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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2016.07.11

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(69)】北欧で、有名な日本人は?

長井 一俊

青色・環礁温泉露天風呂

青色・環礁温泉露天風呂

夏至祭の休日を利用してやって来た白夜のアイスランドは、国名から真っ白な島をイメージしていた。しかし、着陸前に窓越しに見たのは、火山から噴出された玄武岩に覆われた濃い灰色の島だった。

北欧は森の国と言われるが、アイスランドの森林面積は国土の1%に満たない。それには大きな二つの理由があった。一つ目は、化石燃料が普及するまで、入植者達は暖を取る為に森林を伐採し続けた事。

湖の温泉露天風呂

湖の温泉露天風呂

二つ目は飼羊である。羊は衣食住の衣(羊毛)、食(羊肉)と住(テント布)をもたらす寒冷地には格好な家畜である。しかし、牛が草の葉を食べるのに対して、羊は草の根まで食べてしまう。土壌を生み出す主原料の草を、文字通り根絶やしにしたのだ。このアイスランドの実情を知らずして、北欧は「森と湖の国」などと語ってきた自分が恥ずかしくなった。

沼の温泉露天風呂

沼の温泉露天風呂

アイスランド大学で遺伝子工学の勉強をした後、温泉好きな私は毎晩、レイキャビク近在の白夜の露天風呂を楽しんだ。添付写真の様にラグーン・湖・沼タイプなど大きさも水の色も様々で、飽きることが無い。しかし、残念ながら水着着用が原則で、日本人にとっては温泉プールに来たような違和感も覚えてしまう。

アイスランドの自然は他の北欧諸国と大いに違っていたが、女性が強いという印象は変わらなかった。到着2日目、何か土産物でもと思ってデパートを探したが、アイスランドにはデパートは無く、仕方なくスーパーに行ってみた。重い入り口のドアを開けると、そこは冷気が直接店内に入るのを防ぐ、奥行きの深いエントランス・ルームだった。そこには客がつれてきた大きなセントバーナードが主人の帰りを大人しく待っていた。私がその犬に見とれていると、中年のご婦人が私を追い越して行った。奥の扉の前では、初老の男性がそのご婦人のために扉を開けて待っていた。北欧では、よく見る光景だ。

その晩、夕食の席で「北欧では何故、女性上位なのか?」という話になった。教授も御夫人も口を合わせたかのように、「男性が強いのは戦時だけで、平和が長く続くと、女性の方が強くなる」と言った。しかし、私には納得出来ない。平和な国は北欧だけではない。私が訪ねた平和な南の島々では、男たちはひがな一日ぶらぶらしている一方、女たちはタロイモの収穫や胡椒の栽培、そして家事をこなしている。しかし男たちは家長としてやたらと威張っている。

そこで私は北欧に来て以来ずっと考えていた自説『その昔、バイキングが略奪してきた女性たちは、一旦は頭領である船長の元に集められて、手柄に応じて、手下たちに分け与えられた。手下にとって女性は、頭領からの賜りものである故に、ゆめゆめ粗末に扱うことはできない。日本の裏社会でも、女性たちは“姐さん、姐さん”と呼ばれ、大事にされる傾向がある』と述べた。皆には真新しい説のようで、大いに受けた。

夏至祭が終わってアイスランドから戻ると、ポリは本格的な夏を迎えて、学校も企業も夏休みに入っていた。ポリの住民は旅行に出て、外からは沢山の観光客がやって来ていた。いずこも同じで、旅行客は財布の紐がゆるい。お陰で私の店も、書き入れ時となる。

若年の観光客たちは私の着る作務衣を見て、カウンター越しに日本に関するいろいろな質問をしてくる。その中で『日本人はフィンランドの事をどのくらい知っていますか?』という質問が多い。この国の人たちは、日本人に似て、外国の人から自分たちがどのように思われているのか?に強い感心がある。

ここ数年マスコミを通して、多くの日本人はフィンランドが教育大国である事を知った。一方いまだに「フィリピンなら知っている」「スイスの別名」などと言う人もいる。しかし、私はいつも客に「社会福祉や通信が発達していて、教育水準は世界一の国である事を、よく知っていますよ」と、お世辞を言うことにしている。

質問には質問で返すのが私の流儀だ。若者たちに『貴方は日本のことをどれほど知っていますか?』と質問すると「トヨタ、ソニー、ニコン」などの企業名、「侍、忍者、柔道、空手、カラオケ、芸者、フラワーアレンジメント、折り紙」などの文化、「豆腐、寿司、ワサビ、すき焼き」などの日本料理に関する答えが返って来る。

