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2016.03.28
宍戸 徳雄
先般、ミャンマー議会において、大統領選出手続きが行われ、現憲法の規定では大統領には就任できないアウンサンスーチーNLD党首の昔からの側近であるティンチョー氏が、大統領に就任する予定となった。ティンチョー氏は、スーチー党首の高校時代の同級生で、ヤンゴン経済大卒、オックスフォード大学への留学経験もある。財務省などで行政経験もある。作家であった父親ミントゥウン氏は、1975年から1979年まで大阪外国語大学で客員教授として在籍したこともあり、ティンチョー氏も同時期に日本に滞在経験を持つ。スーチー党首との新大統領は二人三脚で国家運営に臨むことになる。
さて、前回に引き続きNLDのマニュフェストを通じてNLDの基本政策を読み解いていく。今回はNLDの基本政策の内、国家の統治機構のあり方についてNLDが目指している方向性を分析していきたい。
私は2年前にヤンゴンのNLD(国民民主連盟)本部の2階で、アウンサンスーチー党首にお会いしてお話しを聞く機会があった。その時に彼女が一番多く発していたのは「法の支配」と「三権分立」という言葉だった。一般的に、「民主主義」「人権」という言葉を多用するイメージが強いのが国際的な彼女に対する印象であろうが、その「民主主義」や「人権」を保障するための基本的な国家の統治の仕組みを改めることこそ、今のミャンマーにとっては最重要課題だと、彼女は力説しておられた。軍人よる支配を排除し「法の支配」を貫徹することで人権を保障し、「三権分立」を確立して権力機構の相互牽制を基盤としてこそ安定した「議会制民主主義」を育てていくことができると。私は、彼女の主張が全くの正論だと感じつつも、当時はあまりドグマティックに高尚な理想論で政策の舵を切るのは危険ではないかと感じたことを今でも記憶している。民度を高めながら、緩やかに議会制民主主義を育てていくためには、ミャンマーの現状に合わせた形の権力機構のバランスを模索しながら舵取りをしていかなければ、どこかで必ずハレーションが生じる。半世紀以上も少数民族紛争が内政上の大きな課題であり続けてきたミャンマーにおいて、国軍という一つの統治上の存在とその肯定的な機能を完全否定するのではなく、国情に合わせた形で評価されなければならないと感じていた。
もっとも、アウンサンスーチー党首自身はそのことをよく理解している。そもそも彼女の父が創設したミャンマー国軍の存在意義と統治上必要不可欠な機能性を否定するまでもなく、今般発足したNLD政権は、軍との協力関係を基礎として、新しい統治機構のあり方を模索し始めている。
NLDのマニュフェストでは、全ての民族が安心して平和に共存することを保障するために、憲法改正を行うと書いている。そして基本的人権の尊重と平等権の保障のためには、「三権分立」と複数政党制を基盤とした民主主義の実現を目指すとしている。
一般的にメディアを通じて報じられているミャンマーにおける憲法改正の論点は、軍が立法府の4分の1の固定議席を確保していること、国家の非常時に国権の最高指揮権が大統領から国軍司令官へ自動移行し、立法府の議員は自動失職すること、外国人の親族を有する者は国家元首(大統領および副大統領)になれないことなどが問題として指摘されている。この点、NLDのマニュフェストには明確な憲法改正条項についての記載はないが、従来よりアウンサンスーチー党首が主張しているように、真の「三権分立」を実現するためには、立法、行政、司法のそれぞれに対して残存している国軍の影響力を排除することが必要である。特に立法府における軍の固定席条項の廃止は必要不可欠であろう。
その上で、NLDのマニュフェストは、国軍の存在意義について「国軍は、国家の防衛、安全保障のために必要不可欠な存在であり、民主主義を保護し補完する存在である。そして、国軍は行政権の下にのみ存在し機能する。」と規定している。警察組織についても、法の支配の下、法律の枠内でのみの活動を認めるものと規定し、デュープロセスオブロー(適正手続き)を謳っている。このように、NLDは、国軍自体の存在を否定するのではなく、文民統治を基礎づける三権分立をしっかりと確立する中で、国軍を行政権の下、国防と安全保障実現のための必要不可欠な存在として位置付けている。さらに加えて、マニュフェストでは、「国民から信頼・尊敬されるような国軍を創る」と書かれている。過去の国軍支配への国民による決別の意思表示を受け、NLDは、国軍の存在意義を再定義し、軍への信頼回復を目指すと宣言しているのだ。このような新しい形の統治機構を実現するには、憲法改正が不可欠であり、国軍の理解と協力が必要となる。
そして、マニュフェストでは、行政権について、汚職を排し、能力の高い効率的な行政運営を目指すとしている。法の支配の原則を強調して、デュープロセスオブローを徹底する。法律に基づかない権力行使や人権制約は一切認めない。司法権については、司法の独立原則を謳っている。連邦最高裁判所を最上位の裁判所として、行政権による司法への影響力の一切を排除するとしている。また司法手続きの公開原則や無罪推定原則、裁判官の自由心証主義など、近代司法の基本原則を一通り謳っている。
そして、憲法が保障する権利は、時代とともに高めていくと書かれており、国民利益の確保のために必要に応じて法律改正を行っていくという基本的なスタンスを明示している。
NLDが目指している「法の支配」と「三権分立」を確立し真の民主化を実現するには、複数のステップを踏む必要があるだろう。制度移行の過渡期においては、教条的な理想追求に拘泥し、軍との対話をおろそかにしてはならない。マニュフェストで明示した新しい形の統治機構の創設の可否を、憲法改正の議会審議および軍や国民との議論と対話を通じて、一歩一歩丁寧に進めていくことが期待される。
宍戸 徳雄
Norio Shishido