文字サイズ
2016.01.25
北原 敬之
1月12日(火)にアメリカ議会で行われた一般教書演説(State of the Union Address)の中で、オバマ大統領は、銃乱射事件など悲劇が絶えないことに触れ、「われわれの子どもたちを銃の暴力から守る」と訴え、大統領令による銃規制強化の方針を示しましたが、銃規制強化には野党・共和党が反対しており、今後どういう展開になるか注目されます。読者の皆さんもご存じのように、アメリカでは、銃の乱射事件や子供のいたずらによる銃の誤射など銃を使った犯罪や事故で犠牲者が出る度に「銃規制を強化するべきだ」という世論が高まるのですが、銃規制に対する根強い反対意見もあり、喧々諤々の議論を繰り返しているうちに、うやむやのまま終わってしまうことの繰り返しでした。
アメリカの銃規制強化がなかなか実現しないことを批判する日本の評論家もいるようですが、安全で銃犯罪に巻き込まれるリスクが極めて小さく、アイドルグループの解散騒動が大きなニュースになるような平和な日本に住んでいる日本人が、アメリカの銃規制の問題を軽々に論じてはいけません。
銃規制強化が進展しない背景には、銃規制推進派の民主党やリベラル勢力と反対派の共和党や保守勢力との政治的な対立もありますが、反対意見のベースには、建国以来の歴史と文化の中で形成された「自分の身は自分で守る」というアメリカ人のメンタリティがあるように感じます。
今回のコラムでは、この「自分の身は自分で守る」という意味を考えてみたいと思います。
アメリカでは、建国以来、東部から西部・南部に向かって未開の地を開拓して国を広げてきました。人々は、一生懸命開拓に励む同時に、自分が開拓した農地・牧場や家畜などの財産を奪おうとする強盗や泥棒などの犯罪者から自分と家族を守らなければなりませんでした。犯罪者が銃で武装しているのに対して、自分が丸腰では自分と家族を守れませんので、当然、人々も銃で武装します。これが「自分の身は自分で守る」ということです。「銃を規制すれば銃犯罪が無くなる」という単純な話ではありません。
銃規制反対派は、「犯罪者から自分と家族の安全を守るために銃を持つことは、アメリカ市民の当然の権利であり、この権利を奪うことは憲法違反である。」と主張していますが、この主張のベースになっているのも、この「自分の身は自分で守る」という考え方です。筆者のアメリカ駐在時代にも、犯罪に巻き込まれた時の護身のために自宅や車の中に銃を置いていたアメリカ人の友人がいました、
「自分の身は自分で守る」という考え方を企業経営に適用すると、「企業が社員を守る」ということになります。アメリカに進出している日本企業を見ると、工場の作業安全や環境整備・防災については非常にレベルが高く、「企業が社員を守る」という意識が徹底していると感じますが、犯罪から社員を守るという面では、意識が少し甘いように思います。企業の敷地や建物に強盗やテロリストなどの犯罪者が侵入しないように、防犯カメラやセキュリティドアなどシステムの質を高めることが必要ですし、万一の場合に備えた危機管理マニュアルの整備や避難訓練なども徹底して行うことが求められます。
「企業が社員を守る」ということは、結果的に「企業が企業自身を守る」ということに繋がります。人材は企業の大事な資産であり、安定した経営のためには「社員を守る」のは当然ですが、もう1つ意味があります。たとえば、企業に犯罪者やテロリストが侵入して社員が死傷するなどの被害を受けたケースを考えてみましょう。このケースで一番悪いのは犯罪者やテロリストであることは言うまでもありません。しかし、次に悪いのは、社員の安全を守ることができなかった企業です。実際に、アメリカでは、企業に侵入した犯罪者により被害を受けた社員が勤務先の企業を訴える例も少なくありません。日本国内ではあまり見られない例ですが、「社員の安全を守るのは企業の責任であって、企業の安全対策が不十分なために侵入した犯罪者により受けた社員の被害は、企業が補償すべきである。」というのが訴訟理由です。
日本企業は、犯罪が少なく安全な日本の環境に慣れているため、「社員を犯罪から守る」という視点が足りないのはやむを得ない面もありますが、アメリカに進出したら意識を変えなければなりません。リスクマネジメントは企業経営の重要なファクターの1つです。アメリカでビジネスを展開する日本企業も「自分の身は自分で守る」という言葉の重みを再認識し、社員の安全を守るセキュリティのあり方を再点検することが必要ではないでしょうか。
北原 敬之
Hiroshi Kitahara