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長井 一俊
Kazutoshi Nagai
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。
7月末から8月の初旬にかけて、ポリ市民の多くが海外旅行に出かけてしまう。私がビジネスマンからレストランの経営者になった時、一番心配したのは、店に釘付けにされて、海外旅行も出来なくなるのではないか?という事だった。レストランという自分だけの小宇宙に閉ざされてしまいたくはなかった。 ところ...
北欧の7月、人々は眠るのを惜しむかのように白夜を楽しむ。長い冬を屋内で耐え忍んだ分、短い夏に思い切り自然を楽しもうとしている。この月の半ばに行われる、恒例の「ポリ・ジャズ」はまさに市民の歓喜の象徴である。それに魅かれて、人口より多い観光客がこの1週間にポリの町にやって来る。 その最終日の...
北欧には梅雨が無く、6月は一年中で最も快適な季節である。私には少し肌寒く感じるが、若者達の多くは早、半袖で街を闊歩する。 そんなある日、半年ぶりにボビンが隣家に住む女学生のキーラを連れて来店した。ボビンは4年ほど前に日本に行き、銭湯で肩のタトゥーを咎められた30前半のOLである。ボビン...
フィンランドの本格的な春は5月1日のメーデーで始まる。この国がEUに参加して以来、かつての「労働者の日」のイメージは失せ、“ヴァップ”と呼ばれる春祭りの一日となった。ポリの中央広場は、風船を持った子供達や、白い学生帽を被った若者達で埋め尽くされる。 4月のイース...
春分を過ぎると、緯度の高い北欧では日照時間も日々大幅に伸び、ボスニア湾を超えてやってくる、南西の風がポリ市民の顔を明るくする。 そんなある日の午後、一月前に遥々ハンガリーから自転車でやって来た名家のお嬢様サイヤが、今度は徒歩で、幼い少女を連れて来店した。 開口一番『私の新しい娘、パ...
3月に入ると例年なら、晴れた日には雪が解け、道路は水浸しになるのだが、積雪が無かったこの春は、乾いたまま本格的な春を迎えようとしている。市民はあらためて地球温暖化を実感している。 そんなある日の午後、私の店の前に自転車が止まり、リュックを背負った若い女性が店に入って来て、『サロに住むト...
この冬はとうとう積雪を見ずに終わろうとしている。日本では雨が降らない六七月を空梅雨と呼ぶが、雪のない北欧の冬を空雪と呼んでもよいのだろうか? ソリを引いて雪の原野を移動する北方の原住民(イヌイット)はどうしているのか? 等と考えてしまう日々が続いている。 そんなある日、店の前に旅行鞄を...
クリスマスの夜、家族でおごそかに七面鳥を食べる慣習は薄れ、若人はカップルで外食し、大人達は隣人と集う。お蔭で私の店も深夜まで満席が続く。いつもは日本の曲を流すが、この時期ばかりはクリスマスソングに替える。 大晦日が3日後に迫った夕方、開店以来の常連客4人がそろって来店した。彼等は大学院...
北欧は12月に入ると、例年なら夜間に降った小雪が少しづつ厚みを増し、来春までの根雪となる。ところがこの年は雪が少ない上に、時折季節外れの南西の生温かい風が吹き、早朝に張った路面の氷を溶かしてしまう。 そんなある日のランチタイム、常連客のOL6人が集って来店した。食後に出した熱い緑茶をす...
フィンランドの首都であるヘルシンキの10月の平均温度は9度で、東京の同時期より12度も低く、その格差は冬に向かって大きくなっていく。それに対し、両都市の真夏の温度の差は6度しかない。地球温暖化により北極海の氷が解け続け、「地球の冷蔵庫」としての機能が失われつつある事を意味している。 ロ...
9月末日の早朝、長距離バスで私達はワーサ市に向かった。バスの中でトミーから、『携帯品のリストを見せて下さい』と問われた。私はリュックの中身が20キロに収まるように、品名の後ろにグラム数まで書き入れたエクセル表を見せた。必需品をピッタリ19キロにおさえ、残りの1キロにプラスチック瓶に詰めかえ...
