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2015.01.13
北原 敬之
2015年最初のコラムをお届けします。今年もよろしくお願いします。
EメールやSNSの普及で数が減ったとはいえ、恩師や友人や同僚に「年賀状」を送り、新年の挨拶や近況報告するのが日本の伝統的な習慣ですが、アメリカではどうでしょうか?
アメリカで日本の「年賀状」に相当するのは「Christmas Card」です。今回のコラムでは、アメリカの伝統的な習慣である「Christmas Card」を通して、多民族多宗教が共存するアメリカの「生活の知恵」について考えてみたいと思います。
日本の「年賀状」が年賀郵便として元旦にまとめて配達されるのに対して、アメリカの「Christmas Card」は12月上旬から中旬にかけて通常の郵便物と同様に配達されます。筆者もアメリカに駐在時には多くの「Christmas Card」をいただきました。日本の年賀状と同様に工夫を凝らした美しいデザインのカードを見るのが楽しみでしたが、同時に気が付いたことがありました。いただいた「Christmas Card」の半分以上は「Merry Christmas!」ではなく「Happy Holidays!」と書かれていたことです。
最初は不思議に思いましたが、考えてみれば、クリスマスは「イエス・キリストの降誕(誕生)日を祝うキリスト教の祭典」ですから、キリスト教徒でないユダヤ教徒やイスラム教徒に対して「Merry Christmas!」と言うのは大変失礼なことですよね。アメリカは多民族国家であり、キリスト教,ユダヤ教,イスラム教,仏教,その他多様な宗教が存在しますが、正直言って、筆者も、「Christmas Card」をやりとりするアメリカ人の友人や同僚がどの宗教の教徒であるのか知りませんし、日常の会話の中で宗教が話題になることはほとんどないので、知る方法もありません。したがって、クリスマス休暇(これは宗教上のクリスマスと関係なく、単に12月中旬から1月上旬の時期に企業や学校などが長い休みに入ることを総称して呼ぶ「記号」のようなもの)の時期に、「Happy Holidays!」という挨拶をすることは、どの宗教を信仰しているかに関係なく、すべてのアメリカ人に通じる「最も無難な」友好のメッセージだと思います。
建国以来のアメリカの歴史の中で、異なる宗教・異なる文化を持つ人たちが、お互いに不快な思いをしないように、気持ちよく共存できるようにするための「生活の知恵」として、あるいは、無用な軋轢を避けるための「安全装置」として、「Happy Holidays!」という言葉が使われるようになったと考えられます。最近では、「Christmas Card」という呼び方自体も、「Season’s Greeting Card」等の呼び方に変わってきているようです。
昔から「結婚式の時は神道,クリスマスの時はキリスト教,葬式の時は仏教」という言葉に象徴されるように、日本人は、宗教に対して、良く言えば「寛容」、悪く言えば「鈍感」(そうでない方もいらっしゃいますがここでは一般論として理解ください)と言われています。元々神道を信仰していた日本人が仏教やキリスト教を受け入れてきた長い歴史や柔軟性・受容性に富む日本文化が背景にあり、日本人のユニークな側面でもあるのですが、「宗教に鈍感」であるが故に、ひょっとしたら、ユダヤ教徒やイスラム教徒の友人に、そうと知らずに、「Merry Christmas!」と書いたカードを送って、友人に嫌な思いをさせている人がいるかもしれません。
日本人は、礼儀正しく、社会秩序を守り、勤勉で親切な国民だと思いますが、欠点の1つは「宗教に対する感度の鈍さ」だと思います。経済やビジネスは、データやロジックに基づく話し合いや交渉で物事が決まっていく合理的な世界ですが、宗教はそうではありません。歴史や文化を背景とした人々の精神面に関わることであり、理屈では割り切れない世界です。国や宗教によって、日常生活における宗教の重みの違いもあります。
多民族・多宗教国家アメリカにおいて、そして、その他の国においても、日本人が現地に溶け込んで生活していくためには、日本人の不得意な宗教の分野でももう少し「感度」を上げ、「無視」でもなく、「敵対」でもなく、「共存」することができるように、「Happy Holidays!」に象徴されるような「知恵」と、異なる文化・異なる環境の中でも日本人らしく生きていく「たくましさ」を身に付けることが必要だと思います。
北原 敬之
Hiroshi Kitahara