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2017.02.20
長井 一俊
2月の末、小雪がぱらつく中、少し変わった中年のカップルが来店した。なめらかな米語を話すブルネットの奥様と、やや小柄で日焼けした肌、東洋系とも思える顔立ちをしたご主人だった。酒焼けであろうか、彼の鼻の頭は真っ赤だった。ご夫人に「どちらからお越しになられましたか?」と聞くと、「私はシカゴ出身で、主人はイヌイットです」と答えた。
彼女は「観光で訪れた北極圏で、イヌイットの野生生活に魅せられて、そのまま居着いてしまいました」と言う。北方民族の総称は「エスキモー」だが、「生肉を喰らう人」が語源で、近年アラスカやカナダの英語圏では差別用語とされ、使われなくなった。フィンランドでは「サーメ」と呼んでいる。本人達は「イヌイット」と呼ばれようが「エスキモー」と呼ばれようが、一向に気にしない。
サーメは、居住地の環境から「山岳サーメ」「森林サーメ」「湖水サーメ」「海洋サーメ」「河川サーメ」の5種類に大別される。北欧にはモンゴロイド系サーメの他に、北ゲルマン系サーメがいて、エスキモーのイメージとはかけ離れた金髪碧眼の人達もいる。近年、北欧サーメは時代の変化に呼応して、男性達はトナカイを追い、女性達は北方に点在する小さな町で生活して、子供達を学校に通わせている。
牡のトナカイ(添付写真)の大きな角は春から秋にかけて伸び、雌を巡っての争いの武器になるのだが、冬になると抜け落ちてしまう。雌のトナカイ(添付写真)の角は逆に、秋から春に伸びる。雪を角で掻いて、雪下に生息する苔を食べる。牡の体重は大きいもので300キロもあり、走るスピードも最速80キロと言われ、サンタのソリを引くのに格好な動物だ。トナカイは野生であるが、人なつこく従順な性格から、半家畜と言われる。北欧のサーメはトナカイの群れを追い、適量を狩猟しながら個体数の維持に努めてきた。肉は食料、毛皮は被服やテント、角は薬剤になる。
サーメの生活は歴史を通じて、決して穏やかなものでは無かった。大国のロシアや強国のノルウエーに統治され、高い徴税に苦しめられた時代が長く続いた。貨幣を持たないサーメは、税をトナカイの仔で払わされた。酔狂な私は、何故、「成長した」トナカイでは無く、トナカイの「仔」によって税を払わされたのか?を知りたくて、サーメ地区に計5回程旅行したが、はっきりした答えはもらえなかった。
たまたま、北方のピエタリ市にある、この国唯一のトナカイ皮の鞣製(なめし)工場を訪ねた時、やっとその理由が分かった。「北極のツンドラ地帯では、夏に大量のアブが発生する。アブ達は寒い秋が到来すると、トナカイの毛の中に移り棲み、皮膚の下に卵を産みつける。孵化して這い出す時に、トナカイの皮膚にコブのようなキズ痕を残し、皮革としての価値を下げてしまう。1年未満の仔にはアブの出入りが無いため、皮に傷がなく柔らかなので、貨幣の代わりに納税され、鞣製(なめ)された後、イギリスやフランスのご婦人達の高級な衣服や手袋の材料として高値で売れる」との説明を受けた。
サーメにとって史上最大の悲劇は、1986年にウクライナで起きたチェルノブイリの原発事故である。距離的には遥かに遠いけれど、春から夏にふく南東風にのって放射能汚染物質がまき散らされ、トナカイの主食であるか弱いハナゴケが被害を受け、トナカイの数は激減した。サーメをさらに追い打ちしたのが、地球温暖化である。冬の温度が上昇して、昼間には雪の表面が解け、夜間には氷結してしまう。トナカイの雌の角をもってしても、雪下に生息するハナゴケを掘り起こす事が出来なくなった。これによりトナカイは絶滅危惧種に指定されるまでに減ってしまった。
話を元に戻そう。 来店したカップルは、寿司を注文する前に、ご主人は「Sake」と言った。「熱燗にしますか?」と聞くと、ご夫人が「冷やでお願いします」と答えた。私はワイングラスに日本酒を注ぐと、彼は一気に飲み干した。右手の親指と人差し指で丸をつくり、美味しいと伝えてくれた。極寒地に住むサーメのアルコール飲料の消費量は、一人当たり世界一を誇っている。
奥様は私に「美味しかったので、ボトルで飲みたいと言っています」という。
彼女は私に、「悲劇はトナカイだけではなく、人間にも及んでいます。世界中から出るフロンガスが、極地成層圏のオゾン層に穴を開け、強い紫外線が地上に降り注ぐようになりました。モンゴロイド系のサーメの肌には、メラニン色素が豊富に含まれていますが、メラニン色素が少ないゲルマン系サーメや私のような米国人は皮膚癌になりやすいのです。トナカイの減少や皮膚癌への恐怖、そして子供の教育問題もあり、私達は都市への移住を考えています。私は教育都市であるオウルの町を考えたのですが、主人はパブが沢山あるポリが良いというので、下見に参りました」
私達が話している間、サーメのご主人は4合瓶を2本も空けてしまった。古い言葉で、大酒を飲む事を鯨飲と言うが、まさに彼はその言葉を思い出させた。祖先からの生業を捨てられても、酒は止められないようだ。“所得税の支払い額は少くても、酒税を通して国への貢献度は高い”を自慢する私も、彼の飲みっぷりを見て、「まだまだ自分は修行が足りない」と思い知らされた。
そして彼女は帰り際に「アール・ゴアが書いた“不都合の真実”を読みましたか?」と質問して来た。私が「いいえまだ」と言うと「今年映画化されるそうですから、是非見て下さい。私がサーメに住むようになった頃の北極と、今の北極は全く違う物になってしまった事がよく分かりますよ」と言った。
折しもこの月(2006年2月)、石原都知事が提唱していた「2016年8月に東京へオリンピックを招致する」案が、都議会で承認された。オリンピックを開催するのは良いが、熱い8月に行うのには反対だ。ここ数年、館林や熊谷は38度、そして東京の練馬ですら37度になると聞く。(IOC総会で2016年はリオデジャネイロに決まったが、4年後の2020年8月に東京開催が決まった。)
選手だけではなく、観客のお年寄りや子供達が熱中症でバタバタ倒れたら、一体誰が責任をとるのであろうか? 無差別テロの危険を合わせて、“オリンピック”が“殺人ピック”にならぬように祈るばかりだ。
長井 一俊
Kazutoshi Nagai