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長井 一俊
Kazutoshi Nagai
3月末にもなると、北欧でも降雪日の間隔が長くなる。この日、満面の笑みを浮かべた4人の家族連れが来店した。ご夫妻は何度目かだが、二人の娘を連れて来たのは初めてだ。姉が10才、妹が6才になるという。牧場主のこの家族が...
2月の末、小雪がぱらつく中、少し変わった中年のカップルが来店した。なめらかな米語を話すブルネットの奥様と、やや小柄で日焼けした肌、東洋系とも思える顔立ちをしたご主人だった。酒焼けであろうか、彼の鼻の頭は真っ赤だ...
冬至が過ぎて年が明けると、北欧では本格的な雪の季節を迎える。例年この頃の雪質は粉雪だが、この冬は牡丹雪の日が続いている。そういえば、先日のクリスマスの日は雪が解けてしまい、クリスマスの本場、サンタの誕生の地であ...
雪が心なしか小降りになった昼下がり、『店の中庭に車でやって来ました。キッチンのドアを開けて下さい』と店に電話が入った。何事かと思いドアを開けてみると、サーモンを無償で提供すると最初に申し出てくれた若者が、左右の...
タンペレ市庁舎上空の黒雲が予言していたかのように、帰りのバスに乗るとすぐに小雪が舞い始めた。北欧の11月は 4時を過ぎると真っ暗で、しばらくするとバスの車窓から景色が消えた。見えるものと言えば、フロントガラスをた...
雪の日、晴れの日、霙(みぞれ)の日が繰り返す11月の初旬は、お客の入りがめっきりと減ってしまう。それでも週に一度は来店して、キッチンに一番近いカウンター席に座って寿司を食べる無口な青年がいる。この日、彼は突然私に『是非、相談に乗って欲しい事があります』と切り出した。...
例年北欧では、秋が深まると飲食店への客足は滞るが、私の店の落ち込みは小幅で済んでいる。日本から帰国した10名の女性達が、代わる代わる沢山の友人を連れて来てくれているからだ。依頼をいただく機会もありがたいことに増加し続けております。死をめぐる...
秋風が吹き始めた8月の半ば、ポリの住人は休暇から戻り、街は日常を取り戻した。遅れること2週間、9月ついたちに、日本から帰国したばかりの女性10人が、打ち上げパーティーを私の店で催してくれた。実は、この年の春、このグループの一人から、「安く日本に行く方法は...
日本では5月、北欧では6月に咲くスズランが、我が家の庭では7月中旬から8月の初旬にかけて咲く。スズランは北欧で最も人気のある花と言われ、スウェーデンでもフィンランドでも国花とされている。特にフィンランドのイメージとピッタリ符合する。スズランは寒さに耐え忍んだ後、葉の中に隠れるようにしながら、しっかりした純白の花を咲かせる。その清楚で可憐な姿は、見る人の心を洗い流してくれる。 八月の終...
夏至祭の休日を利用してやって来た白夜のアイスランドは、国名から真っ白な島をイメージしていた。しかし、着陸前に窓越しに見たのは、火山から噴出された玄武岩に覆われた濃い灰色の島だった。 北欧は森の国と言われるが、アイスランドの森林面積は国土の1%に満たない。それには大きな二つの理由があった。一つ目は、化石燃料が普及するまで、入植者達は暖を取る為に森林を伐採し続けた事。 二つ目は飼...
一年で一番快適な北欧の6月中旬、「ポリの街は大自然のまっただ中にある」を思い知らされるハプニングがあった。 私がレストランの裏庭に置いたメリミエスの形見の椅子に座って、パンの耳をスズメ達にあげていた。すると突然、けたたましい悲鳴をあげてスズメ達が飛散した。椅子の上を覆うひさしの筋交いに、全幅2メートルほどに翼を広げた大鷲が舞い降りたからだ。 大鷲はアルバトロス(アホウ鳥)、コ...
5月も中旬になると、自宅の庭先にもデイジーやフリージアが咲き、ホームセンターで購入した小鳥の巣箱も、前秋生まれた好奇心旺盛な子リスたちの、格好な遊び場になっている。 空は青く澄みきっているが、収入の135%を課税されたショックは大きく、一人でいる時は「これからどうすれば良いのか。もし、毎年こんなに高い税金を払わされたら、遠からず破産してしまう」とばかり考えてしまう。「人は死と税金から...
