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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2015.08.31

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(58)】北欧、自転車考

長井 一俊

自転車専用道

自転車専用道

ポリジャズ祭も終わり、街は平静を取り戻した。カモメたちはコバルトブルーの空を舞い、事務所兼自宅も25組の観光客から解放されて、以前のように我家の先住民、リスやキジや針ネズミの家族と大兎も戻ってきた。

祭りの期間中、イベント会場での模擬店は開かず、市内店舗での平常業務に絞ったが、連日超満員で売り上げは上々だった。惜しむべくは大型店のように来客の全てを収容して、年の収益の何割かをこの10日間で稼ぎ出すことが出来ない事だ。私の店で対応出来たのは、おそらく足を運んでくれた人の3割にもみたなかったであろう。

北欧の夏用自転車

北欧の夏用自転車

よく働いてくれた店員達を労うため、翌日からの週末の土日を臨時休業としたので、定休日の月曜日を含めると3連休が取れることになった。

金曜日の夜半過ぎ、「久方ぶりの3連休をどう過ごそうか?」と、ワクワクした気分で帰宅すると、日本から一通の封書が届いていた。「君の大酒も年貢を納める時がきたようだ」からはじまったその手紙は、父の友人であり、私を小説研究会にひっぱりこんだ、作家で元参議院議員の八木大介からであった。私は彼から、「君の下手な文章は、情報量で補えば良い。七つの海を越えて遊び歩いている君には、真の海外情報を日本人に伝える義務が有る」と迫られたのだ。

彼には、父の葬式で、葬儀委員長を引き受けてもらった借りがある。月に一度、霞ヶ関のプレスセンターで行われる例会に、いやいや出席するはめになった。毎回宿題も出されるので、海外出張の多い私には結構な負担であった。

しかし、2次会での馬鹿話は楽しいもので、2008年に八木大介が脳梗塞で倒れるまで、この会は長く続いた。八木大介という八方広がりのペンネームは、文豪・城山三郎から贈られたものだ。ちなみに、私のペンネームは私の口癖「昔、吉祥寺は静かだった」から、八木大介が「吉祥寺静」と命名した。私は“永遠の美少女”夏目雅子を独り占めにした、にっくき伊集院静が想い出されて、好きにはなれなかった。さりとて、無視するわけにもいかず、川柳や狂歌など、ふざけたものを詠んだ時だけ、そのペンネームを使うことにした。

さて、八木大介からの手紙の内容だが、「昨今多発している自転車事故を減らす為に、政府は自転車にも自動車に準ずる法の網を被せようとしている。酒気帯運転は最重要危険項目に入っているようだから、君がよく言う『飲んだ後、最寄り駅から自宅迄、風に吹かれながらの自転車はこの上なく心地よい』などとは言っていられなくなった」というものだった。前年、飲酒をドクターストップされた八木大介が嬉しそうに書いてきたのだ。

3連休が始まる土曜の朝、寝坊を決め込んでいたが、事務所の方から電話のベルの音が聞こえた。トウミネン教授から『明け方から電話して済まない。今から家族と一緒にベルギーに行って、自転車旅行をする。荷物を軽くする為にパソコンは持っていかないので、しばらくメール交換は出来ない』と言ってきた。初老の私達には携帯電話を親指で操作するのは苦手なのだ。ベルギーは自転車の先進国。行く先々で好みの自転車が借りられるのだ。

それでは私も、この連休を使って日頃行く事の無いポリ郊外を自転車で探索してみよう、と思いついた。折角、美しいポリに居て、他国に足を延ばす理由は私には無かった。

北欧の自転車の最大の特徴はハンドブレーキではなく、フットブレーキが多いことだ。止まるには、ペダルを踏んで、クランクを静止させるか、もしくは逆回転させなければならない。慣れるまでには時間がかかる。このスタイルは日本では競輪以外では禁止されていると聞いている。ハンドブレーキが北欧で敬遠される理由は定かではないが、一説には、氷上で転んだ時、ハンドブレーキのトリガー(引き手)で怪我をする人が多いから、と言われている。今でこそトリガーの先は、ゴムに覆われて丸い形をしているが、昔は金属むき出しで尖っていた。

