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2015.10.19
北原 敬之
シリアなど中東の紛争国から脱出した難民がヨーロッパ諸国に殺到し、難民の受け入れを巡る各国の対応の違いが世界の注目を集めています。難民の受け入れに消極的な国を批判するメディアもありますが、国によって経済水準や歴史・文化・人種・宗教が異なり、それぞれの国が特有の事情を抱える中で、安易に批判するべきでないと思います。また、難民を受け入れると言っても、人道的見地から難民収容施設などに一時的に受け入れることと、永久的に住民として受け入れること(つまり難民:Refugeeでなく移民:Immigrant)は全く別次元の問題であり、区別して議論されるべきでしょう。今回のコラムでは、難民と移民について考えてみたいと思います。
アメリカは現在のシリア難民についても受け入れを表明していますが、元々移民によって建国されたという歴史もあって、アメリカはこれまでも難民・移民を積極的に受け入れてきました。中東からの難民・移民はドイツをはじめとするヨーロッパ諸国を目指す傾向が強いですが、中南米やアジアからの難民・移民の行先として圧倒的に人気が高いのはアメリカです。人種差別や犯罪が多いという理由でアメリカを批判する人もいますが、アメリカほどオープンで難民・移民にも平等にチャンスが与えられる国は他にありません。だからこそ、多くの難民・移民がアメリカを目指すのだと思います。合法的な移民だけでなく、危険を承知で中南米からアメリカに不法入国する人が後を絶たないのは、アメリカにそれだけの価値(=可能性)があるからです。
実例を紹介しましょう。筆者がアメリカ駐在時代に仕事をしていたオフィスで、ベトナム人のAさん(仮名)夫妻が働いていました。仕事はオフィスの清掃で、毎日朝早くから一生懸命働く勤勉な人たちで、ベトナムなまりの英語で気さくに話しかけてくるので、筆者も時々雑談していましたが、ある日、Aさんがとてもうれしそうにしていたので、何かあったのかと尋ねると、長女が名門大学の医学部に合格したということでした。聞いてみると、Aさん夫妻には5人の子供がいて、長女以外にも、長男は名門大学の工学部、下の3人も地元の進学校に通う高校生で成績優秀だということでした。実は、Aさん夫妻は、ベトナム戦争で旧南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落した時に、ボートで脱出したいわゆる「ボート・ピープル」で、ベトナム難民としてアメリカに来た後、アメリカの市民権を得た移民です。
Aさん夫妻は、平日はオフィスの清掃係として懸命に働き、土日もアルバイトで別の仕事をしていたようで、5人の子供を立派に育てあげました。奨学金を得ているとは言え、アメリカの名門大学の学費は高く、経済的には大変だと思いますが、大学を卒業すれば、長女は医者として、長男はエンジニアとして、豊かな生活を送れるわけで、まさに「American Dream」ですね。
Aさん夫妻の話は決して特別な例ではなく、難民・移民としてアメリカにやってきた人達が、懸命に努力し、いろいろな分野で才能を開花させて成功しているケースはたくさんあります。現在活躍している有名企業の経営者の中にも難民・移民の子弟がいます。「American Dream」すなわち「人種や貧富に関係なく、努力する者・才能ある者が成功をつかむ」が夢物語ではなく、現実に存在する。これが、アメリカの「懐の深さ」であり、世界の人々を惹きつける魅力だと思います。また、日本やヨーロッパの先進国が少子高齢化で人口の減少を心配しているのを尻目に、アメリカは、移民とその子弟の増加によって、先進国の中で唯一人口増加基調を維持しており、経済成長の基盤になっています。
日本人は、長い間「単一民族・単一国家」を続けてきたために、難民・移民の受け入れに抵抗感があるのは理解できますが、グローバル化の時代にいつまでも現状維持は難しいと思います。日本でも、難民・移民問題をタブー視することなく、冷静かつ長期的な視点で議論し、国民間のコンセンサスを形成する時期に来ているのではないでしょうか。日本の企業では、難民・移民出身の外国人を正社員として採用する時代が来ることを想定した心構え・準備が必要になるでしょう。
繰り返しになりますが、人道的見地から一時的に難民を受け入れることと、永久的に移民として受け入れることは別次元の問題で、切り離して議論するテーマです。難民・移民を受け入れた実績が豊富で成功体験を持つアメリカの例を参考にしながら、日本の実情に合うやり方・施策について、時間をかけて建設的な議論を進めていくことが必要だと考えます。
北原 敬之
Hiroshi Kitahara