グローバル HR ソリューションサイト
by Link and Motivation Group

グループサイト

文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大
  • お問い合わせ
  • TEL:03-6779-9420
  • JAPANESE
  • ENGLISH

COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2016.11.28

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(74)】天秤バカリが少しだけ振れた

長井 一俊

愛好会の釣り船 10キロ級サーモン 『これが本当のキング・サーモンだ』

タンペレ市庁舎上空の黒雲が予言していたかのように、帰りのバスに乗るとすぐに小雪が舞い始めた。北欧の11月は 4時を過ぎると真っ暗で、しばらくするとバスの車窓から景色が消えた。見えるものと言えば、フロントガラスをたたくシャーベット状の霙(みぞれ)と、それを懸命に振り払おうとするワイパーだけだ。読みかけの本を失くしてしまった私に出来ることは、この冬をどう乗り切るかを思考する以外に無かった。しかし「下手な考え、休むに似たり」で、一向に名案が浮かばなかった。

ポリの多くのレストランはこの時期、採算が合わないので店を閉ざす。ところが私は、開店工事費の延べ払いを続けているし、僅かでも従業員にクリスマスボーナスを出したい。しかし冬は、雪で物流が鈍化し、食材価格は暴騰する。

商売の基本は「入るを計りて、出るを制す」である。「入るを計る」は既に、昼夜のレストラン業に加えて深夜のパブまでやっている。これ以上、どうすれば良いというのか? 

「出るを制す」にしても、目一杯働いてくれる従業員の給料を、下げる訳にはいかない。交通費は皆が自転車通勤なので、カットの仕様もない。光熱費は全館空調で、下げることが出来ない。通信費は各自が携帯電話を使い、店の電話は受信だけだから下げようがない。これ以上、どうすれば良いというのか?

銀行の支店長は飲み友達だが、外国人が経営する3年目のパブ・レストランに貸し出しは出来ない。バスの車内で出た結論は、「ナポレオンでも不可能だ」であった。このままでは、店の債務は徐々に膨らみ、いつの日か会社も倒産の憂き目に遭うかも知れない。勇ましく日本を出発した自分が、尾羽うち枯らして帰国する、哀れな姿が目に浮かんだ。

帰宅して、いつもの様に駆けつけ三杯、ウオッカを呷った。身体が温まると、ある狂歌を想い出した。江戸の焼失を防いだ維新の功労者、山岡鉄舟が詠んだ   “酒飲めば なぜか心は春めいて、借金取り(鳥)もウグイスの声”である。日頃、「呑兵衛でなかったら、もう少しは出世できたのに」と悔やんでいる私が、この一瞬だけは、「やはり酒は味方だった」と思えた。勇気が湧いて来て、コンピューターを立ち上げる気力が回復した。

仕入ファイルを開けて、コストの多い順に並べ変えてみると、寿司ネタのキングサーモンが一位で、次にマグロ、そして丼ぶり物の材料である豚肉と鶏肉が上位に並んだ。

その週末の夕方に、仕入原価を低減させる好事が起きた。「釣り愛好会」の面々が、その日仕立てた釣り舟をコケマキ河の桟橋に付けて、私の店に真っすぐやってきた。皆の笑顔が、その日の好漁を伝えていた。そこで私は『鮮度の良い生のサーモンを、安く仕入れる方法は有りませんかね?』と問うてみた。

すると釣り人の一人が、『流通する大型の魚は、一旦は冷凍されていますよ。生のサーモンにありつけるのは、私たち釣り人だけです』と答えた。言われてみれば、日本のテレビでよく放映される、築地市場での競りの光景で、床に並んでいるマグロはどれも冷凍されている。私は思わず『朝市の魚屋さんから仕入れているサーモンは、生ではなくて、解凍されたものだったのですね。なんだか騙されていたような気がします!』と愚痴ってしまった。

すると一人から、『貴方が買っているサーモンは、国内(フィンランド)産もあるでしょうが、大抵はノルウェーの養殖ものです。それらが、生のままでポリの朝市までやって来る訳はないでしょう。本当の生サーモンは、私達の自動車のトランクの中に入っている、さっき釣ったばかりのサーモンですよ。もっとも、家に帰ればそのまま冷凍庫に入れてしまいますがね。五六日では、到底食べきれませんから』と言われた。

欧米の多くの家庭には、棺桶ほどの大きさの冷凍庫が、キッチンの角や地下室に置かれている。狭い日本の家屋では考えられない代物だ。

身体の大きな若い釣り人が『私が狙うキングサーモン(写真)は40キロを超すもので、滅多に釣れません。川を遡上してきた10キロ級のサーモンなら、会員の家の冷凍庫に沢山眠っているはずです。女手ではとても捌けないので、沢山残ってしまうのが釣り人の悩みです』と言った。

私は『いつも私が捌いている10キロ級のサーモンは、キングサーモンではないのですか?』と問うてみた。すると、皆から会長と呼ばれている初老が『世界中で大量に売られているノルウェー産は、他国の海で獲れたものより遥かに大きいので、業者がかってに“キングサーモン”と呼んでいるんだよ。私達が狙うキングサーモンとは、三角形を作って川を遡上する群れの、頂点を泳ぐサーモンのことだ。流れの抵抗をもろに受けるので、とても大きくて力が強いものが選ばれる。私は生まれてこのかた、七匹も釣り上げましたよ』と、胸を張って会員を見回した。

私は『ノルウェー産はどうして、キングサーモンと呼ばれる程、大きいのですか? 私はすっかり騙されていましたよ!』と、また愚痴ってしまった。すると会長は『ノルウェーでは、フィヨルドという独特の入り組んだ海岸線が利用されて、巨大な養殖用の生簀(イケス)が作られるんだ。大量の魚粉(フィッシュ・ミール)が与えられ、丸々と育ってから、そこに流れ込む河川を遡上させて産卵させるんだ。味も天然ものとあまり変わらないので、市場を席巻したんだ』と教えてくれた。

若いメンバーの一人が『10キロ級なら、いつでもお持ちしますよ。税務申告がややこしくなるので、代金は受け取れません』と言ってくれた。私は『心苦しくて、只ではもらえませんよ』と言うと、『世界最北のこのお寿司屋で、私の釣った魚がお役に立てれば、これほど誇らしい事はありません』と涙が出るような答えが返ってきた。『私のも使って下さい』と、次々に申し出があった。

サーモンの仕入れが只になった時の、少しだけ改善されたバランス・シートが目に浮かんだ。しかし、こんな好事は度々起こるものではない。「あとは自力で、3度目の冬を乗り切ろう」とファイトが湧いてきた。

神田で生まれ育った私の祖父は『赤ん坊の時、お玉が池の千葉道場に通う山岡鉄舟に、抱っこされた事がある、そうだ』を唯一の自慢話としていた。私の信仰心は希薄だが、長旅の前には祖先の墓参りをする。その善行に報いて、祖父が私に山岡鉄舟の狂歌を思い出させて、元気付けてくれたに違いなかった。

頭に描いていた天秤バカリは、不可能な方向に振り切れていたが、お皿から一つだけ重りが外れると、台座に貼り付いていた片方の皿の底が、少しだけ浮き上がるのが見えた。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

このコラムニストの記事一覧に戻る

コラムトップに戻る