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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2015.04.13

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(53)】反発力と方向性

長井 一俊

長尺の黄色いマフラー

長尺の黄色いマフラー

「待ち人来たらず」という言葉がある。私が見たどの辞書にも、「待つ相手が来ない意」と簡単にしか記されていない。しかし、私の人生観からすると、この言葉は「待っている時は、得てして人や返事は来ないものだ。諦めてしまったり、忘れた時にやってくるのだ」という意味に思えてならない。

あのアイスホッケーの試合が行われた晩、私の耳と指を凍傷から救ってくれた黄色いマフラーは、いい香りがして、タクシー待ちをする私の心まで甘く暖かくしてくれた。マフラーの持ち主の背の高い女性は、フード付きのダウンジャケットを着て、毛足の長いイヤーマフもしていたので顔はさだかには見えなかったが、小さな旅行バッグを持っていた事や、美しく尖った顎の型からして、スウェーデン女性だと見当をつけた。

タクシーが来て、マフラーを彼女に返そうとして、うろ覚えのスウェーデン語で礼を述べたが、返事はなかった。その代わり、右手の5本の指をいっぱいに開いて、そのまま持っていなさい、という仕草をした。私は胸のポケットから、レストランの住所が入った名刺を彼女に渡して『いつか来て下さい。日本食をご馳走します』と今度は英語で礼を述べた。やはり返事はなかったが、名刺は受け取ってくれた。

数日後、私は調度品の買い物でヘルシンキに行った時、デパートの一階で、あのいい香りを嗅いだ。その香りはまぎれも無く、スウェーデン製の香水「イサドラ」の売り場からのものだった。イサドラは香水だけではなく、アパレルやバッグのブランドにもなっている。バッグ売り場に行ってみると、真っ白い地にISADORAの名が大きく入ったスポーツバッグが売られていた。迷わず私はそれを購入した。ビニール製なので価格はそれほど高くは無かった。これなら、気軽にあの女性も受け取ってくれるだろう。

私はポリに戻ると早速、店のクローク・ルームの帽子掛けに黄色いマフラーを吊り下げて、その上の棚にイサドラのバッグを置いて、彼女の来店を待った。映画「幸福の黄色いハンカチ」の主人公になった気分だ。しかし、待ち人来たらず。本格的な春が訪れた5月の初旬に、マフラーをバッグに入れて、私のロッカーに移した。

5月に入ると、期待通りに客の数は急に増えた。しかも日本人客も徐々に来るようになった。(当連載の44号で書いた)世界初の高レベル放射性廃棄物の地下処理場“オンカロ”プロジェクトが本格的に動き始めたからだ。日本人客の殆どは、紺のスーツを来た、政・官や電力会社の人達であった。この頃にはもう、日本人客だからといって、緊張することは無くなっていた。

彼らはポリ空港が中央駅のすぐ裏にあり、しかもチェックインに時間がかからない事を知って、私の店に来て、寿司や天ぷらを食べながら時間をつぶすのだ。世間話の後、彼らの多くが『お寿司屋さんに質問する事ではないけれど、何故フィンランドの教育レベルは世界のトップなのかね?』と聞いて来る。

職業で相手を値踏みする人を好きにはなれない。私は『教育は手品じゃないんですから、種や仕掛などはありませんよ。知りたければ先ず、この国の歴史をしっかり学んで下さい』とすげなく答える事にしている。

しかしこの日の客は違っていた。『私はフリーのルポライターです。出版社の依頼でフィンランドの教育都市と言われる、ユヴァスキュラとオウルの町で取材をしてきましたが、別段の違いを見つける事ができませんでした。この国の歴史は帰国してから勉強しますが、もう少し教えてくれませんか。手ぶらで帰ったら次の仕事がもらえません』と言う。

私は『フィンランドの歴史を勉強するなら、ついでにユダヤ民族の歴史も勉強して下さい。ユダヤ人の世界の総人口はたった1350万人です。世界の人口を50億人とすると3%にも満ちません。そのユダヤ人がもらったノーベル賞の数は、全体の4分の1を占めています。アインシュタインやサミュエルソンをはじめ、多くの優秀な科学者や経済学者が排出されている事はあなたもご存知でしょう』

『フィンランド人やユダヤ人は優秀な民族ということですか?』

『民族の持つDNAの差で、体型の違いや、病理疾患などの発症率に差は出ています。しかし、“脳の持つ潜在能力の数%しか、人間は使っていない”と言われることから考えると、民族の優秀性は遺伝によるものでは無いと思います』

『それでは、一体何が両民族の教育レベルを高めたのですか』

『“モーゼのエジプト脱出”以来、三千余年、ユダヤ民族は世界中で迫害を受け続けました。フィンランドも歴史のほとんどを隣国のロシアやスウェーデンからいじめられました。要は反発力だと思います。強く叩かれたボールは遠くに飛びます』

『ジプシーやアーミッシュ等、長い間差別を受けた民族や宗派もありますよね。その人たちとはどう違うのですか?』

『長い視点では、親から子、子から孫への家庭教育の差からだと思いますが、現代のフィンランドに焦点を絞れば、ボールの飛ぶ方向は、国の予算配分の仕方によって決められてしまうように思えます。アメリカでは国際安全保障に、中国では国内の治安と軍事拡大に、新興国ではインフラに重点が置かれています。日本ではバラマキ型の予算配分をしています。それに比べて北欧は、社会福祉に多くの予算を配分し、中でもフィンランドは教育に最大の投資をしています。幼稚園から大学院まで学費も教材も全て只。高等教育においては、職業大学、総合大学、大学院、大学院大学などがあって、自分に適した選択ができ、かつ、途中でコースの変更も自由です。クラスは全て少人数制ですから、学級崩壊などは起こらないし、落ちこぼれも出ません。その結果、偏差値は当然高くなります』

『教授の質はどうですか?』

『この国の先生はよく勉強しますよ。私の学生時代の日本では、一つのノートで一生やり通す大学教授がいたものです』

私は段々熱くなって来て『この国では受験の為の勉強はしません。ましてや塾などはありません。猛烈な受験戦争をしている、韓国や中国から、サイエンス分野でノーベル賞をもらった人はいないでしょう。受験勉強は身に付かないのですよ』とまで言った。

話に夢中になっている時、店のドアが開いて、あの背の高いご夫人が入って来た。待ち人は、忘れた頃にやって来るのだ。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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