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2015.12.21
長井 一俊
東京からヘルシンキへの帰りの機内で、運悪く隣に座ったのは、太った若い男だった。常々私は、飛行機代は目方で決めるべきだと考えている。そうすれば、多くの人がダイエットに励み、結果として世界の医療費の総額も減るに違いない。
隣に座ったその男は、私が英字新聞を読んでいるのを見て、『私はスウェーデンのウプサラ大学で神学を学んでいます。この一ヶ月間、京都の禅宗の寺々を見て来ました』と英語で自己紹介を始めた。ウプサラ大学といえば北欧最古(1471年創設)の大学であり、18世紀には有名な植物学者リンネを、20世紀にはノーベル賞受賞者を8人も輩出している名門大学である。
彼はいきなり『貴男は仏教徒ですか?』と質問してきたので、『家の宗旨は仏教だが、私自身は俗人だ』と答えた。『それは良かった。俗人ということは、どの宗教に対しても中立ということですね?』『その通りです』
そして、次に彼は『貴男はキリスト教について、何か知っていますか?』と、無礼な質問をしてきた。
私が子供の頃、家のそばにプロテスタントの小さな教会ができた。何をする処かと覗き込むと、牧師の奥様と思える若いブロンドの御夫人が招き入れてくれた。そして、当時では珍しい片面にチョコレートが塗られたビスケットと紅茶をご馳走してくれた。とても美味しかったが、それよりも彼女を見て、「世にこれほど美しい女性がいたのか!」と感動したことを覚えている。後に母から、『家は代々仏教なので、耶蘇教はダメです』と言われて、足が遠のいてしまった。しかし、キリスト教は私の中に、「美しいもの」と言うイメージが定着した。
隣に座った男に、もし私がその話をしたなら、きっとヘルシンキまでキリスト教の素晴らしさを説教されるだろうと考えて、『中世の魔女狩り、異端者への迫害、聖母マリアの他にも、イシスのマリア、マグダラのマリア、黒いマリアが居た』と、キリスト教徒が嫌がる事ばかりを挙げてみた。
すると彼は太い首を前後に揺すりながら、笑顔で『そこまで知っていれば話しは早いのです。現代のキリスト教徒は聖書研究の進歩から、著しく取り残されていて、負の歴史を知っている人は、ほとんど居ません。神父の言うことは全て正しいと思いこむように、プログラムされているのです』と言った。
専門家におだてられて、少し嬉しくなった私は逆に『神学徒の貴男が、キリスト教を信じてはいないのですか?』と突っ込んでみた。『学問は疑う事から始まります。神学者の中に、聖書を肩書き通りに受け取っている者はいません』
さらに私は、『貴男はどうして神学に興味をもったのですか?』と訊ねてみると、『私と母はスウェーデンで生まれましたが、祖父はドイツ人、祖母はイギリス人でした。そこで、家には3カ国語の聖書がありました。私は子供のころから読書が好きでしたし、3カ国語の読み書きもどうにか出来ましたから、それらを何度も読み返しました。どの聖書も章立などは同じでしたが、内容はかなり違っていました。長ずるにつれて、その3つの聖書とも多くの矛盾と不合理な点が多々ある事に気付きました。翻訳のミスもあるでしょうし、グーテンベルグが発明した印刷機が普及するまでは、福音書士達が写経を繰り返したので、写し間違いもあるでしょうし、その人達が都合の良いように書き変えたこともあったに違いありません』
なるほど。そう言えば、たった数十年前に作られた日本国憲法ですら、いろいろに解釈されている。一千年前に書かれた源氏物語は、江戸中期の国文学者本居宣長が「もののあわれ」という新解釈を加えてみると、江戸の娘達に大いに喜ばれた。以後、瀬戸内寂聴や大塚ひかりの現代に至るまで、おびただしい数の源氏物語が世に出された。失われてしまった原本は、写本に次ぐ写本の後、多くの新解釈が作家達によって挿入された。紫式部が平成版を読んだら、大笑いするに違いない。
私は太った聖書学徒に、『聖書のどこがどう間違っているのか、素人の私にも判るように簡単に教えて下さい』と問うてみた。
『例えば、ヨハネの福音書(AC.80年頃書かれた)の有名な序章に、“はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった”とありますが、意味がよく判りませんでした。偶然読んだ聖書学者の注釈書に、“新約聖書は元々ヘブライ語で書かれていました。ギリシャ語に翻訳された時、もともとは「女」であった語彙を「言葉」にすり替えられてしまったのです”と説かれていました。その学者の言う通りに文章を読み直してみると、「はじめに女ありき、女は神と共にあり、女は神であった」となって、イエスの境遇に整合しているし、万人が理解出来るようになります。