ポリの春は、カモメと伴にやって来る。ポリは港町であるが、氷河の後退により、その重さから解放された地盤は、今でもゆっくりと隆起を続けている。結果、コケマキ河がボスニア海に流れ込む河口は、450年程前に形造られた現市街から西北に約8キロメートル程、遠ざかってしまった。河口付近に出来た干潟には、沢山の魚貝、ゴカイやイソメ等の海洋生物が繁殖し、渡り鳥達の格好の餌場となっている。しかし、どういう訳...
3月も半ばを過ぎると、春の到来を予告するポリ独特の景色がある。郊外の雪道を競争馬のオーナー家族が、来るべきシーズンに備えて、愛馬にのって闊歩する風景だ。知人の馬主家族は、大きな2頭のサラブレッドに夫婦が騎乗し、その後から、小学生の娘が小型の蒙古馬に乗って隊列をなすのは、じつに微笑ましく、羨ましい光景だ。 ポリの町は、地方都市でありながらも、競馬場を持ち、観光資源の...
2月も下旬になると、ポリの町は1年で一番寒い日を迎える。明け方零下20度まで冷える日も珍しく無く、昼になって零下5度に上がると暖かくさえ感じられる。人の感覚はすべからく相対的であるらしい。 私の好きな短歌に、江戸末期の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)が詠んだ “楽しきは たまに魚煮て 子供らが うましうましと 言ひて食ふとき” がある。 この歌から...
マレーシアで起きた大津波の惨事後、しばらく遠慮していた大晦日の花火は、ブランクを取り戻すかのように、コケマキ河畔の家々から打ち上げられて、ポリの夜空を美しく飾った。 花火を見たあと私は、恒例のロシアンクラブでの年越しパーティーに出席した。 スピーチ好きなロシア人のパーティーでは出席者は必ず何かを話さねばならない。スピーカー達は日本の連歌師のように、前任者の話題を上手に受けて、...
東京からヘルシンキへの帰りの機内で、運悪く隣に座ったのは、太った若い男だった。常々私は、飛行機代は目方で決めるべきだと考えている。そうすれば、多くの人がダイエットに励み、結果として世界の医療費の総額も減るに違いない。 隣に座ったその男は、私が英字新聞を読んでいるのを見て、『私はスウェーデンのウプサラ大学で神学を学んでいます。この一ヶ月間、京都の禅宗の寺々を見て来ました』と英語で自己紹...
11月第3週の初めに、真っ暗だったフィンランドから、私の目には眩し過ぎるほどの秋天の成田空港に降り立った。 帰宅するまではとても待てない。空港内のコンビニで、「何はともあれ、駆けつけ3杯」とカップ酒を3本と烏賊の薫製を買った。成田エクスプレスの中で、国民歌謡「舟歌」の♪ お酒はぬるめの燗(カン)がいい 魚はあぶったイカでいい ♪ を想い出しながら、久々に見る千葉の田園風景を車窓から楽...
日本の雨はお洒落である。五月雨、梅雨、驟雨、そして晩秋に降る雨は山茶花雨と呼ばれ、四季折々に趣のある冠を被せられている。農耕民族であった日本人にとって、雨は良くも悪しくも大事であり、その名はカレンダーの役目も果たしていたのであろう。欧米の雨は、雨でしかない。 もっとも、欧米の方が繊細な例も稀にある。日本のスーパーで、客は目視により欲しい牛肉のパックを簡単に買える。欧米のほとんどのスー...
「フィンランドの夏はどれほど暑いのですか?」と問うメールがしばしば日本からくる。それに対して私は、常用しているフィンランド語の教科書に載っている「電話」という章の一節を直訳して、返事としている。“今年の夏、この村はとても暑いんだ。そっちの町はどうかね?”“こっちも暑いんだ。摂氏26度もある。まるで地獄だよ!” これを読んだ多くの人たちか...
