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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2016.06.06

「悠久の国インドへの挑戦」33 忘れ得ぬ出来事:パートナーの突然の死去

藤崎 照夫

インドへのゲートウェイ(ムンバイ)

先月に引き続きこのテーマ―について書き進めます。ラーマンさんとはストライキの解決後累積赤字を抱えた会社をどうしていくか何回も話し合いました。よく言われるジョークに、「国際会議をスムーズに進めるためにはインド人にあまり喋らせないようにし、日本人には喋らせるようにすることだ」というのは読者の皆様はこれまでにも聞かれたことがおありなのではないかと思いますが、ラーマンさんは先ず他の人の言うことに耳を傾ける人でした。

そして相手の意見を理解した上で、「自分はこう思う」と意見を述べる人で自分の意見に固執せず柔軟な考えを持った人でした。そういう人でしたが、私は経営の基本に関することや彼と異なる意見を主張する場合は前の日に自分の言いたいことをメモし、どういう風に話を進めるか英語で原稿を書いたりしたものです。それは自分自身の英語の能力だけでなく彼に自分の考えを正確に理解して欲しいと考えたからです。

彼との大事な思い出の一つは、ストライキの後に一緒に日本や他の東南アジアへ旅行したことです。彼も日本へはそれまで何回も訪問していましたが、先ず日本を見て、その後タイ、インドネシアを訪問しインドの会社の抱える課題や問題点を見つけて欲しいと考えたからです。この旅行には彼の最も親しい二人の部品メーカーの社長も同行しました。この旅行から25年経ちますが、この二人は親友として今でもお付き合いが続いています。

話は旅行に戻りますが、日本では工場の稼働率の高さ、従業員の勤勉さ等を改めて勉強しましたが、その後のタイやインドネシアのホンダの組み立て工場や部品メーカーの工場見学はある意味で驚きだったようです。それはインドの人達は日本は先生として見ていましたが、タイやインドネシアは自分達より遅れていて自分達の方が上だと考えていたので、訪問した工場で従業員がきちんと3S(整理、整頓、清潔)を守りインド人より真面目に生産に携わっているのを目の当たりにしたからです。我々は夫々の訪問先で3Sの徹底の方法、計画と実績の管理方法、出勤率、離職率などなど沢山質問をし説明を聞き実りの多い旅でした。この旅行が以前書きましたストライキの翌年の計画達成の理由の一つではなかったのではないかと記憶する次第です。

話は変わりますが、インドでは二輪車の購買動機の大きな理由は経済性です。当時はユーザーが出勤の時にガソリンスタンドで1リッターか2リッター給油してから出勤する光景がよく見られました。我々の販売する二輪車は燃費には自信がありましたので「燃費コンテスト」のイベントを企画し沢山のお客様に1リッターのガソリンでどれだけ走行できるかを競って頂きました。当日はラーマンさんも楽しそうに二輪車に乗っていた姿を思い出します。どうしても楽しい思い出話ばかりになってしまい申し訳ありません。次回でその突然の死去にいよいよ触れたいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE
早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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