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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2015.11.24

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(61)】一時帰国、感激の日々

長井 一俊

ポリ中央協会

ポリ中央協会

11月第3週の初めに、真っ暗だったフィンランドから、私の目には眩し過ぎるほどの秋天の成田空港に降り立った。

帰宅するまではとても待てない。空港内のコンビニで、「何はともあれ、駆けつけ3杯」とカップ酒を3本と烏賊の薫製を買った。成田エクスプレスの中で、国民歌謡「舟歌」の♪ お酒はぬるめの燗(カン)がいい 魚はあぶったイカでいい ♪ を想い出しながら、久々に見る千葉の田園風景を車窓から楽しんだ。それにしても、日本は便利な国だ。コンビニで酒が買える。北欧のスーパーやコンビニでは5度以下のビールしか買えない。

後ろの席に座っている女子学生達がしきりに「オタク」とか「ニート」と言って、意味の判らない会話をしていた。帰宅してから娘達にその意味を教えてもらった。オタクは身に覚えがあるので良しとしたが、問題はニートだ。北欧では潜在的に労働力が不足していたのだが、地方の製造工場が続々と中国に移ってしまい、又ユーロに加わった東欧諸国から、低賃金の労働者達が、建築業やサービス業を中心に多数流入した。労働組合の強い北欧では、企業はベテランの労働者の首切りをする訳にもいかず、結果的に新卒の採用人数を減らさざるをえなくなった。その結果、地方に住む若者達の失業率が急激に高くなってしまった。

ニートのように、働く場所があっても働く意欲が無いなどとは、とんでもない事だ。俄に日本の将来が心配になってきた。

自宅に戻るのは、4年8ヶ月ぶりだ。太平洋戦争と同じ長きに亘ってフィンランドに居たのだ。この年月は、私にとっても戦争にも似た、苦難の連続であったから、それをもって、家族をほったらかした罪滅ぼしとしよう、等と勝手なことを考えながら玄関の扉を開いた。激怒されるか、涙して喜ばれるか?

さにあらず、青春まっただ中の二人の娘からは『あらまあ、珍しい』、友人達とお食事会で忙しい女房殿からは、『あらまあ、早かったじゃない』と拍子抜けだ。子は母がいれば、母は子がいれば良い、という事のようだ。よく耳にする「亭主元気で留守が良い」という嫌な言葉は、私への言葉でもあったのだ。

家に戻って最初に驚かされたのは、家中に沢山のゴミ箱がある事だ。私が何かを捨てようとすると、「これはコッチ」「それはアッチ」といちいちクレームが入る。訳を聞くと、ゴミの分別収集の為だと言う。ポリでは、庭先の大きなゴミ箱にどんなゴミでも一緒に捨てられる。その事を家内に言うと『ポリって、そんなにだらしない町だったの!』と言われてしまった。『いくら僕だけが分別したって、誰かが規則を破れば、市は再分別をしなくてはならないじゃないか。2度手間は不合理だよ』と反撃したが、『日本では、日本人がするようにしなさい』で話しは終わってしまった。

日本の社会はかくも性善説の上になりたっているのか!と今更ながら驚かされた。欧米社会は性悪説の土台の上に在る。日本では何処に行っても自動販売機があるが、欧米では、滅多に見る事がない。壊されてお金を盗まれると考えているからだ。そこで最近、携帯電話によって決済する自販機が出始めた。電話会社を通しての、小額の銀行決済が合理的とは到底思えないのだが。

平和憲法を守っていれば、他国は攻めてこない、と思うのは日本人だけかもしれない。永世中立国のスイスもスウェーデンも、軍備には莫大な予算を配分している。中国の古典「大学」にも「小人閑居して不善をなす」と書かれている。小人とは君子以外の全ての人を指す。人はすべからく、教育を受けねば悪い事をする、と言っているのだ。中国社会もやはり、性悪説の上に築かれている。戒律の厳しい宗教を背負っている多くの国々も、性悪説の結果であろう。

