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2015.03.23
宍戸 徳雄
2015年1月1日、テインセイン大統領は、年頭のあいさつで、少数民族の自治権を拡大させる形の連邦制を、相互の対話の下に実現できると信じている述べ、少数民族問題の解決に向けて、積極的に取り組む姿勢を示した。
ミャンマーには、約135の少数民族(政府公式発表)がいると言われている。その70%程度がビルマ族で、その他カレン族、シャン族など、数多くの少数民族がいる。過去、ミャンマーの歴史の中で、少数民族同士の紛争が内戦の形となって、国家統治上の大きな問題の一つであり続けてきた。その背景には、民族間の宗教対立も絡んでいて、その対立の構図は、複雑かつ深刻な内政上の問題となっている。民政移管後の現政権は、この少数民族問題に積極的に取り組む姿勢を見せており、同問題では、議会内に設置された国内の和平問題委員会の委員長であるアウンサンスーチー女史とも意見交換を行い、解決への道筋を探っている。
2012年1月には、63年にも及んだカレン族との紛争に終止符が打たれ、停戦合意に至った。国際社会からの注目度も高い、最も激しい対立と紛争を繰り返してきたカチン族の武装勢力(KIA)とも、幾度の停戦合意交渉を重ね、一歩一歩に合意に向けて交渉が進展している。
そして、国籍を有しないロヒンギャ族の迫害問題も深刻な問題として、国際社会の関心を集めている。ロヒンギャ族は、イスラム教徒であることが、ミャンマー国内のマジョリティである仏教徒との対立を生む背景ともなっている。ロヒンギャ族はミャンマー国内に100万人以上いると言われており、今後ロヒンギャ族への政府の対応次第では、人権侵害国家としての烙印を押され、ミャンマーの民主国家としての評価を大きく下げる要素となることが懸念される。2014年12月の国連総会においても、全会一致で、ロヒンギャ族の市民権を認めるようミャンマー政府に求めている。
日本政府も、同問題解決への関心が高く、日本財団会長の笹川陽平氏を少数民族福祉向上大使に任命して、和平に向けた解決のための支援を行っている。
なお、ミャンマー国軍は、軍事政権の象徴として、国際社会で悪いイメージが定着しているが、ミャンマーにおける長い少数民族問題の歴史を鑑みれば、ミャンマーの統治機構上、国軍の存在が必要不可欠であったと評価する専門家も多い。アウンサンスーチー女史自身も、統治上の必要性から、軍の存在を否定しておらず、今後も連邦国家としてのミャンマーは、少数民族統治との関連で、軍の存在が否定されることはないものと考えられる。一説によれば、首都をヤンゴンから中部のネピドーに移転したのも、少数民族紛争統治のため、国軍をコントロールしやすい位置に置くためであったとも言われている。
以上のような背景がある中、2月に入り、ミャンマー北東部の中国国境付近で、少数民族であるコーカン族とミャンマー国軍との間で紛争が勃発した。日本のメディアも高い関心を持って報道している。テインセイン大統領としては、4月の水かけ祭り前までに少数民族問題の全面解決に道筋を付ける目算でいたが、その実現に暗雲が立ち込めてきた。
ミャンマー北東部に、コーカン地区と呼ばれるかつてケシ栽培で潤った地域がある。すでに同地区でのケシ栽培は全面的に禁止されているが、経済的基盤を失ったコーカン族は、ミャンマー国軍との間で小競り合いを繰り返してきた。このコーカン族は歴史的には中国からの移住者を主体としており、それが武装勢力化したものだ。紛争の勃発について、中国の関与も疑われており、テインセイン大統領は、「いかなる国もミャンマーの主権を侵害することは認められない」と、中国を牽制する発言を行っている。両者の戦闘により、すでに100名以上の死者が出ており、民政移管後初となる戒厳令も同地区において発令されている。2月末時点で、コーカン族の拠点は、ミャンマー国軍により制圧され、現状は秩序を取り戻している。
このようにミャンマーにおける少数民族問題は、依然として予断を許さない状態であるが、テインセイン大統領としては、2015年のASEAN経済統合という節目において、内政問題のメインである少数民族問題の解決に目途を付けるとASEAN各国に約束している。ミャンマーの少数民族紛争は、歴史的に見ても容易に解決できる問題ではないが、2015年の総選挙と同様に、現政権にとっては大きな政治的な課題と言え、解決へのステップアップが望まれている。
宍戸 徳雄
Norio Shishido