーチでは、バンコクの露天商(調査対象者)について、20代では高校卒業以上が約7割、大卒者が19%を占めるという結果が出ています。
露天商への参入動機は、対象者全年齢層で「自由だから」「収入面で良い」の合計が約6割を占めていました。実際、回答した露天商の平均所得は1万5千バーツであり、2002年のバンコク都の平均賃金(1万バーツ)よりも高い水準でした。
●大学生の職業選択に関する調査結果の概要
水上は2004年に、バンコク都に位置する9か所の国公立・私立大学生を対象に職業選択に関する意識調査(標本数242人)を行いました。標本の構成は下記の通りです。
―男女比率=男性103人・女性139人
―理系/文系比率=理系159人・文系83人
―国立/私立比率=国立132人・私立110人
(1) 就職希望先
独立・自営=93人(39.9%)
公務員・公営企業=50人(21.5%)
外資系企業=65人(27.9%)
タイ企業=25人(10.7%)
外資系とタイ企業を合わせて「企業への就職」と考えると38.6%であり、独立・自営の希望と同程度なのがわかります。
(2) 希望する職種
法律家・管理職=55人(24.3%)
専門職=70人(31.0%)
技術者=39人(17.3%)
サービス・販売=28人(12.4%)
(3) 独立・自営への興味
標本の約9割に相当する209人が「独立・自営への興味」をもっていることが判明しました。(1)で独立・自営を選択した人が約4割だったことを鑑みると、卒業後はまず企業や官庁・公営企業への就職を希望しながらも、長期的には独立を願う人が多いことを示しています。
●調査結果の比較 その1<理系・文系>
就職希望先について、理系・文系それぞれの調査結果は下記の通りです。
―理系は、独立・自営36.2%、公務員・公営企業20.3%、外資系企業29.0%、タイ企業14.5%。
―文系は、独立・自営40.5%、公務員・公営企業22.2%、外資系企業27.8%、タイ企業9.5%。
文系で独立・自営、理系でタイ企業の比率が若干高くなっているものの、全体の傾向に大きな差はありません。しかし「希望する初任給額」には明確な差があり、理系は平均1万8千バーツであるのに対し、文系では1万3千バーツでした。理系不足・文系過剰という大卒労働市場に対応した結果とみられます。
●調査結果の比較 その2<大学のランク別>
本調査では、以下の対象大学9校を3つのグループに分類し、職業選択に関する比較検討を行っています。
【国立上位グループ 3校】歴史が古く、狭き門の国立大学:チュラロンコン大学、カセートサート大学、シーナカリンウィロート大学
【国立下位グループ 2校】ラームカムヘン大学(無試験入学の公開大学)、ラチャパット大学スワンドゥシット校(2年制の教員養成学校から4年制総合大学に改組)
【私立大学グループ 4校】カレッジとして創設され1980年代に総合大学に昇格:バンコク大学、トゥラキット・バンディット大学、商工会議所大学、スィーパトゥム大学
(1) 予備校通学経験の有無(入試難易度の指標となる)
国立上位では90~100%。国立下位ではスワンドゥシット校で50%近く、ラームカムヘン大学は40%以下。私立大学ではバンコク大学、トゥラキット・バンディット大学、商工会議所大学が40~60%。スィーパトゥム大学は約30%。
(2) 大学別の職業選択の傾向
ラームカムヘン大学は「公務員・公営企業」、バンコク大学とシーナカリンウィロート大学では「外資系企業」の比率が高めでしたが、「独立・自営」への志向は、各大学共通で、大学ランクによる大きな違いは見られませんでした。
(3) 希望初任給額
―国立上位ではチュラロンコン大学が2万1千バーツ、カセートサート大学が1万3千バーツ、シーナカリンウィロート大学が1万5千バーツ。
―国立下位では、スワンドゥシット校が1万1千バーツ、ラームカムヘン大学が1万バーツ。
―私立大学は商工会議所大学が1万7千バーツ、バンコク大学とトゥラキット・バンディット大学が1万4千バーツ、スィーパトゥム大学が1万2千バーツ
・・・という結果でした。国立上位のチュラロンコン大学と国立下位では希望額に約2倍の開きがあります。
上記はあくまで「希望初任給額」なので、卒業後、各大学の卒業生が実際に受け取る初任給額を示しているわけではありません。また、調査が行われた2004年からの年数の経過を考えると、上記の数字が現在の給与実態と合致していない可能性もありますが、希望額の多寡に大学のランクがある程度反映されているのが見てとれます。
●まとめ
以上、水上の「タイにおける大学生の職業選択に関する事例研究」から、注目点をご紹介しました。個人的には、本調査の「国立上位」グループには入っていないものの、伝統や入学難易度においてチュラロンコン大学と双璧を成すタマサート大学の状況にも関心があります。
タイ人の「独立・自営」志向については、タイ国に進出した日系企業の方々の悩みとして「技術を教え、経験を積ませて、これからと期待している時に辞められてしまう」「せっかく日本に呼んで研修機会を与えたのに退職してしまった」といった声が寄せられるのを従前からよく耳にします。タイ人従業員が、より待遇のよい外資系企業に転職する場合もありますが、本調査が明らかにしたように、(大卒者のみならず)タイ人全般に「最終的には独立したい」という希望があることは留意しておく必要がありましょう。
なお、今回参照した論文の発行年は2005年ですが、世の中の変わり様は想像以上のものがあるようです。筆者が知るタイビジネスの専門家は「昔は日系企業で経験を積み、独立して自営の道を選ぶ人が多かった。しかし、工業化が進むにつれ、独立の道が困難視されるようになってきている。かつては採用するタイ人の仕事の内容は“販売”が多く、独立し易かったが、現在は“製造”の仕事が多い。製造業での独立には技術と資金が必要で容易ではない。また、タイ国では細かい物品の製造にも外資が乗り込んできており、昔からのタイ企業も負けじと頑張る。そのような状況下、新人が参入するのは益々難しくなる」と昨今の事情を述べています。今後も、タイ人の「独立・自営」希望は根底にあり続けるでしょうが、一方でそれを許さないこうした環境の変化があることも付言しておきます。
齋藤 志緒理
Shiori Saito
津田塾大学 学芸学部 国際関係学科卒。公益財団法人 国際文化会館 企画部を経て、1992年5月~1996年8月 タイ国チュラロンコン大学文学部に留学(タイ・スタディーズ専攻修士号取得)。1997年3月~2013年6月、株式会社インテック・ジャパン(2013年4月、株式会社リンクグローバルソリューションに改称)に勤務。在職中は、海外赴任前研修のプログラム・コーディネーター、タイ語講師を務めたほか、同社WEBサイトの連載記事やメールマガジンの執筆・編集に従事。著書に『海外生活の達人たち-世界40か国の人と暮らし』(国書刊行会)、『WIN-WIN交渉術!-ユーモア英会話でピンチをチャンスに』(ガレス・モンティースとの共著:清流出版)がある。