グローバル HR ソリューションサイト
by Link and Motivation Group

グループサイト

文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大
  • お問い合わせ
  • TEL:03-6779-9420
  • JAPANESE
  • ENGLISH

COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2015.09.28

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(59)】別れの秋

長井 一俊

秋のコケマキ河畔

秋のコケマキ河畔

「フィンランドの夏はどれほど暑いのですか?」と問うメールがしばしば日本からくる。それに対して私は、常用しているフィンランド語の教科書に載っている「電話」という章の一節を直訳して、返事としている。“今年の夏、この村はとても暑いんだ。そっちの町はどうかね?”“こっちも暑いんだ。摂氏26度もある。まるで地獄だよ!”

これを読んだ多くの人たちから、「その著者を夏の東京に招きたいものだ。いったい何て言うのだろう?」との、メールが返って来る。その快適なフィンランドの夏が過ぎると、8月末には肌寒い秋が足早にやって来て、ポリの中央を流れるコケマキ河畔の銀杏や白樺の葉を黄や茶色に染めてしまう。

秋と言えば日本では、「食欲の秋」「読書の秋」「芸術の秋」である。フィンランドでは前述したように「キノコ狩りの秋」である。しかし私にとって、この年は「別れの秋」になってしまった。

忘れもしない9月末日の朝、出勤してきた上海娘ココから『家庭の事情で、帰国する事になりました。もっと早くお伝えすべきでしたが、言い出せなくて…』と、突然の申し出があった。

私は研修生達に「レストランは流れるプールのようなもので、料理人がいくら上手くても、その前工程の食材や調味料の手当、後工程の配膳や皿洗い等、全てが上手くいかないと、流れは止まってしまう」と教えている。

研修生達は、個々の作業は料理学校で習ってきてはいるものの、作業の順序を体得したり、複数の作業を同時にこなすまでには至っていない。ココは私の店に来る前に、中華料理店で働いた経験もあり、自分の役割だけではなく、全体への目配りが出来るセンスも持っていた。私がやろうとしていることも、先廻りしてその段取りも組んでくれる。

そのココが突然居なくなってしまうのは、右手右足を同時に失う事にひとしい。そして、有能な店員とか、可愛い上海娘としてではなく、何者にも代え難い心の拠り処だった。

世に「性同一性障害」と言われる人達がいる。幸いにして日本は、この障害を「粋の道」として是認した、誇るべき歴史をもっている。私の持つ障害は、「年齢同一性障害」である。体は初老だが、心はいまだ学生のままだ。ココは私を日本のお父さんと思っていただろうが、私は彼女を一人の女性として、好きになっていたのかも知れない。そうでなければ、これほど迄に、大きな衝撃を受けはしなかったに違いない。

もっと良くしてあげればよかった。将来バーテンダーを志望していた、通称ガードマンのエミリーが1年間のパブ研修を終えて私の店を去った後、夜の部のパブをフォローしてくれたのは、ココだけだった。私は何度も彼女を、アルバイト学生には縁遠い、町で唯一の三ツ星レストランに連れていってあげようとした。店の客が途絶えた夜、「さあ今から」と思った瞬間にドアが開いたり、雨が降り出して、もう客は来ないだろう、「今こそは」と思った時、「これからそちらに行くよ」という常連からの電話が入ってしまった。まるで、フィンランドにも弁天様が居るように思えた。

蛇足だが、「なぜ弁天様がヤキモチ焼きか?」には諸説がある。その一つを紹介しよう: 京や江戸のお大尽さまは、人目をはばかって、近隣の遊里を避け、遠隔地の色街を選んだ。「商売繁盛を祈願してくる」と言って、弁(財)天様の祭られる「丹後の宮津」や「江ノ島」等に足を延ばした。どちらも景勝地であるから、奥方が同伴を申し出る。そこで、「弁天様はヤキモチ焼きだから、一緒にいくと別れるはめになる」と言って、奥方に留守をさせて、自分たちは弁天様の門前で繁盛する遊郭で大いに羽を伸ばした。

この話を裏付けるように、京近在の人たちが今でも愛唱する唄がある。
♪二度と行くまい 丹後の宮津 縞の財布が空になる…♪  これは、並みの町人が宮津で遊んだら、大層結構ではあったが、相場よりも高く、流行の縦縞(ストライプ)の財布が底を付いてしまった、と嘆いた唄だ。

