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2016.05.16
長井 一俊
5月も中旬になると、自宅の庭先にもデイジーやフリージアが咲き、ホームセンターで購入した小鳥の巣箱も、前秋生まれた好奇心旺盛な子リスたちの、格好な遊び場になっている。
空は青く澄みきっているが、収入の135%を課税されたショックは大きく、一人でいる時は「これからどうすれば良いのか。もし、毎年こんなに高い税金を払わされたら、遠からず破産してしまう」とばかり考えてしまう。「人は死と税金からは逃れられない」という古今東西、頻繁に使われてきた諺が私を重く押しつぶしていた。
インターネットが発達して以来、どこに居ようと仕事は出来る。多くの日本人が税金の安いシンガポールや香港に移り住み、大金持ちは「節税」と偽って、タックスヘイヴンのケイマン諸島などに会社を設立する。
私はまさにその真逆をやっていたのだ。大した資産も無いのに、よりによって北欧という最も税金の高いところに会社を持ってしまったのだ。こんな当たり前の事に気づかなかった私は“能天気”“経営者失格”と言われても弁解の余地はない。
ワラにもすがる思いで私は、ご無沙汰していた副市長と財務局長の2人を訪ねた。貿易会社・社長の時代は、市の行事には必ず招待されていたが、レストラン・パブのオヤジになってからは、招待状は来なくなり、役所の敷居が高くなって、すっかり足が遠のいていた。
2人とも快く私の話を聞いてくれたが、答えは『所得税務は国政の範疇で、自治体が関与する事は出来ない』だった。しかし、副市長から『今晩、自宅に来ないか。夕飯を一緒にしよう』と、優しい言葉を掛けてもらった。
食後のコーヒーを飲んでいる時、副市長は『たしかに135%の徴税などは、聞いた事が無い。でも、貴君は遠からず年金を受給する年になるのだから、貴君の受け取る年金もその分増えると考えたらどうでしょうか。銀行利息よりずっと良いはずです』と励まされた。
私は、『年金をもらう頃には、日本に帰っているでしょうから、その恩恵を受けられないと思いますが』と言うと、『北欧では、海外の収入も徴税の対象にする一方、年金は海外でも受給されます』
失望していた私に一条の光が差した。「今は苦しいが、長い目で見ると、得をするのだ」と考え直す事が出来た。だが一方、「それまで、家族と私はどうやって生活していけば良いのか?」の本題は解決されていなかった。
帰途私は、「日本での支出入はいじれない。変えられるのは当地での支出と給与だけだ」と考えて、帰宅するなりコンピューターに向かった。私は家計もエクセルに入力していたので、変動経費を選択して、数字の大きい方から並び変えてみた。すると、交通費(朝晩のタクシー代)、アルコール代、ホームパーティ経費が上から並んでいた。酒が主食の私には、食費はずっと下の方だった。
金額の大きい順から実行に移す事にした。翌朝は、タクシー会社には電話せず、代わりに物置に行った。そこには、冬用、夏用、そしてココが帰国の際に置いて行ったピンクの自転車の3台が並んでいた。学生のココには冬でもタクシーを使う余裕はなかったので、ピンクの自転車には、雪道でも走れるような思い切り太いタイヤがはめられていた。この自転車なら買出しに行く時も使えそうだ。
ココの自転車に乗って店に向かうと、ココが笑顔で『マスター、頑張って』と言ってくれる姿が目に浮かび、自転車出勤は苦にならなかった。
次に金額の大きかったアルコール飲料については、高額のブランディーとスコッチ・ウイスキーを止めて、地元ウオッカ「コスケンコルバ」だけにして、フランスワインも東欧のハンガリーやチェコものに変えた。タバコもそうだが、嗜好品とは不思議なもので、慣れた銘柄のものが一番美味しくなり、飽きる事も無い。
もちまわりのロシアンパーティは、どこでも会費制であったが、私の家で行う場合は会費を一切とらなかった。恥ずかしくはあったが、幹事に135%の納税額について話し、我家でのパーティも会費を戴く事にした。その話はすぐにメンバー全員に伝わり、『貴男はそんなに大金持ちだったのですね!』と言われて、軽蔑どころか逆に、尊敬の目で見られるようになった。
結局、この3項目の節約で、変動経費の予算は実に4分の1に縮小した。固定費に関しても、左党の私には無用の長物だった車を売却した。隣国スウェーデンにはボルボとサーブの2つの自動車メーカーがあるが、フィンランドにはポルシェの下請け工場しかない。その為、中古車であっても、新車同様の私のシトロエンは想像より高く売れて、それだけでこの年の135%の税金は一括払い出来ることになり、月々の高額な自動車保険料も以後、只になった。
家賃や水道光熱費は安い。よって、月々の総家計費は、前年比6割減となった。そこで、私の月給も6割減らした。その結果、累進率の高いこの国の税制では、減額率も大幅で、日本の収入を合算しても税率は、フィンランドでの年収の55%と、アッパー・ミドルクラス並になった。
税務署に行き135%を納税したあと、美人税務課長を訪ねて、今期の収支予算書を提示しながら、その説明を口頭で行った。彼女から、『判りました。是非実行して下さい』と言ってもらった。
重税から逃れられたその夜、滅多に見る事の無い、撮り貯めたデジタルカメラの映像をコンピューター画面に映し出した。写真とは素晴らしいもので、そこにはちゃんと、ココがいた。
かつて、日本人の女性は嫁に行く前に、写真を整理して、不都合な写真は日記と共に焼却したものだ。一番輝いていた頃の映像を燃やしてしまうのは“もったいない”の極みだ。歳取って、アルバムを開けば、そこには容姿が劣化する前の自分と、引き締まった体格の彼に再会出来たはずなのに。
その点フィンランドでは事情が異なる。酒の席で、ある中年男から愚痴を聞かされた。数年前ポリに引っ越して来た日、彼の本の一冊から、ポロリと昔のガール・フレンドの写真が床に落ちた。目ざとい奥方はそれを見逃さず、“こんなもの、そんなに大事なの!” とその場で、破り捨ててしまった。(その後も、事ある毎にその写真のことを蒸し返された)
引っ越し2日目、奥方が大事そうに運んでいた古い段ボール箱を、彼が隠れて開けてみると、中には大量の写真が入っていた。そのほとんどは、元カレや元々カレとの旅先での写真だった。彼は激しい口調で『これはいったい何だ?』と奥方に詰め寄ると、『それが、どうかしたの?』の一言で済まされてしまった。
男女格差が世界一少ない国」と言われるフィンランドは、私に言わせれば世界一「女尊男卑」の国である。
人は年を重ねるごとに、未来への夢は萎み、その分、過去の想い出が大事になる。写真は過去を思い出させてくれるだけではなく、想い出が事実であった事を証明してくれる。
今や写真は、小指の爪ほどの大きさのメモリーカードに数千枚入ってしまい、婚前に写真を焼却したり、実家の押し入れに隠し持つ必要はなくなった。年長の夫が他界した後、日本女性には長い余生が残る。青春時代の写真を見ながら、甘美な想い出にゆっくり浸る事が出来るのだ。
ただし、それにはチョットした努力が要る。日進月歩する再生機器や記憶媒体に沿って、随時、画像データを移し換えていかねばならない。
“オバサンやオバーサンにそれが出来るかな?”
長井 一俊
Kazutoshi Nagai