日本では「中秋の名月」と呼ばれるほど9月の月は美しい。夏の高い湿度から解放され、空気の透明度が増して兎の姿もはっきり見える。緯度の高い北欧では、角度の差から月の絵柄も変わって見える。『本を読むお婆さん』などと言われることが多い。 そんなある日、大きなリュックサックを背負った、見覚...
北欧の8月は早や秋風が吹き始め、コケマキ河畔の緑に広葉樹の黄色が混じり込む。夏季休暇が終わり、人々の顔にも祭りの後の寂しさと、財布が空になった心細さがうかがえる。老後の心配が無いので、貯蓄はせず、夏を目いっぱい楽しんでしまったからだ。 そんなある日の午後、常連客の一人が初老の東洋人女性...
北欧の7月はまさに百花繚乱。短い夏の間に、花々は種の生き残りを賭けて、昆虫達の受粉を誘う。シーボルトが日本から持ち帰った400種を超える花の種が原産、と言われるものも多くある。中でも、彼がこよなく愛したと言う紫陽花(あじさい)はポリ郊外の街道沿いに、和の香りを漂わせながら、美しく咲き誇って...
夏至祭を半月後に迎えたポリの街は、白夜を楽しむ市民や観光客で夜中まで賑わっている。北欧の6月は、長く厳しい冬を耐えた北欧人への、神からのご褒美である。 学校は既に夏期休暇に入り、ポリの学生達は歓び勇んで旅に出る。一方、ポリは観光地。沢山の観光客が国内外からやってくる。レストランやパブに...
北欧の5月は、白樺林がことのほか美しい。5月1日のメーデーが、多くの大都市では「労働者の抗議の日」であるのに、北欧では「春を迎える歓びの日」である。白樺の美しさに、闘争心が洗い流されてしまった結果に違いない。 フィンランドではメーデー以前から、5月1日はヴァップ(魔女...
北欧の春はイースター(復活祭)と共にやって来る。そして今年の春もお客達を店に呼び戻してくれた。長い冬を耐え忍んだ、神様からのご褒美のようだ。 北欧では、イースターの宗教的意味は薄れ、春の到来を祝う歓びの日である。子供達は大きなバスケットに、飾りを付けた柳の小枝を入れて、近所の家を廻る。...
雪解けは、春がそこまでやって来ている事を知らせてくれる。あと一月もすれば、レストランにお客が戻ってくる。しかし、経営者にとって最も苦しい時でもある。マラソンに例えると38キロ地点、登山でいえば8合目辺りだ。ゴールは見えていても体力の限界も迫っている。 ポリの郊外にある、世界最大手...
一年中で最も寒い季節になり、会社員は仕事が終わると一目散で駐車場に向かい、帰途についてしまう。レストランに立ち寄ろうと考える人はいない。今がレストランの経営者にとって最も苦しい時である。ビラを撒こうが、立て看板を出そうが効果はない。道には人影がないのだから手の打ち用が無い。 そんなある...
正月が過ぎると北欧は、極寒の季節が始まる。私はベランダに大きな寒暖計を設置して、屋内から外の温度を見ることを朝の楽しみの一つにしている。 庭先を見ると、真新しい雪の上に兎の足跡が縦横に見える。我が家の兎は日中、林檎の樹の下の穴に隠れ住み、滅多に顔を出すことは無い。早朝の雪面が、兎が元気...
「欧米では、クリスマスを盛大に祝うが、正月はなにもしない」と聞かされてきたが、今では様子が違う。企業の従業員の多くは、12月23日から1月4日までを“冬期休暇”と決め込んで、年末年始を楽しむ。大晦日の夜はどこの町でも、大量の花火を打ち上げて、新年を迎える。一方、日本...
クリスマス商戦の開始は、どこの国でも年々早まっている。パイの大きさは同じはずだが「早い者勝ち」と売り手は考えているようだ。11月下旬、所用で首都ヘルシンキを訪れると、街は既にクリスマス・ムード一色であった。 しかし、外見とは裏腹に街行く人の心には、暗雲が立ちこめたていた。事の始まりを私...
