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2016.10.24
藤崎 照夫
今月は、先ず本件の関係者であるインド政府へのアプローチからスタートしたいと思います。本件については、駐インド日本大使も大変気にして頂いていることは以前述べましたが、大使から日本進出企業の許認可権を持つ工業大臣に電話をして頂いたので、工業省のNO.2であるJoint Secretaryから連絡があり話を聞きたいとのことで、インド人副社長と工業省へ出向きました。
我々からの事情説明を聞いた後、彼は「ICD対してHSCI(我々の会社の英文略称)については慎重に対応して欲しいとは言えるけど、それ以上の要求は出せない」と述べました。彼が繰り返し「ICDは強力な権限を持っている」と言っていることから判断すると、ICDは他の省庁から見てもuntouchableな機関であるとの感触を持ちました。即ちICDは「法の下に正義を行っている」という錦の御旗があり、捜査権を含めて特別な存在ということになっているのだろうと推察した次第です。
この国税問題が発生してからもデリーの日本人会の会長の仕事は続けていましたが、約3週間後に会長の任期も終了したので、いよいよ本件に全力投球を出来る状況になりました。それで弁護士からも強く要望されていた本社への説明と、関係書類の提出依頼の為に日本へ出張することにしました。日本へ出発する前日に、既にICDの査察を受けていた日系大手電機メーカーの責任者が来社し、この関税問題に対する情報交換を行いました。彼等は取り敢えずかなりの金額のProvisional Dutyを支払ってはいるが、今後の対応のために日本から法務担当の専門家の駐在を決めたとのことでした。
翌日HSCIから私、インド人副社長、法務部門マネージャーの3名、弁護士事務所から3名計6名で訪日しました。次の日に本社で早速会議を持ちました。出席者は営業、知財、法務部門と会社が契約している弁護士事務所の弁護士というメンバーで、我々から事の経緯と日本への協力依頼事項について説明をし、日本側からはそれに対し「今回の件はインドはWTO違反をしている云々」との意見が出ましたが、インド人弁護士から次々と論破され、やはり関係書類を出さざるを得ないという方向に理解が得られてきました。
その翌日本件に深く関係する研究所のマネージャーと打ち合わせを持ちましたが、研究所も今回のようなケースは初めてのことで、すぐデーターが揃えられない様子で、少し頑なな態度でしたが、インド人弁護士が「我々の言うことが信用出来ないのであれば当件より下ろして欲しい」との強い意見も出たので、私から「もしホンダが関係書類を出してくれないならばHSCIは密輸をしたという不名誉を甘受した上に6億円のペナルティーを払うことになるので是非とも協力して欲しいと改めて説明し、日本側の最終的な了解を取り付けたのは夜の10時を過ぎた頃でした。
翌日本社の社長から本件について話を聞きたいとのことで、秘書も同席の上でこれまでの経緯などを含めて説明したところ、事態の大変さをすぐに理解してもらい「藤崎さんは心身共にタフな人だと思うけど、ご苦労だけど頑張って欲しい」との労いの言葉がありました。それから2日後関係部門の徹夜作業のお陰で書類が完成し然るべき人のサインが必要だとのインド人弁護士の意見を取り入れ、取締役財務部長にカバーレターのサインをお願いしました。
その書類を持って私より一足先に副社長や弁護士達はインドへ戻りましたが、インド人副社長よりTELEXが入り「ICDが本件を新聞にリークして我が社に圧力をかけている」という連絡がありました。
我々は既にProvisional Dutyも払い本社からの関係書類も提出することになっているのに、意図的に本件をリークするのは許せないという気持ちになりました。本件はそれからICDとの裁判になって行ったのですが、結論から述べますと最終的には私のインド駐在時代には決着がつかず10年後にHSCIが勝訴して金利を付けてProvisional Dutyを戻して貰いました。またもう一つ特記事項がありHSCIへの査察を指揮したコミッショナーは悪名高き人物だったようでその後更迭されたそうです。私が本件を通して学んだ一番重要なことは「インドは法治国家できちんとビジネスを展開している限り法に守られる」ということでした。
藤崎 照夫
Teruo Fujisaki