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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2016.04.11

「悠久の国インドへの挑戦」31 労務問題 そのIV

藤崎 照夫

巨大な城壁に囲まれ、要塞もある街ジョードプル

先月号まで私が実際体験した組合問題(ストライキ)について述べてきましたが今月はそれ以外の他社のケースについて話を敷衍してみたいと思います。

<HMSIのケース>

HMSIとは、ホンダが設立した二輪車の製造販売の為の100%出資の会社ですが、この会社で2005年7月に労働争議が発生しました。争議の発端は待遇改善などを求めてストライキを首謀したとされる従業員4名を会社側が解雇したことにより発生し、約1,000名の従業員のデモ隊と機動隊が衝突し多数の負傷者が出ました。

この従業員側の要求の一つが当時業界首位を走るホンダと現地資本の合弁会社であるHero Hondaと同一賃金レベルへの賃上げ要求だったそうです。同じホンダの資本が入る会社とはいえ、両社の間には会社の歴史、販売台数、利益は大きな相違があり全くの別会社ですから、従業員の給与レベルに差があるのは当然ですが、我々であれば当然理解出来る事が彼等には通用しなかった訳です。

このストライキのニュースはネット等を通じて全世界に流れました。インドはBRICSの一員として海外からの投資を積極的に誘致したい時期でもあり、工場の所在地であるハリアナ州政府首相や中央政府も仲介に乗り出し収束へ向かいました。その解決策の一つとして提案されたのが、会社から解雇された4名の従業員を含めて全てのストライキ関係者の処分なしの現場復帰でありました。当時私はインドを既に離れて台湾での新会社立ち上がりに忙殺されていましたが、この解決についての情報を聞いた時「将来への禍根を残したなあ」と考えました。

それは何故かと言えば、このストライキの解決が当事者である会社側と組合で直接話し合いの上決定されたものではないということと、ストライキの首謀者達が何も処分されなかったことです。Hero Hondaでのストライキ後は時間はかかりましたが、ストライキの首謀者は解雇又は停職処分にして理非曲直ははっきりさせましたので、その後ストライキは発生しませんでしたが、HMSIでのスト首謀者が処分なしであればまたストライキを起こすであろうことを懸念しましたが、これは私の杞憂に終わらず、また数年後にストライキが発生したそうです。

これらから言えることは私見ですが下記のことが大変重要だと思料します。

1)組合を作ることは労働者の権利であり止められないが外部の労働団体の傘下に入るのではなく企業内組合の発足に導く
2)労使協調路線は大事だが組合活動はルールに従って行い組合側の無茶苦茶な要求は受け付けないこと
3)ストライキは極力避けるように努力すべきだが万一ストライキが発生したら基本的に労使間で解決するよう最大限の努力をすること。そして違法行為があった場合はきちんと処分をすること

以上で今月は終わりにしたいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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