そして、聖書にはイエスの誕生や成人してからの事は書かれていますが、青少年期をどう過ごしたかが、全く書かれていない事に私は違和感を覚えました。調べてみますと、キリストの「復活」を信じていない学者の多くは、“イエスは青少年時代をエジプトで過ごし、もっぱら魔術(手品)を学んでいました。磔刑に処せられた後、棺の中から復活する奇跡を、習い覚えた手品によって演出したのです”と言っています。
又、聖書には、時の為政者が利用し易いように、曖昧な、時には矛盾する文章が数多く含まれています。「博愛や善行」を奨励する文章があるかと思えば、中世に行われた魔女狩りや、異端者の迫害を是認する「裁き」の文章も併存しているのです。
現代の多くの神学者は「新約聖書はキリスト教を普及するための分厚い宣伝パンフレットです」と言い切っています。
古代の宗教はモーゼのユダヤ教(紀元前1200年頃より)を除くと、ほとんどが多神教で、神々の中でも、女神がもっとも崇拝されていました。特に貴男が言った、イシスのマリアはイエスが生まれる前の千年の間、夫であるオシリスと共にエジプトの最高神として崇められていたのです。エジプトに住んでいた黒人の中には、イシス像を黒に塗って、より親近感の持てる黒いマリアに作りかえました。キリスト教が普及される以前は、神の下、女性と男性に上下の差は無かったのです。
新約聖書はイエスを唯一、至上の神とする為に、イエスを産んだマリアを処女受胎者として、神秘性を添加すると共に、聖母マリアを人間の女性より高きに位置づけました。
しかし、当時のキリスト教にとって、大きな二つの不都合が残りました。それは、イエスを洗礼したヨハネと、イエスの死に最後までよりそったマグダラの存在でした。ヨハネは宗教家として非情に有能であり、絶大な人気を博していました。又、マグダラはイエスから最も信頼され、同時に周囲の人からも深く愛されていました。
そこで、新約聖書の中で、ヨハネに“私の後に、もっと偉大な神が来る”と言わせて、その偉大な神こそがイエスである、と思わせるようにしたのです。一方、マグダラに関しては、“出自は売春婦であったが、イエスが彼女を改悛させた”として、彼女の地位をおとしめ、同時に女性全体の地位を暴落させたのです
男を優位に位置づけるキリスト教は、戦争による領土の拡大を最優先していたローマの王や将軍達には、とても都合の良い宗教でした。その結果、キリスト教はローマ世界に瞬く間に普及したのです。その後、イシスやマグダラを崇拝する人達を徹底的に迫害したのです』
話がそこまで来た時、私は彼に『ところで、貴男はなぜ京都に言って禅宗を勉強したのですか?』と聞いて話題をそらせた。
『禅宗は日本を代表する宗教として、多くの英訳本が出ています。その中に僧侶には僧正、権僧正、大僧正、等々の多くの階級がある、と書かれていました。キリスト教の神父にも司祭、司教、枢機卿、等々の多くの階級が設けられています。どちらも、上に行けば行く程、事の神髄に迫れる点が共通である、と知りました。一度は禅寺に行って、教会と寺院がどう同じで、どう違っているのかを肌で知りたいと思ったからです』
宗教談義を聞かされているうちに、やっとヘルシンキ空港に到着した。
ストックホルムに向かう彼と別れて、私は入国手続きの長い列に並んだが、機内で聞いた話が頭から離れず、私の脳内にもそれに呼応するかのような、嫌な疑問が湧いてきてしまった。
今や女性は、首相にも大統領にも、ラグビーやボクシングの選手にさえもなれる。しかし宗教界だけは女性を、依然として低い階位に押し止めている。
その理由は、「男女平等をキリスト教が歪曲した」、という極秘事実を知られないようにする為ではないか? 司祭より高階位の者に妻帯を禁じているのも、枕話にその秘密が妻に漏れてしまうのを防ぐためではないのか? 神の下では誰もが平等であると言いながら、SGBT(性的少数派)だけは、認めようとしないのも、彼等を男女の中間と考えて、これを認めると秘密を守る外堀が埋まってしまう、と恐れる結果ではないのだろうか?
空港を出たのは夜半近くで、ポリには帰れない。予約したホテルに行く途中で、ヘルシンキ中央教会の前を通ると、すでにクリスマス・ツリーが飾られていた。(このコラムの最上部に常時添付されている写真とほぼ同位置に)
私には、クリスマス・ツリーのLEDの輝きさえ、男におとしめられた女神や、魔女狩りの犠牲になった、女性達がこぼす恨みの涙のように見えた。
聞かなきゃ良かった恋人の過去を、聞いてしまった時の様な、嫌な気分だった。そして、茶人・肖柏夢庵が「茶会での禁句」として詠んだ
「我が仏 隣の宝 嫁姑 いくさの手柄 人の良し悪し」
を思い出して、宗教の話は空の上でも、軽々に口にするものではない、と教えてくれていた様に思えた。
長井 一俊
Kazutoshi Nagai