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2016.12.05
北原 敬之
先月のアメリカ大統領選挙で、大方の予想に反して、共和党候補のドナルド・トランプ氏が、民主党候補のヒラリー・クリントン氏を破り、当選しました。ほとんどの主要メディアがクリントン氏の圧倒的優勢と分析していた事前予想を覆してトランプ氏が勝った理由については、その時代的背景も含めて、多くの政治学者やアナリストなどの専門家が既に解説していますので、素人の筆者が口を出すことではありませんが、選挙戦を見ていて気付いたことを1つだけ申し上げたいと思います。「共感力」という言葉です。「共感」を辞書で調べると、「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち」とありますが、筆者は「共感力」には2つの側面があると考えています。簡単に言うと、①自分の主張に相手を共感させる力 ②自分が相手の主張に共感していると思わせる力 の2つです。政治家でもビジネスマンでも、組織のリーダーには①②の両方を備えた「共感力」が不可欠です。今回のコラムではこの「共感力」について考えてみたいと思います。
ヒラリー・クリントン氏は、ファーストレディ(ビル・クリントン大統領の夫人)・上院議員・国務長官という経歴から見ても、能力・見識から見ても、大変有能な政治家であることは間違いありません。暴言・失言・差別発言を繰り返すトランプ氏と違って、クリントン氏の発言には安定感・信頼感があり、選挙中に行われた候補者討論会でのディベートに対する国民の評価も、クリントン氏が大きくリードしていました。したがって、アメリカのメディアも、日本を含む世界中のメディアも、クリントン氏の大統領選挙勝利を予想していました。
では、なぜクリントン氏は敗れたのでしょうか?政治的な敗因分析は専門家におまかせしますが、筆者は、1つ気になることがありました。それは、メディアで報道されていたいわゆるアメリカ国民の「ヒラリー嫌い」という現象です。有権者へのインタビューで、「ヒラリーは有能だと思うけど、何となく好きになれない」、「トランプは嫌だけど、ヒラリーに投票する気にならない」、「ヒラリーは常に“上から目線”だから気に入らない」などのコメントがよく聞かれました。クリントン氏には、スキャンダルや大きな欠点もありませんし、発言も慎重で、暴言・失言もなく、特に嫌われる要素はないように思いますが、なぜ嫌われるのか?コメントの中に「上から目線」という言葉がありましたが、クリントン氏の演説やインタビューを聞いても、「上から目線」と言われるような内容はありません。しかし、聞いている人々に「上から目線」と感じさせてしまう。ここがポイントです。
「目線」って何でしょうか?筆者は、「視線」と「目線」は別物だと考えています。「視線」は「組織全体のビジョンや戦略を見る眼」、「目線」は「組織に属する人々を見る眼」です。前述した「共感力」に当てはめると、「視線」は「共感力」①の「自分の主張に相手を共感させる力」にリンクし、「目線」は②の「自分が相手の主張に共感していると思わせる力」にリンクしていると言うことができます。ヒラリー・クリントン氏は、優れたビジョンや戦略を示して有権者の支持を集めました。つまり、「視線」と「共感力①」には問題なかったということです。しかし、有権者から好きになってはもらえませんでした。「目線」と「共感力②」が足りなかったということです。
政治家でもビジネスマンでも、リーダーシップと言うと、「視線」に基づくビジョン・統率力・情報発信力といった要素が重視されますが、もう1つ、「目線」に基づく「共感力」にも注目すべきです。過去の優れたリーダーについて考えてみると、「強いリーダー」であると同時に、「ユーモア」や「人間味」があって、人々から「好かれる」人物であったことに気付きます。つまり「共感力」です。
「共感力」を言葉で補うことはできません。言葉ではなく、その人の持っている雰囲気や態度が空気のように相手に伝わって、好きになってくれたり、嫌われたりするのです。「上から目線」はその一例です。どうすれば「共感力」を高めることができるのか?日々の仕事や生活の中で自分を磨いて、「人間力」(日本的に言うと「器量」でしょうか)を高める以外に方法はありません。
組織のリーダーは、自分の「共感力」や「目線」が人々から支持されているのか、再点検することをお勧めします。
北原 敬之
Hiroshi Kitahara