晩秋、ポリの町を横切るコケマキ河は様々に表情を変える。川面に沈む太陽、河畔の紅葉や新雪が、暗く長い冬を迎える人々の心を慰めてくれる。 デイナータイムが終り、パブの時間になると、店にはよく中年の女性が一人でやって来て、カウンター席に座る。緑茶を出しながら『サービスです』と言うと、笑...
10月になると北欧は早、晩秋。庭の林檎の樹が沢山の実を結び始めた。しかし、林檎が赤く大きく育つ前に、木枯らしが吹いて、枝から落下してしまう。緯度の高いイギリスのウールスロープ村に生まれたニュートンが、万有引力を発見したのも、きっとこの時期に違いない。 私の家では、林檎の木の下に穴を掘っ...
「雨後の筍(たけのこ)」という言葉がある。表の意味は「雨の降った後に筍が沢山出て来る」だが、裏の意味は「誰かが成功すれば、その後に似た輩が続々と現れる」である。例えばエヴェレストを英国の登山家ヒラリーが登頂に成功すると、後から多くの人々が挑んだ。今では登山を本職としない日本のお笑い芸人も登...
北欧でも、季節は律儀に廻ってくる。ただ、日本よりも秋は2ヶ月早く、春は2ヶ月遅くやってくる。8月に入ると早、北西の風が秋の気配を運んで来る。しかしまだ白夜の季節は続き、国内外からの観光客は、ポリ郊外のゴルフ場で深夜近くまでゴルフに興じている。 海外旅行に行った先発隊が、祭り後のような寂...
「春眠、暁を覚えず・・・」唐の時代に詠まれた詩である。春の朝は気持ちが良くて、つい寝過ごしてしまうというのだ。そこで私は北欧の夏を「白夜、睡眠を覚えず」と詠んでみた。国はサマータイムにより、昼時間を1時間増やし、企業は出社と退社の時間を1時間早めて、長く太陽の恵みを楽しめる環境を整えた。職...
北欧の6月は白夜の下、野外パーティを楽しむ季節である。「苦有れば,楽有り」暗く長い冬を耐え抜いた人への神からのご褒美だ。 私は例年通りロシアン・クラブから深夜のパーティに招かれた。夜の10時に始まり、翌朝まで続く。私は皆がお目当てにしている折り寿司を持って参加した。クラブの正会員...
5月はメーデーで始まる。北半球の多くの国では夏を、北欧では春を迎える祝いの日だ。宗教色の強い他の祭日と違い、市民中心の祝いの日である。かつては、資本家も労働者も一緒に集う楽しい日であったが、いつの間にか多くの国で、労働者が資本家に対して要望を突きつける日になってしまった。 北欧では天井...
4月は待ちに待った春が訪れる季節だが、南からの暖気と北極からの寒気がぶつかり、天気が急変する時期でもある。時に自動車のボンネットに傷を付ける程の雹(ヒョウ)や霰(アラレ)が降ることもある。 その春の嵐の中、大きな旅行鞄を持った日本人の若いカップルが、ずぶ濡れになって私の店に駆け込んで来...
3月も下旬になると、雪を降らす黒雲は消え、白雲の間から青空が見え始める。福寿草や二輪草が雪を割るように咲き出て、楓や白樺の小枝からは新芽が顔を出す。時折吹く暖かい東風が、道路脇に捨てられた雪を解かして、普段は美しいポリの街路も、この時期だけは水浸しになる。 そんなある日、数人の喪...
2月下旬はポリの中央を横切るコケマキ河が厚く結氷して、街は一年で最も寒い時期を迎える。しかし、春分の日に向かって日照時間は日々長くなり、街の人の心も少しずつ明るくなる。もう一月もすれば街に人は戻り、レストランにも人が来るようになる。 しかし、資金繰りが最も厳しい時期でもある。毎年この時...
