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COLUMN コラム

駐在員のための中国ビジネス ー光と影ー

2016.10.03

駐在員のための「中国ビジネス―光と影―」(第39回)中国ビジネス余話

菅野 真一郎

(2)工場の移転立退き

桂林の夜

少し旧聞に属しますが、2006年11月2日の産経新聞や11月29日の日経産業新聞で、上海市北西部郊外・嘉定工業区に進出している日本企業が突然の立退き要請に揺れているとの報道がなされ、中国進出企業関係者の注目を集めました。
それまでも中国沿海地区の工業開発区で同様の立退き問題は散発しておりましたが、本件嘉定区の場合は少し様相を異にしているように思われます。
従来の工場立退きは、急速な経済発展で市街地が拡大し、10~15年前は全くの荒地あるいは農耕地だった開発区(日本の工業団地)のすぐ隣まで宅地化がすすみ、工場移転を迫られるというケースが多かったと思います。具体的には、開発区設立間もない時に進出した工場(多くは加工輸出型の労働集約型工場)が、付加価値生産性の高いハイテク工場群に囲まれてしまい、賃金の高い方に労働者が奪われたり、賃金上昇が激しく操業が難しくなってきたときに、地元政府からハイテク工場の拡張や開発区を“ハイテク開発区”に衣替えするための立退きを迫られるケースもありました。また、鉄道敷設や駅舎建設、高速道路建設や道路拡張工事に伴う工場の移転要請で、この場合立退きに該当する工場の数は多くありません。

本件嘉定工業区は、1994年設置の上海地区では歴史のある開発区です。面積は約10km2(1,000万m2)で、開設当時は大型開発区だったと思いますが、現在では比較的小ぶりの開発区といえるかも知れません。日系企業は約60社弱進出しています。嘉定区は中国最大の乗用車メーカー・上海汽車の本社工場に隣接している関係で、有名なF1レース場や自動車部品メーカー、電気・電子・機械メーカーを集める72km2(7,200万m2)の上海嘉定汽車産業園区(自動車産業開発区)があります。嘉定区政府は自動車産業を中心にサービス業・商業貿易業(自動車販売を含む)、建設関連研究施設、各種スポーツ施設、文化娯楽施設、リゾート施設、住宅群を擁する現代的都市づくりをめざして、「嘉定新城中心区総合計画(2006~2020年)」を立案し、2006年9月21日、上海市政府の批准を得ました。総面積122 km2、計画人口52.5万人の壮大な計画ですが、この広大な地域の中心部に本件嘉定工業区(10km2)が位置しています。

(同じ上海市の南の郊外・松江区にも数十km2の工業開発区と松江新城建設計画や松江大学城建設計画、リゾート開発計画が並存していますが、それぞれ地域が重なることなく独立して区画整理されて開発がすすめられており、工場立退き問題は発生しておりませんでした。しかし松江工業開発区でも近年、上海市街地と鉄道がつながり、駅周辺の市街地開発で工場移転立ち退き問題が発生する可能性が否定できない状況にあります。)

嘉定工業区の工場立退きは、大きな都市計画が工業開発区をとり囲む形で設計されているところに問題の発端があるように思われます。第一陣として日系企業10社を含む24社が立退き要請を受けておりますが、いずれ第二陣、第三陣として残りの進出企業も立退き要請を受ける可能性が大きいというのが現地関係者の見方でした。既に新聞報道されているように、かかる大規模都市計画は数年前から検討されていた筈であり、それにもかかわらず一方では積極的に工場誘致活動が展開され、多くの日系企業が進出しました。嘉定区も含めて上海近郊進出を検討していた日本でも有数の大手建材メーカーによれば、「2005年から2006年にかけての誘致活動は文字通り夜討ち朝駆けの猛烈なもので、一時は進出に傾いたこともある」と述懐しておられます(同社は上海郊外の別の工業開発区に進出を決めました)。

立ち退き対象地区では、大型工場が建設竣工し本格生産に入り、既に次の増設計画を申請している工場も複数あります。その増設計画がなかなか認められない事態が発生し、嘉定工業区に説明を求めたところ、2006年初から秋頃まで3回進出企業向けの説明会が開催されました。1回目は「嘉定新城計画の噂はあるが事実無根」、2回目は「可能性はあるが、時間がある(2006~2020年の計画)ので安心してよくほしい」、3回目はいきなり「いつ頃移転できますか」と言われ、2007年9月26日に立退き通知書のような文書が送付されてきたということです。

