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2015.09.14
小川 達大
国際交流基金の調査では、5万人のベトナム人が、ベトナム国内で日本語を学んでいるそうです。日本語学習者の多さは、日本企業が活動する土壌の充実に繋がります。
しかし特に優秀層において、日本語学習への意欲が弱くなってきているのではないか、という話を聞きました。
アジア新興国は、世界中の企業から成長エンジンとしての注目を集めています。マネジャークラス・Cクラスの人材は、引く手あまたです。多国籍企業のシニアマネジャークラスには、いわゆる1,000万円プレイヤーも出てきているそうです。
一方で、日本企業。「仕事への指示は細かく」「残業は多く」「その割に、給与が低い」という評価がもっぱらです。マネジャークラス以上で、多国籍企業と日本企業との給与格差は広がっているのが現実です。
そうなってくると、(特に、優秀層にとって)日本語を勉強するよりも、英語を勉強した方が、より良い将来の生活が期待できるわけです。
多くの日本企業が採用している年功序列の給与体系では、30代のベトナム人に対して思い切った給与を提示できないのです。日本本社で勤続25年の人が受け取る額を、ベトナム子会社で30代後半のマネジャーが受け取る、というのは、やはり「難しい話」でしょう。
加えて、給与というものへの捉え方の違いも影響しているように思います。給与とは、欧米企業では社員が担う機能に対する対価として認識されているように思いますが、日本企業では機能に対する対価に加えてカイシャ共同体との親密さや功労への評価のような側面もあるように思います。それゆえ、日本での給与体系を離れて、ベトナム(あるいはアジア)用の給与体系を持つことに心理的障壁が大きいのでしょう。
こういう話を聞くたびに、日本人の心の中にある「『ウチ』と『ソト』の境界線」のことを思います。
「日本企業に勤めても、成長できない」という声も聞きました。
「ベトナム人は5時になれば帰らされる。日本人はそのまま残って仕事をしている。責任のある仕事・難しい仕事は、全て日本人がやってしまう。アメリカ系の会社だったら、もっとチャレンジできる」と。
はっ、とさせられました。
日本とベトナムでは、働き方が違う。日本企業がベトナムで活動するためには、出来るだけ現地に合うように働き方を設計しなければならない。日本的な働き方が求められる場面は、現地に駐在する日本人が頑張れば良い。
そういう考え方もあると思います。実際、ベトナム人社員を5時に帰宅させていることを誇っている日系企業も目にします。
ただ、日本企業側がベトナム人の能力や意欲の限界を勝手に見限ってしまっているのかもしれません。ベトナム人社員をもっと厳しい環境に置けば、もっと成長して、企業に貢献してくれるかもしれません。
そこに横たわっているのは、「『ウチ』と『ソト』の境界線」なのかもしれません。
2015年9月2日、ベトナムは70回目の建国記念日を迎えました。大戦が終わり、ホー・チ・ミンを国家主席とする政府が独立を宣言したのが、1945年9月2日です。もっと遡って、これまでの歴史の中で、日本とベトナムは様々な形で接点を持ち、その経験から、一言では片づけられない(意識的・無意識的な)複雑な感情や認識を積み重ねてきました。それが、「私たち」と「彼ら」との間にある「『ウチ』と『ソト』の境界線」へと繋がっているのでしょう。
この文章の中だけでも、「日本企業は働かせ過ぎだ」という声と、「もっと日本企業で働きたい」という声を紹介しました。「私たち」と「彼ら」というような大雑把な議論の枠では捉えることなどできず、個別具体的な「わたし」と「あなた」の関係の中で丁寧に解決していく必要があるでしょう。
その議論を妨げ、あるいは歪める真因が、この「『ウチ』と『ソト』の境界線」にあるのだとすれば、私たちは、いや、「わたし」は、その存在を自覚し、是非を吟味することから始める必要があるのではないでしょうか。
それでは、ヘンガップライ!
小川 達大
Tatsuhiro Ogawa