次に私が、『日本の有名人を知っていますか?』の質問をすると、みな口をつぐんでしまう。たまに出るのが「ヨーコ・オノ」「マダム・バタフライ」などだが、これとても、「ジョン・レノンの女」「プッチーニの曲」としてしか、知られていない。若者たちは全然と言ってよいほど、日本の有名人を知らないのだ。

アイスランドから戻った数日後、私が月一で行く床屋のオヤジ(日本に一時帰国した際、理髪鋏を蒲田で買ってあげた人)が、10人程の友人を連れて、昼過ぎにやって来た。

その友人達はどういう訳か床屋のオヤジを敬い、話は彼を中心に進んでいた。後に知るのだが、床屋のオヤジはこの地区の退役軍人会の地区長だった。地区長は無給だが名誉ある職位である。

日本ではあまり喧伝されていない事だが、北欧では実働をあまり伴わない名誉職は無給である。駅長、消防署長それに市長を含む市議会議員達は無給である。別に自分の収入源をもっているからだ。ヘルシンキ市長は、東京にたとえるなら都知事に匹敵するが、それでも無給である。世界最大都市の一つロンドンの市長も無給であると聞く。

それでは市長になる人などは居なくなるのではないか?と思うのだが、さにあらず、ヘルシンキの市長選では、毎回100名を超す候補者が立つ。必要経費は支給されるが、その用途は市民オンブズマンによって、厳しくチェックされている。日本の知事や議員のように、高級を取り、大名旅行をする人達とは大変な違いだ。スキャンダルが発生すると、彼らは潔く辞職する。給料を貰っていないので、辞めたからといって、妻子を路頭に迷わせる事はないからだろう。

日本では、猫が駅長になったり、アイドルが一日消防所長になったりする。そのような職位や、会議日数の少ない県会・市会議員は無給で良いはずだ。

私の店には女性グループ客は多いが、この日のように、高年の男性が一度に来ることは珍しい。そこで彼等に、「日本人の有名人を知っていますか?」の質問をぶつけてみた。

すぐに返ってきたのは予想通り「トウゴウ(元帥)」「ヒロヒト(昭和天皇)」だった。そして、意外にも「ミツコ」の名前が出た。一瞬、美智子様と思ったが、そうでは無かった。ミツコは戦前、日本から来たハンガリー大使の奥様で、そのエキゾチックな美貌がヨーロッパの社交界で人気を博し、大手香水メーカー・ゲラン社の一ブランド銘になった。

そして最も驚かされたのは、マダム・サダヤッコ(川上貞奴)の名が出たことだ。知っている訳を聞いてみると、『私の祖父はスウェーデン人で、1900年のパリ万博に招かれて、彼女の日本舞踊を“目の当たりに見た”をいつも自慢していたから』と言った。貞奴は築地小劇場の基をつくった川上音二郎の奥様で、元は名代の芸妓であった。欧州で浮世絵が人気を博し、ジャポニズムが画壇を席巻した後だけに、本物の芸者の舞踊は、パリっ子から大喝采を受けた。そして、当時の大統領エミール・ルペからオフィシェダ・アカデミー勲章を頂戴した。海外における日本女性、初の叙勲者である。私は忘れていた名前を聞いて、思わず涙しそうになった。

その他、リトアニアの日本大使で日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝や、アフリカで急逝した細菌学者、野口英世の名を挙げた人もいた。

残念ながら北欧では、野球はマイナー・スポーツであるため、王もイチローも無名であり、一部の文学マニアを除くと、川端、三島、村上を知っている人はいなかった。他方、ノルディック・スキーの覇者、荻原兄弟を憶えている人は多かった。

翌週、ポリの生き字引と呼ばれる、ポリ大学の金属学教授が『夏休みの旅行の前に、もう一度貴男の寿司を食べたい』と言って店にやって来た。私がポリに日本料理店を開いたのも、彼から「世界最北の日本レストランになる」と言われたからだ。

私は彼にも、日本人の有名人を知っていますか、と問うてみた。彼の辞書には「知りません」という言葉は無いようだ。眉間に縦ジワを刻み、考えこんでしまった。私は彼の答えをじっと待った後、『先生でも答えに窮することがあるのですね!』と追い込んだ。

すると彼は右のコブシを挙げて叫んだ。 “ハチコー”

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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