本件については上海日本総領事館とジェトロ上海事務所が日本企業関係者の情報交換会を毎週開き、適宜上海市政府や嘉定区政府への事情説明申し入れや面談要請を行うなど、公的セクターが積極的に支援協力してくれていることから、中国側も比較的真正面から対話に応じようとする姿勢はうかがえるものの、上海市政府の認めた嘉定新城計画と工場立退きを前提とした対応であり、最終的には移転立退きは避けがたいというのが大半の関係者の予測でした。

私は2007年3月1日に現地を視察し関係する日本企業の責任者にもお会いしたのですが、時間の関係で嘉定工業区の方との面談は出来ませんでした。立退きを迫られた日本企業には、周囲との調和や環境を考えて十分な緑地帯を確保し大量の植樹も行い田園工場として通用すると思われる瀟洒で立派な工場もありました。工業区10 km2は新城計画122 km2の10分の1程度であり、工業区の周囲は片側2~3車線の道路も整備されており、巾広の緑地帯を確保し、植樹を行えば、都市の中の工場地帯として温存できる可能性があるような印象をもちました。その為には、たとえば今後の開発区への誘致企業の業種選定に工夫をこらし、必ずしも工場に限定せず、研究開発センターや技術者養成学校などの誘致(街の中央部にあり交通インフラは至便)も考えてはどうかと思いました。
ただ、仄聞するところによりますと、嘉定新城計画の背景には、F1レース場を建設したものの年1回の開催では大赤字で、これを償うための宅地化計画という事情もあるということで、立退き撤回、新城計画修正、移転補償などいずれの交渉も難航が予想されました。

今回、本コラム執筆のため当時の関係者にヒヤリングしたところ、機械加工の某社は、2008年4月、嘉定工業区側との間で「立退き協議書」に調印し、2年後の2010年移転立退きを完了し、相応の移転補償金にかかる為替差益特別利益も計上し、諸手続きを完了して、現在も移転先で操業しております。他の工場移転会社もそれぞれ相応の補償金を得て移転立退きを完了している模様です。移転後の工場跡地にはアパート群が建ち並び、完全に市街地化されております。
移転先は同じ嘉定工業区の「北区」で、元の嘉定工業区「南区」からは3~10㎞離れた位置にあります。

やや蛇足になりますが今回嘉定区政府は、立ち退き移転後の工業開発区跡地に大量のアパートを建設しているところから、住宅地に用途変更された底地の土地代だけでも膨大な利益を計上出来ていると思われ、補償金額交渉もさほど難航しなかったのではないかと思われます。
但し上述のように、某大手建材メーカーは危うく嘉定区の用地取得の難を逃れることができましたが、もし熱意に負けて用地取得していれば、とんでもない事態になった可能性があります。

1990年代、沿海地区のある省での超大型工場用地取得を決めて本社役員会の決裁を得た後、当該工場用地所在地の市政府から「実は当該地には北京―上海の高速道路が通る計画があるので、同じ市の別の土地に変更してほしい」との申し出を受けて、用地買収に携わった事業部門の部長のメンツ丸つぶれとなった事例があります。結局同じ市の別の場所に変更せざるを得なかったわけですが、中国側が幹線高速道路計画を知らなかったわけはなく、他の市との競争上何としても自分の市の土地を決めさせ、本社決済が下りて他の市に行かないことを見極めて、変更を申し出たわけです。自分たちの点数を稼ぐためには日本側の担当部門のメンツなど一顧だにしないという、中国ビジネス特有のトラブルパターンにも留意して頂きたいと思います。

今回の教訓は、現地駐在責任者は工場立地地域の経済発展に伴う都市計画の動きについて、不断の情報収集が欠かせないこと、当局との対応には周辺工場の責任者との連携が重要なこと、移転などの対象工場が多い場合には、当該地管轄の日本の外務省公館やJICAなど準公的機関の協力支援取り付けが、中国側の真摯な対応を促すうえで大事であることなどです。

併せて、本件は当該地の経済発展を背景とする大規模工場移転立退き事案のはしりでしたが、今日に至るまで中国沿海部の各地で同種の事案が次々発生していること、今後は内陸部でも同種の事案が予想されることを念頭に、中国の工場立地を検討する必要があると思います。

(つづく)

菅野 真一郎

Shinichiro Kanno

PROFILE
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。

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