ポリジャズ祭も終わり、街は平静を取り戻した。カモメたちはコバルトブルーの空を舞い、事務所兼自宅も25組の観光客から解放されて、以前のように我家の先住民、リスやキジや針ネズミの家族と大兎も戻ってきた。 祭りの期間中、イベント会場での模擬店は開かず、市内店舗での平常業務に絞ったが、連日超満員で売り上げは上々だった。惜しむべくは大型店のように来客の全てを収容して、年の収益の何割かをこの10...
ポリ市最大の年中行事、ポリジャズ祭が近づいた。前年私はイベント会場で10日間、日本料理の模擬店を出した。早朝から真夜中迄の激務であった。疲労と寝不足により朦朧としていたので、客達にどう対応したのか想い出す事も出来ない。私の留守の間、市内にある私の店舗も、連日観光客で満席が続いていた。ココとチャイの二人の中国娘が私の書き置きを無視して、見よう見まねで、寿司も天ぷらも作ったと言う。幸い、いち...
前年の6月末に行われた3日間の夏至際では、ポリの街から人影が失せ、私のレストランは開店休業の憂き目にあった。 この年は悪あがきせず、ラーキオの招きに応じて、ポリ郊外の湖畔にある彼の別荘で過ごすことにした。別荘は、元レストラン協会・会長の肩書きに相応しい豪華なものだった。フィンランドには金持ちはいず、全員が中産階級と言う印象を持っていたが、資産家はまだいたのだ。ラーキオの母親がいまだ存...
6月の花嫁(June Bride)と言う言葉は、梅雨の日本にはそぐわないが、北欧ではまさに、美しく着飾った花嫁に相応しい祝辞である。Juneの語源は美の女神Junoから来ていると言われ、6月は花嫁にとって、この上ない結婚月なのだ。その爽やかな6月の中旬、ヨハンソン女史から次のようなメールが届いた。 ISADORAのバッグを頂きありがとうございました。私の使う香水の銘柄を東洋人の貴男に...
心待ちにしていた背の高いご夫人を、一番奥のテーブルに通して、私はロッカーにしまってあったISADORAのバッグを彼女に渡しながら、今度はフィンランド語で礼を述べた。すると、彼女は『フィンランド語は話せません。母国語はスウェーデン語です』と英語で答えた。私がスウェーデン語で礼を言い直すと、彼女は驚きの声をあげた。 変だ!あの晩、私はタクシーに乗った時に、スウェーデン語と英語で礼を述べ...
「待ち人来たらず」という言葉がある。私が見たどの辞書にも、「待つ相手が来ない意」と簡単にしか記されていない。しかし、私の人生観からすると、この言葉は「待っている時は、得てして人や返事は来ないものだ。諦めてしまったり、忘れた時にやってくるのだ」という意味に思えてならない。 あのアイスホッケーの試合が行われた晩、私の耳と指を凍傷から救ってくれた黄色いマフラーは、いい香りがして、タクシー待...
3月に入ると高緯度にある北欧では、日照時間が加速度的に長くなる。「畳の目ほど」日が延びると言われる日本とは、大いに趣を異にする。冬至は真っ暗、夏至は白夜と言う極端から極端への移行によって生じる、天体メカニズムである。地球の自転軸が太陽を周回する公転面に対して、約23.4度傾いている事が主たる原因だが、地球の公転軌道が円ではなくて楕円である事から、私たちが習った2次元数学では、正確な日照時...
一年で一番寒いとされる1月20日を、日本では24節気の一つ「大寒」と呼んでいるが、ここポリの街が一番寒くなるのは、2月の下旬である。日照時間が延び、モノトーンの世界を脱して青空が戻ってくるのだが、この時期に街を横切るコケマキ川に張る氷が、最も厚くなるからだ。北海道の網走町で、オホーツク海からくる流氷が大量に接岸する2月下旬が、一番寒くなるのと同様だ。 この最寒期には、霧氷が葉を落とし...
パブでの乱闘に巻き込まれた結果、ぐらぐらになってしまった一本の奥歯は、お医者様の治療のかいも無く、数日後の夜更けに抜け落ちてしまった。日本から送られて来た、大好物のゲンコツ煎餅を寝酒の肴にしたのが致命的だった。 「下の歯が抜けたら屋根に投げろ」と日本では言われるが、雪の降る深夜にいったいどうしたら良いものか、と私はいつもテーブル代りに使う、キッチンの出窓の前で思案していた。その時、出...