それにしても、一度でよいから一流のレストランで、ココを給仕する側から、給仕される側に座らせてあげたかった。しかし、その今(いま)は最後まで来なかった。今(いま)と言う、瞬時すら無いほどに、時間は非情に過ぎ去っていく。その様を上手く表した、詠み人知らずの狂歌がある。

今(いま)という いまなる時は無かりけり 「ま」の時来らば 「い」の時は去る

スマトラ沖地震で、多くの北欧の観光客が帰らぬ人となってから、互いの無事を確かめあうハグ(抱き合う)の習慣は、女学生や中高年の女性の間にすっかり根付いてしまった。恋人同士以外の男女間のハグには、阿吽の呼吸が必要で、片方がそれを避けようとしたら、お互い気まずい思いが残ってしまう。私の店で、中高年の女性が食事をして、店を去る時、私は店頭の重いドアを開けてあげる。すると、ご夫人達は『美味しかった。ありがとう』と言って、ごく自然にハグしてくる。私も自然にハグされる。これが、リピーターを増やすコツでもある。

ココとの別れの日、泣き出したココを思い切りハグしてあげた。一年半前に、この店の開店許可を取るための、最後の障害であった、「マンションの住人全員から同意を取り付ける」を見事に達成した説明会の後、私達は大喜びでハグした。その頃の彼女の体は、ふっくらした感触があった。ところが今回は、まるで違っていた。『痩せたんじゃない?』と聞くと、『マスターだって、すごく痩せましたよ!』と言った。ココは『マスターが一日中、ほとんど食事をしないので、私達もまかない食をいつのまにか食べなくなってしまい、お陰で10キロもダイエット出来ました』と涙を拭きながら笑顔を見せた。この会話のお陰で、私は泣かずに済んだ。

レストランでは、やることが沢山ある。当分の間私は、“そうか、もう君はいないのか”(後年、城山三郎の遺稿となったエッセイ集の題名と偶然に同じ)を何度も口にしては、大きなため息を繰り返した。

秋の別れは、家の庭でも始まっていた。美しい翼を広げて庭に舞い降り、獣人たちが食べ残したパンの耳をついばんでいたカモメたちが、遠い南の国に去ってしまった。次にリスたちが木の実豊かな裏の森に消えて、そしていつの間にか針ネズミの家族も顔を見せなくなった。その後しばらくして、キジの親子も何処へか旅だっていった。

残されたのは、私と庭の白樺の下に穴を掘って棲む大兎だけになった。大兎には、当然のようにミミと言う名が付けられていた。男性がペットの中で一番可愛いと思うのは、犬でもなく、猫でもなく、実は兎だ。特に夜、酒のお酌をしてくれるバニーがいい。

私はこの秋から、パンの耳にレストランから出る、人参の尻尾とヘタを添えた。餌場も樅の木の根っこから、白樺の木の下に移した。しばらくたった定休日の朝、平日より遅い時間に、ミミの朝食を持って庭に出ようとすると、キッチンのドア先でミミが短い前足を挙げて、私を待っていた。

扉の前の枯れ草の上に、餌をそっと置くと、おずおずと餌に近づいて来た。私はしばらく立ち止まって、ミミの食事を眺めていた。食べ終わるとミミは私を見上げた。私の手の届くところにミミはいる。目が合うと、3つに割れた唇をモグモグさせた。私に礼を述べているように見えて、ハグしてあげたい思いにかられた。

お互いが相手の温もりを覚えてしまったら、ミミは私のペットになってしまうだろう。もし、ペットになってしまったら、日本に帰国する時、ミミを連れて帰れるだろうか? 野生動物に餌を与えてはダメというこの国で、出国の際、私とミミの関係を何と説明すればよいのか?

抱くか、抱かないか。大昔、私はこの選択を誤って、長いこと苦労したような気がする。その反省と、私の理性「野性の尊厳を守るべきだ」が、抱きたいという感情を押し殺した。

手に取るな やはり野に置け 蓮花草  俳人にして奇人・滝野瓢水の句に思いを馳せながら、キッチンのドアを閉めた。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

このコラムニストの記事一覧に戻る

コラムトップに戻る