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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2016.03.14

「悠久の国インドへの挑戦」30 労務問題 そのIII

藤崎 照夫

インド・カルナタカ州 砦跡

外部のオルグが数千名会社に押し寄せてくるという噂が流れてきてから、我々マネージメントは以下の点について対応を図ることにしました。

1.詳細な情報の収集:どのような団体がいつ、何名ぐらい工場へ押し寄せて来るのか、色々な方法で情報を収集することが重要ということで、最優先で取り組むことにしました。

2.警護体制の強化:既に7~80名の警察官が工場の敷地内に常駐していましたが、人数の増員と警護体制の見直しについて、警察と打ち合わせを実施しました。

3.従業員の対応について:万一の場合に、インド人、日本人が夫々どう対応するかについて打ち合わせを行いました。駐在員ついては、日本の本社から「身体の安全の確保」を強く求められていたので、万一の場合には駐在員用の部屋がありましたので、その部屋に入って内から施錠して、外へは出ないように指示しました。

4.情報の連絡体制:もし「X-DAY」になったら、どんな時間に、どのくらいの人数が押し寄せるのか、いち早く工場へ伝えなくてはいけませんが、この通信手段が頭痛の種でした。当時はインドの通信事情は最悪と言える状況で、本社と工場は緊急時には無線で交信する状況でしたし公衆電話も駄目、携帯電は市場に導入されていませんでした。この件について話をしている時に、ある駐在員が「昔は狼煙を使って通信していた時代があるがこれは駄目だろうか?」と提案して来ましたが、流石に車で1時間半かかる距離の本社と工場の間で、これは使えないだろうということになりましたが、如何に通信手段がなかったかはご理解頂けるのではないでしょうか。

結論から言いますと、結局この外部のオルグが工場へ押し寄せることはありませんでしたが、それがきちんと分かるまでは、緊張した時間を過ごし事を今でも記憶しています。ストライキが長くなると職場放棄をした従業員は、給与も貰えないので次第に不安になっていったことや、周囲からの説得も功を奏し組合側も軟化して約3ヶ月に亘るストライキは終結を迎えることになりました。

組合側は新たに選挙を行い、新執行部と会社側で新たな賃金協定が締結されました。その協定締結の後労使トップ会談が行われることになり会社側からインド人社長、共同社長の私、インド人工場長の3名、組合側から委員長、副委員長、書記長の三役が初顔合わせを行いました。私はその三役の顔ぶれを見てその若さにびっくりしました。

会談後工場長に「何故あんなに若いの?」と尋ねたところ、その答えは「自分が組合のトップになったら会社から大幅な賃金アップを勝ち取ってやる」というような元気のいいのが選ばれるからですよ、ということでしたが、日本や先進国とは随分違うなあというのが私の印象でした。私の実経験の話はこれで終わりますが、次回はホンダグループの他の会社でのストライキや他社の話について述べたいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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