北欧では、夏と冬では自転車が異なる。冬はタイヤが太く雪道に強い、マウンテンバイクが好まれ、夏はタイヤの細い軽快車が主流だ。私は時々、自転車で買出しに行くので、一年中冬用のマウンテンバイクを使用している。久しく乗っていなかった夏用の軽快車をガレージの奥から引っぱり出すと、後ろのタイヤがパンクしていた。

しかたがない、街はずれの自転車屋に修理に行くことにした。私は自転車屋のオヤジに、『どうして後ろのタイヤばかりがパンクするのかね?』と問うた。『貴男は自分の脚力で自転車を走らせていると思っているのでしょう。それは勘違いです。脚力はクランクを回しているだけです。チェーンがその力を後輪に伝え、後ろのタイヤの低面が、道路をガッチリと掴んで、前進する力を生み出しているのです。前輪は進行方向を決めるだけで、空回りしているのと同じです。働き者の後ろのタイヤが早く痛むのは当前です』と言った。

このオヤジ、できるな!と感じて、パンクを修理している背後から、八木大介が伝えてきた、自転車新法の話をしてみた。すると即座に、『それはおかしい。自転車は自動車よりもずっと人間に近い。自動車並に扱うのは間違っている』と言って、その理由を並べた。

1)車高は1メートルほどで、大人より低い。
2)自重は20キロほどで、大人より軽い。
3)速度はせいぜい30キロほどで、カール・ルイスより遅い。
4)化石燃料は使わない。
5)運転者の健康に寄与する。
6)排気ガスは出さない。

と言った後、『あそこの踏切を見て下さい。平日の朝なら、通勤・通学のため大勢の人達が自転車で通過します。もし、自動車同様、前の自転車が踏切を渡り終える迄、次の自転車が踏切内に入れないとしたら、サラリーマンも学生もみな遅刻してしまいますよ』

そしてオヤジは最後に『自動車の酒酔い運転が禁止されて以来、ポリの呑兵衛どもは、住宅地にあるパブへ自転車で飲みに行くようになった。もし、その自転車新法がポリに来たら、パブもウチも倒産ですよ』

たしかに、踏切の例でも判るように、「都合の良い事だけを罰し、都合の悪い事は大目に見る」では法律ではない。ましてや日本では、欧米のように自転車専用道路は整備されていない。それなのに、法規だけが先行するのは納得がいかない。

修理された夏用の自転車で帰宅する頃には、日は高く、気温もかなり上昇していたので、ビールを飲んで、昼寝をすることにした。しかし、八木大介と自転車屋のオヤジの言う、「もし自転車新法が出来たら」が頭から離れず、眠る事が出来なかった。

もし、私がいつものように酒を飲んだ後、自転車を時速20キロのスピードで走らせたとする。巡査に怪しまれて、1キロほど尾行されたとしよう。私は近道の一方通行を逆走し、車道の右側を走り、帰宅を告げようと携帯を使い、電池切れに気づかず無灯火で走り、T字路では信号を無視し、遅い自転車を追い越し、時雨れて傘をさし、交差点での一時停止を怠ったとしよう。3分間で10件の違反をしてしまった事になる。

グローバル・スタンダードでは、罪を重ねると罰は倍々に累進される。その結果、死刑が廃止されている国では、禁固1000年を超す判決も珍しくはない。八木大介は「規則違反の罰金は5万円」と予想している。暗算してみると、5,・10,・20,・40,・80,・160・・・・!! 私には2,560万円の罰金が課せられる事になる。八木大介が「我が意を得たり」と、ウキウキして手紙を書いてきた理由が判った。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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