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2016.02.16
長井 一俊
一年で一番寒いとされる1月20日を、日本では24節気の一つ「大寒」と呼んでいるが、ここポリの街が一番寒くなるのは、2月の下旬である。日照時間が延び、モノトーンの世界を脱して青空が戻ってくるのだが、この時期に街を横切るコケマキ川に張る氷が、最も厚くなるからだ。北海道の網走町で、オホーツク海からくる流氷が大量に接岸する2月下旬が、一番寒くなるのと同様だ。
この最寒期には、霧氷が葉を落とした庭の白樺の小枝を被覆する。蔵王などの山岳地で見られる樹氷も、霧氷と同様の寒冷現象であるが、樹氷はポッチャリと膨らんで、見る者に暖かさすら感じさせるが、霧氷は痩せていて、見るからに寒々しい。
この頃ポリでは、かなりの数のレストランが廃業し、売りに出される。もう少し待って春になれば、レストランの売上げは急速に回復するのだが、資金繰りに窮してしまったのか、もしくは前秋に閉店した店舗を再開する為の、人事の目処が立たなかったのであろう。
だからといって、真冬のポリの客商売が全滅してしまうわけではない。夜半、店頭に長蛇の列ができる店が何軒かある。それらは皆、ディスコ(日本では、昔ダンスホール、今クラブ)である。日本のクラブと違う点は、客のほとんどがカップルでは無い事。そして、若者が集まるディスコの他に、中高年専門のディスコがある事だ。どちらも、来店目的はその夜、又は生涯の伴侶を見つけることだ。
私の店ではこの時期、昼のレストランの売上げより、夜のパブの売上げの方が遥かに勝る。己を顧みればすぐに分かることだが、飲酒欲は食欲よりも遥かに強いということだ。しかし、そのパブもディスコには脱帽だ。子孫を残そうとする本能は、何にもまして強いと言うことなのか。そういえば、マグロやウナギなど多くの海洋生物は、子孫を残すために太洋を周回すると言われる。
しからば、レストランからディスコに転業すれば良いではないか、と思うかも知れないが、そうは行かない。新規にディスコをオープンする事はポリの街では不可能である。それには歴史の経緯がある。
1960年代の後半、ベトナム戦争が泥沼化したころから、若者達を中心に厭戦気分が台頭し、Love & Peaceを御旗に自然回帰運動が旋風して、その結果ヒッピー文化が先進諸国を席巻した。中でも隣国のスウェーデンはフリー・セックスとポルノグラフィのメッカとされて、ヌーディスト村やヌーディスト・ビーチが各地に出現した。それを規制する法の制定や発布にも手間取り、客商売においては「何でもあり」の時代に突入した。
その十数年後、ポルノ文化にも飽きてきた世間の風潮に呼応して、監督官庁は法律・条例を整備し、徐々に厳格化していった。先ずは、過激な性風俗店から手をつけて、次第に穏当な風俗店をも閉店に追い込んでいった。その中で、最も巧みに法と妥協したディスコだけが、今の世まで生き延びることが出来たのだ。よって、この歴史に逆行してディスコの新店を開業することは、ポリの街では、針の穴にラクダを通すほどに難しい、と言われている。
たまたまスウェーデンで青春時代を過ごし、その後も日欧間を行き来している私は、その歴史の生き証人としてこの文章を書いている。今から思えばヒッピー文化は途方もなくワイルドなカルチャーで、当時の欧米のヒッピー団は「過激な性のカルト集団」と呼ぶに相応しかった。しかしその頃は、自他ともに当たり前だと思っていたのだから、人間の判断力や価値観、観念といったものは、移ろい易く、信頼に値するものではない。
さて、話をポリの中高年向けディスコに戻そう。客は日頃はおとなしく楚々とした熟男熟女である。しかしここに来ると、目をギラつかせたハンター達に変身する。大多数の客はバツイチかそれ以上のキャリアであろう。伴侶がいたら、これらの店に来ることは許されないはずだ。
北欧には見合結婚の慣習は無いし、上限無しの累進課税の為、金ずくでハントする金持ちも居ない。自力、実力、押しの一手で、獲物を捕らえるしか術が無いのである。
清少納言の枕草子・25段に「すさまじきもの」がある。すさまじき、は現代とはニュアンスを異にし、「興ざめ」とか「鼻白む思い」と言う感じだ。
不敬千万ではあるが、私は少納言の名文の末尾に、北欧における「すさまじきもの」を加筆してみた。
すさまじきもの ひる吠える犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣…“真夏の白ウサギ。湖上に舞うスズメ。ディスコで踊る分別盛り(中高年の意)”
長井 一俊
Kazutoshi Nagai