正月から3月末までは、レストランにとって辛い時期である。市民はクリスマスで金を使いはたし、小雪の舞う厳寒の街から人影が失せる。夜半はパブに変身する我が店は、その方の稼ぎで何とか生き延びている。 年末まで暖冬であったポリの街は、正月を終えると突然として北極から大雪を伴う寒気団に襲わ...
ポリの中心を横切るコケマキ河は、数年前まで年末が近づくと厚く結氷したのだが、この2、3年は、薄氷を割りながら、上流から氷片が流れてくる風景に変わってしまった。地球温暖化は北極に近づく程、その影響の度合いが大きいと言われる説は、俄に現実のものとなってきた。 ここ数年、クリスマスを前...
北欧では11月も下旬になると、日照時間は日々加速度的に短くなり、広葉樹は全ての葉を落とし、針葉樹は深緑の油性エノグに守られているかのように葉を残す。翌12月の6日はフィンランドの独立記念日で、各地で行われる祭りは雪の中での開催となる。独立したのは今から丁度100年前、第一次世界大戦中の19...
10月も下旬になると、真っ黒い雲が我がもの顔にポリの上空を駆け巡り、シャーベット状の雪を落として気まぐれに去って行く。 世界の約3分の1にあたる62ヶ国がサマータイムを導入している。フィンランドでは3月の第2日曜日の午前2時を、1時間早めて午前3時にする時から始まって、10月最終日曜日...
10月は北欧でも収穫の秋。手入れを全くしない私の庭の林檎の樹ですら、たわわに実を結ぶ。それを知らない年配の女性客達が次々に、私の店に袋いっぱいにつまった林檎をプレゼントしてくれる。 甘くて大きい林檎を食べ慣れた私達日本人には、とても食べられた代物ではない。彼女達は、口を揃えて「一...
9月になるとポリの多くの市民は、友人たちを誘ってザリガニ・パーティーを開く。ザリガニは湖周辺の小川で沢山取れる。採取は例年、7月22日から9月末日まで解禁される。条例がよく遵守されているため、個体数は維持されている。日本人が暑さを乗り切るためにウナギを食べるように、北欧では厳しい冬に立ち向...
観光地であるポリは、8月に人口の満ち引きが2度おこる。初旬には家族連れの観光客が去り、ポリ市民が旅行から戻ってくる。下旬には新学期を迎える学生たちの出入が起きる。帰還したポリ市民は、去り行く夏を惜しむかのように、友人達が集い合いホーム・パーティが盛んに行われる。 私はアイスホッケーのフ...
北欧では夏至祭をヨハネ祭と呼び、「愛の日」とされている。市民は皆、森か湖畔にある別荘で過ごし、若者は恋人同士で野外キャンプを楽しむ。私は毎年夏至が近づくと、青春真只中のウエイトレス達に「いつから野外キャンプに行き始めたの?」と聞く。(アメリカならプライバシーの侵害で訴えられかねない) 娘達...
6月になると北欧は、春を飛び越えて白夜の初夏を迎える。庭のあちこちで、生まれて間もないリスやキジの子供達が、日がな一日母親を追い回す。 前号で紹介した、店で口喧嘩をした老夫婦のご主人の方が、久々に来店した。奥様は?と聞く私に『家内は、“夢に見る程お寿司は食べたいが、合わせる...
イースター(復活祭)を境にポリの街は活気を取り戻す。若いカップルは肩を抱き合って春の散歩を楽しみ、大人たちはレストランの店頭に張り出された丸テーブルを囲み、戸外でのお茶会を楽しむ。 近年のイースターは、子供たちが「卵」と「兎」で遊ぶ日であり、家族でご馳走を食べる日でもある。何故、...
ポリの中央を横切るコケマキ河は、本格的な春の到来を告げるかのように、シャーベット状の大小の氷片を水面に浮かべながら、ゆっくりと河口方向に動き始めた。 前月末、牧場を訪ねた帰り道、時間に余裕があった私は、3000人が住むというこの村をレンタカーの車窓から見物する事にした。街の郊外に...