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COLUMN コラム

日本人ビジネスマンの見たアメリカ

2015.12.21

「日本人ビジネスマンの見たアメリカ」No.22 『見えないルール』

北原 敬之

芸術の宮殿(サンフランシスコ)

先月の大相撲九州場所で、横綱白鵬が「猫だまし」という珍しい技を使って勝ち、それを相撲協会の幹部が批判したことで、社会的に賛否両論の議論が巻き起こったこと、読者の皆さんは覚えておられるでしょうか?

あの騒動の数日後、筆者は、アメリカ人の友人と食事をする機会がありました。彼は、日本在住のビジネスマンで、大の相撲好き、横綱白鵬のファンでもありますが、「猫だまし」という技を使ったことで白鵬が批判されていることに納得できないらしく、筆者に疑問を投げ掛けてきました。今月のコラムでは、その時の友人と筆者の会話を再現することによって、アメリカ人と日本人のルールに対する考え方の違いについて考察してみたいと思います。

友人:「猫だまし」は反則なのか?
筆者:「猫だまし」は、立ち合いの時に両手をパチンと叩くことによって相手を幻惑する一種の奇襲戦法で、相撲の長い歴史の中で実際に使われ、認知されている立派な「技」で、反則でもルール違反でもないよ。
友人:反則でないなら、なぜ白鵬は批判されるんだ?
筆者:白鵬が横綱だからだよ。
友人:「横綱は猫だましを使ってはいけない」というルールがあるのか?
筆者:そういうルールはないけど、「猫だましを使うことは横綱の品格に反する」というのが批判の理由だ。
友人:横綱でなければ、猫だましを使ってもいいのか?
筆者:相撲解説者の舞の海は、現役時代、小柄な身体を多彩な技でカバーする相撲で人気があったけど、「猫だまし」を何回か使っていたよ。でも、舞の海は横綱ではなかったから、批判されなかったし、反対に、「技のデパート」とか言われて、褒められていたよ。
友人:同じ技を使っても、横綱だと批判されて、横綱じゃないと褒められる?ますますわからなくなってきた。
筆者:インターネットの投稿コメントでも、たくさんの人が意見を言っていて、大雑把に言うと、相撲をスポーツと捉える人は「ルールで認められている技なのに批判されるのはおかしい。」という意見で、相撲を神事と捉える人は「相手をだますような技は使うべきでない。横綱の品格を損なう。」という意見で、賛否両論あるよ。
友人:相撲の起源が神事だということは僕も知っているけど、それはセレモニーの部分だけで、相撲の取組自体は、 勝ち負けを競って勝者に名誉と報酬が与えられるんだから、完全な「スポーツ」じゃないか。
それに、「横綱の品格」って何だい? 白鵬は、アメリカ人の僕から見ても、姿勢が良くて、態度が堂々としているし、礼儀正しいし、立派な横綱だと思うけど。
筆者:難しい質問だね。「横綱の品格」っていう明確な定義があるわけじゃないし、言っている人によって違う意味で使っていることもあるから。とにかく、ルール上認められた技でも、「猫だまし」のような「奇襲戦法」は横綱に相応しくないと思っている人たちがいるってことだよ。
友人:だったら、「猫だましは、大関以下はOKだけど、横綱は禁止。」とはっきりルールに書けばいいじゃないか。ルールに書いてないのに批判するのはフェアじゃないよ。
筆者:ルールには書いてなくても、守らなければならない「常識」っていうのがあるんだ。「常識」は、英語の「Common sense」とは意味が違うけど、1つの業界や会社の中だけで通用する「規範」とか「不文律」みたいなものかな。
友人:要するに、「見えないルール」があるってことか。

この後、私たちの会話は別の話題に移り、「猫だまし議論」は終わりましたが、友人が最後に言った「見えないルール」という言葉は、多くのアメリカ人が日本に対して抱く疑問(不満?)であるように感じます。 「見えないルール」とは、「ハイコンテクスト文化の国」日本独特のもので、「ルールとして明文化されていないが、特定の業界や企業の中で共有され、外部者には見えず、内部者として数年以上の経験を積んだ者だけが内容を理解している規範・不文律」ですが、「明文化されたものがルール」と考える「ローコンテクスト文化の国」アメリカの人々にとっては、最も理解し難い部分です。友人が「横綱の品格」という曖昧で抽象的な理由による白鵬批判を理解できないのは当然でしょう。ビジネスの分野でも、この日本独特の「見えないルール」に悩まされているアメリカ人、「見えないルール」に不満を抱いているアメリカ人はたくさんいるのではないでしょうか。

「見えないルール」に代表されるアメリカと日本の文化の違いは「良い・悪い」の問題ではありません。歴史も民族も違うのですから、文化が違って当然です。大切なのは、お互いの文化の違いを理解し合うことによって不要なコンフリクト(軋轢)を避ける努力を続けることで、アメリカとのビジネスに関わる日本人ビジネスマンには、日米間の文化の相互理解のブリッジ(懸け橋)になる心構えと、そのための異文化コミュニケーション力が求められていると思います。

北原 敬之

Hiroshi Kitahara

PROFILE
京都産業大学経営学部教授。1978年早稲田大学商学部卒業、株式会社デンソー入社、デンソー・インターナショナル・アメリカ副社長、デンソー経営企画部担当部長、関東学院大学経済学部客員教授等を経て現職。主な論文に「日系自動車部品サプライヤーの競争力を再考する」「無意識を意識する~日本企業の海外拠点マネジメントにおける思考と行動」等。日本企業のグローバル化、自動車部品産業、異文化マネジメント等に関する講演多数。国際ビジネス研究学会、組織学会、多国籍企業学会、異文化経営学会、産業学会、経営行動科学学会、ビジネスモデル学会会員。

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