日本でも唐から入った密教の、真言宗や天台宗では厳しい戒律が定められていた。その後、平和の島国日本では、親鸞などが寛大な大衆宗教に変えていった。

さて、時差ぼけの到着2日目には、頼まれた事からやってしまおうと、蒲田に向かった。ポリで行きつけの床屋さんから頼まれた、ハサミを買いに行ったのだ。どこの物より、日本のハサミが良いという。美容用品のカタログを見せてもらったが、ハサミの頁では、スウェーデン鋼を使用した一流品、ドイツのヘンケルやフィンランドのフィスカールより数倍高い値段が付けられていた。そのリストに、販売店の蒲田の住所が載っていたので、品川から京急に乗り込んだ。運良く座れたソファーの心地のよさに感激した。

実は、日本に発つ前日の朝、トウミネン教授が訪ねて来て、『突然だが餞別として受け取ってくれ。今日の午後にこの国を代表するバイオリニスト、ペッカ・クーシストがポリの教会でコンサートを開く。使用するバイオリンはストラディヴァリウスだ。私は急用で行けなくなったので、切符を貴男に譲る』

こんな忙しい時に、はた迷惑もいいところだ、と一度は憤慨してみたものの、もし私の飛行機が落ちたら、ストラディヴァリウスの音色を耳にせずして死んで行くのを、さぞ後悔するだろうと考えた。

カソリックの国では、大きな教会を大聖堂と呼ぶが、プロテスタントの北欧では、いくら大きくても教会は教会としか呼ばない。ポリには3つの教会があるが、区別するため、一番大きいこの教会を中央教会と呼んでいる。

私は時間ぎりぎりに教会に入ると、市長のためにでも取っておいたのか、最前列の中央の席が一つだけ空いていた。外人だから許してもらおうと、ずうずうしくその席にすわった。ストラディヴァリウスを鼻先で聞ける事はざらではない。

この名器にはいくつもの逸話があるが、「千住真理子さんが兄弟の援助を受けて、3億円程で購入した」と、日本から送られた新聞で読んだことがある。日本のバイオリニストとしては、4人目というが、世界では現在500丁程の存在が確認されている。その殆どは銀行や財団が所有するもので、今回聴けるものは北欧最大の銀行であるノルディア・バンクから貸し出された一丁だった。

ところが、演奏が始まって数分座っていると、お尻が痛くなった。欧米人は教会のツルツルの板張りのベンチで、子供の頃からお尻を鍛えられていたのだろうか。平日の昼間だったので、大部分の観客は女性であった。若い娘達は、はち切れんばかりのお尻をしている。中年はさらにその厚さを増す。クッションの必要などはないのだ。

私はレストランを始めてから、俄かシェフの悲しさ、揚げ物に使う油が鼻について、食事量が激減していた。82キロあった体重が、夢だった60キロ代に突入していて、お尻の肉は薄くなっていたのだ。最前列の中央に座ったバチが当たったのだろう。途中退席するわけにはいかない。1時間半は拷問を受けているようで、ストラディヴァリウスどころでは無かった。

3日目の午前中は、アポを取っていた武蔵小金井にある農工大を訪ね、手紬の勉強をして、午後には3件のペット・ショップに行って、犬の毛と羊毛を混紡して作る、ニュービジネス案を披露した。結果は前述したように、「温暖な日本での需要期はクリスマスとヴァレンタインだけに限られて、ビジネスにはならない」と断わられてしまった。

4日目は合羽橋にいって、大椀とドンブリを仕入れた。店側がそれらを航空便でフィンランドに送ることを承諾してくれて、ホッとした。その足で浅草橋に行き、ブルーレイ・レコーダーとディスクを、フィンランドでの半値で買う事ができた。お蔭で、往復の旅費が浮いたと喜んだ。

ところが、最終の2日間は久々に、かつての部下達が、奈良は法隆寺傍の割烹旅館で、私の帰還を祝って泊まりがけの飲み会を催してくれた。

料理は店のカンバンの「テッサシ」と「霜降りの松坂牛」「伊勢・桑名の海老や貝」「鳴門の渦潮で揉まれた平目やスズキ」等の近在の珍味を肴に、伏見の純米吟醸酒で飲み明かした。女将のはからいで三味線も入った。

飛行機や新幹線で来てくれた人も多かったし、このメンバーだと、飲代は当然のように私もちになる。クレジット・カード一枚では払いきれない程、皆よく飲んでくれた。

歌や句の世界では藤原定家以来、他人の作品の一部をパクっても、高等技法の「本歌取り」として、高く評価されている。そこで思わず私も、子規の句をパクってしまった。   酒飲めば 金が減るなり 法隆寺 (赤面)

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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